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拝啓 森の花畑の守人様
2015年1月6日 流れるように2014年の秋、早冬を通り、新年がはじまりました。 1月1日からの大雪に降り込められて正月3日を家の中のことをやって過ごし、4日に晴天となり、家の外から声をかけられて玄関から外を覗くと、1歩先は冒険広場になっていました。かみさんが雪をかくその先で、子ども達が雪だるまを作ったり、田んぼの斜面を使ってそりをしたりしています。誘われてひとときそりあそびをし、気持ちがスッとすきました。 年末から年始にかけて、子ども達の様子を眺めながら、いまの彼らの暮らしの中に必要だと思いながら動き出せていなかったものにようやく着手しました。 一つ目は皆が1人になれる場所。現在の私の工作部屋を子供と一緒に改装して場所をつくろうと計画したり、ものを動かして掃除したりしていますが完成までは時間がかかりそうなので、まずは応接間にある大きな丸い座卓を炬燵に改造し、寒い冬でも応接間が使えるようにしました。天板は母の友人が長年使っておられたものを改装にあたり譲って頂いたもの。足は45mmの角材を合わせて作った組み立て式のものを使っていましたが、今回はこれに脱着可能なヒーターユニットと炬燵布団が掛かる鉄枠を取り付けています。 二つ目は台所の水切り棚。長いこと向こうの谷の家には水切り棚がありませんでした。大人達が使う分には小さな水切りカゴがあれば十分だったのですが、去年後半から子ども達と一緒にごはんを作ることをはじめたので、同時に洗い物もしてもらいやすいようにしたいと思い、時折り考えていたのです。 水切り棚には幅82cm、奥行き30cmの棚が3段あり、1段目は水切り部分にポリカーボネートの波板(水受け)、2段目と3段目は竹(2段目:真竹、3段目:孟宗竹)を使っています。水切り部分は竹や木では暖かくなれば黴るので、鉄で作って塗料でコーティングすることも考えたのですが、それでもいずれは錆びるので、知人の造作物を参考に,単純に竹を切って割って並べて水切り部分として使用して,黴て見苦しくなったら取り替えて、ロケットストーブの燃料や薪ストーブの焚き付けで使うことにしました(一応黴防止に桐油を塗ってはみています)。この規格の竹棒は薪ストーブの焚きつけや春から屋外のロケットストーブキッチンでパンを焼くのに幾らでも使うし、山から竹を切り出してこの規格の竹棒も沢山作ります。 三つ目はドアで作っている最中です。向こうの谷の家にはドアが1つしかありません。子どもが小さく、来客も少ない,古くて大き目のこの家では、風呂もトイレも布が目隠しで掛かっている程度でよかったのですが、上の子ども達が思春期に入り、下の子の友達遊びが多くなり、友人の来訪も時折りあるようになると、新たに2か所ほどドアが必要だと思うようになったのです。木材の四隅をネジでとめて白のペンキを塗った簡単なものですが、それでも古い家のドアをつくるのは手間がかかります。家が傾いているので取り付ける箇所も菱形や台形で、それに合わせてドアの形を作らねばなりません。家の中は暗いのでドアの板の部分には半透明のポリカの波板を使っています。右下の四角の枠はうちのネズミ採り方の猫の通行口です。彼によりうちの保存食や電線は守られているので通行路の確保は大切なのです。ドアの取っ手は10mmの鉄筋も丸棒をベンダーで曲げて、ネジを切って両方からボルトで締めて取り付けようと準備をしています。 四つ目は,”このような家族の変わっていく段階(ライフステージ)に合わせ,私の時間をどう使っていくか,そのためどう働き方を変えていくか”,について真剣に考えています。遡ることのできない時間の流れのなかを,子供達は日々変化しながら大人に向かっていき,私達の親も人生を全うすべく老いを迎えようとし,そのような家族を感じながら,例えば”子供たちの様子をみて必要と思えるタイミングで水切り棚をつくれる”ように,時間が使えたらいいと思うのに,なぜそうではないことが多いのかと考えています(これは決して生活の糧を得るための働く時間を削りたいということではありません。忙しく働くのはいいけれど,もっと生活に寄り添って時間を使えるようにならないかということです)。 その理由の一つと考え重ねているのがサラリーマンという働き方です。私もサラリーマンですが,学校教育でも世の中でもそうなることが当たり前に示される職像です。向こうの谷に暮らしていれば,子どもには子どもの生き物としての育つリズム,畑ではこの時期に発芽,この時期に養分という植物の育つリズムがあります。それなのに,春夏秋冬,晴雨問わず,他のリズムを無視して月~金土,朝8:30~17:15のリズムが当たり前の様にあり続けるのはどうしてなのか。それで仕事のクオリティが向上するならそれでもいい部分もあるのでしょうが,振り返れば,せっかく立ち上がってきた仕事のいいリズムを月~金土,8:30~17:15が断ち切っていくことが多いのです。 一方,労働時間規定や労働日数規定が,新興商人により苛烈な労働状況が作られた19世紀の産業革命以降,劣化した働く人の働きや暮らしの質を改善するため労働者が戦い勝ち取った条件の1つであり,月~金土,8:30~17:15という決まりごともその系譜にあるのだとも思います。しかし,世のシステムが必ず使い手を変えながら手段と目的を逆転させていくように,労働時間や日数規定も,組織が能動的でない働き手を律する組織側のシステムとなり,自営業が減りサラリーマンが多勢となる趨勢の中で,「周りの人がやるので自分もやらないといけない」という強迫感や,「やることが正しい(社会)人としての在り方」という観念のようなものに変容しているようにも思うのです。さらには、たとえ労働が8時間を超える状況が常態化しても,「おかしいな」という個人の違和感は、会社人間関係の中で働く人達が無自覚に相互緩衝・拘束しあう中で打ち消される,そんな状態が続いているのではないかと考えるのです。 ただ,この論には注意が必要だとも思います。要は月~金土,8:30~が自体が悪ということではなく,現在の日本の画一的な労働志向下でも,産業革命後の苛烈な労働や生活環境の下でも,同じく”自己環境改善能力(自分や家族の暮らしの質をよくするため取り巻く環境をよくしようとする能力)”が削り落とされるのではないかと思うです。『日本残酷物語』(宮本常一,山本周五郎ほか)には,例えば戦前の筑前の苛烈な労働条件がいかに労働者の生活改善思考を奪うかということについて描写されています。一方,経済平均的に余裕があり労働環境が改善されたようにみえる現在のこの国でも,皆が明らかに昔より子供たちのアトピーやアレルギーが身近に増えていることや原発の放射能汚染を目の当たりにしても,””子どもと一緒にいる時間が少なくなるほど、買うためのお金を稼ぐために働く時間が1日に占める割合が大きくなり,さらに働くために新たに便利なサービスを買っている輪””の中で,『月~金土,8:30~の日常』を疑問視する訳にはいかないという状態にあると思うのです。外見は異なりながら,より同質の問題がさらに拡大・複雑化しているのではないかとも思うのです。 この3か月ほど,このことを頭の隅に置きながら,仕事で色々な場所を訪れました。そして、幾つかの暮らし方や仕事のあり方を見させて頂き、お話もするなかで1つの時間の自治力を高める方法を発見した気持ちでいます。それは『自分で作る技術を身に付けること』です。島根県吉賀町で自分でおこした酵母でパンを焼いて売ることを20年生業としている方のお店にお伺いし、お話しました。彼女はこう話されました。「パン屋を始めるとき借金せずに(できなかったので),機材も自分で中古のものを購入したり、家庭用のコネ器を幾つも併用したり,厨房も自分で少しずつ作ってはじめたのだと」。 そして、もう一つ。『自分で作る技術を身に付ける』には”働き方、働く時間を自分の意志でコントロールできること”が大切なのではないかと考え進めています。そのことを思うようになったのは、知人からお聞きした、フランスに暮らす日本人の飛行機関係の技術者さんのお話でした。その方は週3~4日を技師として会社で働き、残りの日は田舎で手に入れた古い家を直すことに使っていると。よく考えれば、日本のサラリーマンは週全部働いて得たお金で家を買ったり、家を建てることを他の人に頼んだりしているのですが、この方は家を直すことを頼むお金を稼ぐために時間を使うことをせず、直接、家を直すことに時間を使っているのです。 このことをお聞きしたとき、私は、これからの私や私の家族達の生き方について、大きく視界が広がったようにな気がしました。 『実現したい住まい・自分と家族の暮らし→人に頼む→お金が必要→働く時間を増やす』だけが唯一の方法ではなくではなく、 『実現したい住まい・自分と家族の暮らし→自分で時間をかけて作る』という方法の取り入れが可能なことがわかったから。 そしてそれは、家族が毎日口にする食べ物、家具、燃料についても同じことが可能であり、できるだけこの方法をとる方が、”家族と一緒にいる時間”が長くなり、子供たちも作る行程をみて学ぶことができ、親は子供たちの様子をみて必要と思えるタイミングでそれを行うことができる可能性が高くなることが想像できたから。 但し、日本にいる私(私達)が”働く時間を自分の意志でコントロールできる”ためには、少しずつ時間をかけて軌道修正していかねばならないことがあると思うのです。それは、今より多くの人達が『自分で作る技術』を高め、「本当は、ここ3年は働く時間と給料を2/3分位にして、その分、家を改装することに直接時間を使えたらいいのにな。そっちの方が合理的だし、豊かなのにな」と思えるようになるまで力をつけること。そしてそれを容認できるような社会常識や社会制度が育まれることだと思います。そして、もっとも重要だと思うのは、その大人の姿をみている子どもがそばにいること。 私(私達家族)も少しずつですが、そこに向かい働き方を変えていく努力をしたいと思っています。 このような事を考えながら、中2の長男坊主に相談して新しいことを試みています。アルバイトで家を改造していくことを手伝ってもらいはじめたのです。いま頼んでいる作業は新しく貼ったトイレの前の床の塗装です。彼のできるペースで、まず塗装箇所の周辺をマスキングして、床板を2~3枚ずつ、オイルステイン(ワトコオイル)で塗装し、翌日、ウェスで余分な塗料をふき取ることをしてもらっています(ちなみに、彼は石の研磨やプラモデルのパーツづくりが好きで、石やプラモデル分野で使う(電動)工具や塗装については一通り経験済みなので、OKしたのかもしれません。小6の次男坊にも別のことを頼もうとしたら、彼は「もう少し身体が大きくなってからね」と答えており、これはこれで「なるほど」と思いました)。 ちなみに写真のドアのは先程作成途中だったものが完成し、取り付けたものです。 最後に、前回から再びまとめはじめた「行政組織はなぜ自己の組織運営や事業・施策について自ら改善を行うことができにくいのか」について少し考えることを進め終わりにしたいと思います。 「昭和40年代まで、なぜ使う側に健康被害があるとわかっていながら強い農薬の普及を長い期間やめられなかったのか」「人口減と高齢化が予想されていながら子育ち・子育てを支える社会の仕組みづくりが後回しにされてきたのか」「人事異動のため人的・組織的な継続性がない故に効果検証や責任がおざなりなる条件下での支援や補助をやめられずにいるのか」 これらのことについては、「分野が異なり、地域性や時代性を伴う別個の問題ではないか」、「行政よりも政治の問題ではないか」ということもあると思います。他方、我が国では実態的には、国、県、市町村自治体なども実態的には首長の交替や議会に影響されながら行政組織が事業と施策を起案し運営しており、その結果、”行政組織という生き物”の性格や体力に強く影響されていると思うのです。そして、その行政組織が自己改善能力を低下させている状況では、自らの組織の流れを踏まえながらではなく、刹那的に教育や福祉や産業に強く干渉する中で、先に述べた”自分で作る技術”や”働く時間を自分の意志でコントロールする力”が皆から削がれる状況が生まれているとも考えるのです。 そして、このことは日本のこと、今時点のことに限られることではなくて、他の国の他の時代にも起こっているようです・ 有機農法の実践的研究者であり、今日の世界的な有機農法普及の礎を築かれた、アルバート・ハワード先生の著書『農業聖典』に「今日の農業研究に対する批判」という章があり、農業研究者の立場からイギリスの公的研究機関(行政により設置された研究機関)の問題点を論じています。驚くべきことに、それは第2次世界大戦前のものであり、読んでいるとそれはまるで現在と変わらない行政組織の課題を有していることがわかるのです。幾つかの文章を抜き出してみます。 ・かくして、恐ろしく大きな、そして複雑で経費のかかる組織が1911年以降、発達してきた。中央政府の少なくとも七つの機関が農業研究にかかわらねばならず、そこの全職員が多くの人びとの、実際には研究者たちの膨大に時間とエネルギーを吸収しているにちがないない報告書、メモ、情報などの絶え間ない奔流に巻き込まれざるを得なくなっている。(p234) ・研究所は科学を基礎に組織されており、誰もが認識している農業という部門を基礎にしているのではない。そのため、手段(科学)と目的(農業)はすぐに接点を失うことになる(P235) ・これら研究所内にいる研究者は専門化された領域に閉じこもり、研究はやがて細分化されていく。直接的な実践経験から得られた着実な影響が、通例というよりもむしろ例外とされてしまうのである。これら研究所の報告書は課題の周辺であくせくし、より狭い領域をより多く研究することに没頭している実に多くの研究者の活動を記載している。(P235) ・・・ ・かつて公的機関がこのような問題について自問自答したことがあっただろうか。(P236) 守人様 農業聖典から抜き出して書いてみて、改めて驚きます。私の問はすでに、1920年代にされていたのです。そして科学と実践を乖離させる大きな要因としての研究への行政組織の関与の在り方や、それを改めるに必要な人材育成、研究に替わる”実証的研究”について述べられていきます。 このお便り、話があちこちに飛んでいるようにみえるかもしれませんが、前半でお話した私(私達)の暮らすこと・生きることには、終わりの方で”行政組織という生き物”の状態の良し悪しや振る舞いが大きく関わっていると思っています。江戸まで遡れば天明・天保の飢饉、戦後の農薬禍、現在の原発しかりです。そして我々の暮らすこと・生きることの状態の良し悪しもまた”行政組織という生き物”に大きく影響しています。組織の意志は、組織を構成する個人個人の状態に影響されるのですから。そして行政組織とは住民自治の代行者でもあるのですから。 休み休みですが、向こうの谷に家族と暮らしながら暮らしの視点から試行錯誤したり考えたりすることと並行して、「行政組織はなぜ自己の組織運営や事業・施策について自ら改善を行うことができにくいのか」について研究を重ねていくことをしばらく続けたいと思っています。 追伸 このお便りを書き始めたのは1月中旬だったのにいまは3月中旬。随分時間がかかってしまいました。その間、向こうの谷に新たな、楽しいことがはじまりました。森の実践的研究者であり、いまは庭師でもある、おおかみの眼を持つ友が向こうの谷を訪れてくれました。色々話し合い、4月から時折訪れて頂いて向こうの谷をフィールドにした庭や森と関わる暮らし方についての新しい試行をはじめることになしました。その展開ともたらされるかもしれない新しい気づきや学びにわくわくしています。そのことも含め、またお便り致します。 #
by mukouno-tani
| 2015-01-06 07:54
| 生きる 働く
拝啓 森の花畑の守人様
9月16日 一昨年植えた、アキチョウジ、アキギリ、ヒヨドリ草が一斉に咲きはじめました。この庭は家の北西側にあるのですが、明るい木陰でよくみかけるこの植物達には程よい日の射し方のようで、いい草形に育っています。もうすこし日当たりのよい、家の西側の庭に植えたアキチョウジは少し葉焼けもし、徒長気味なので、そう思うのです。 今年の夏は、日をおかず雨の降る、畑や庭の植物にもとても酷な天気が続きまた。向こうの谷の家の畑の夏の作物もそうですが、かみさんが集落の他の家の野菜も育ちが悪いってよと話しています。山の中の植物の状況も例年と違うのでしょうか。他の地域でも田や畑に猪が入ったという話もよくお聞きしました。 向こうの谷の家で夏に植え付けた野菜の中で比較的育ちがいいのが、F1ではない種を、自家製の堆肥と山の土で作った培養土で苗にしてから植えた大豆とトウモロコシです。大豆は島根県の奥出雲町という町で自然農法を30数年やられている農家さんが自家採取されていたものを頂いたものです。トウモロコシはスイートコーンではなく粉にして食べる品種を野口のタネさんから購入したものです。このような野菜達の逞しさは根の育ち方にあるのではないかと考えています。合成化学肥料の使用や一定の日照量を前提に育種されたF1等の種と異なり、低窒素の土壌や市販の肥料よりはるかに窒素分の低い植物性の堆肥で育てられることの多い野菜の地種は土中から栄養分を得るためよりしっかりと根をはるようです。また、合成化学肥料の入った栄養豊富な培養土で最初から苗が育てられると、初期の段階でしっかり根が張れないそうです。 このことは、他の野菜でも種をとってみたりしながら確認していきたいと思います。奥出雲町の大豆は雨のたびに身を太らせているように思います。 8月の後半に入ってから、向こうの谷の家で新しい試みをはじめました。家の隣の物置倉庫を、工作の作業場と、保存用の山菜や野菜の下茹でや染色などに使う大鍋が掛けられる焚き火炉のあるスペースに改造してみようと思っています。倉庫は稲作関係の機械・道具置き場と牛小屋として使っていた張り出し部分からなっていたのですが、牛小屋部分が2年前に雨漏りによる木腐れと雪の重みでつぶれ、以降、荒廃した状態になっていました。 その壊れた小屋の廃材や古道具、古家具・家電を整理して、新たに屋根だけを葺き、雨天でも薪火を使える場所にしてみようと考えています。機械・道具置き場は機械や道具を整理して、いま住んでいる家の工作部屋をそこに移したいと思っています。というのも、子ども達が中学生、小学生高学年となり、そろそろ家の中にもう一部屋いる様子になってきたことと、工作部屋も手狭になりもう少し広いスペースがいるかなと考えはじめたからです。 新しい子供部屋は、天井を張り、壁を塗り、床の土台を作り、床板を張る作業を、子ども達と一緒にやることを考えています。 ともあれ当面は、牛小屋跡の片づけと廃材を薪にする作業です。釘も多く、チェンソーも入れられないので、当面はこつこつノコギリで切っては薪棚に積んでいます。少しずつ、急がずやっていきたいと思っています。 それと、随分前ですが、戦後の行政の仕組みの問題点やその問題を生じさせるメカニズムについて実践的研究者の先達達のまとめた研究を少し紹介してみたいと書いたと思います。さかのぼって調べてみれば、それは去年の11月のことでであり、それから早1年が経ったのだということに少し驚いています。それは次のようなものでした(拝啓 森の花園の守人様十九)。 『10月から11月にかけて、ここ数年、信じられないような忙しさに埋もれているのに気がつきました。…振り返れば、今年も、忙しいときにかかってきた電話に、熟考しないで生返事した依頼事が、準備をはじめると、とてつもなく時間がかかるものとなったことが幾つもありました。 考えずに返事することがまずいけないことだと思います。他方、…問題は、依頼人が行政など大きな組織の人であり、依頼が仕事上でのことの場合、そのことがそれで終わることが多いことです。人事異動で、去年、その場面を共有した依頼人は突如いなくなり、新しい人が新鮮なことのようにそれを依頼するようになります。 このように組織の属性で判じた様にいうことはいけないことだと思います。どの組織にも …前向きに積み重ねている方は沢山います。しかし、依頼事が、そのことで終わり、時間と費用をかけた努力が組織に経験やノウハウとして蓄積されず、本人のそれからの職務にも繋がらないことが多ければ、…関わるすべての人に…、そして社会に対し、とても刹那的で消費的な時間の使い方だからです。 それが仕事の事だから、担当の期間だけだから、それが組織の当たり前だからと、自分の当たり前してはならないと思うのです。今は、どうしようもないほど大きく、変え難いものだとしても、それを自分も関与している社会に大きな影響のある課題として認識しなくなってはいけないと思うのです。これは、戦後、いや江戸時代まで遡り、行政組織や大企業を含め、人事異動をはじめとした公の人に関わる仕組みが生み出してきた問題ではないかと思うです。それがいままで何を生じさせてきたか。梁瀬義亮先生やアルバート・ハワード先生や有吉佐和子さんが対峙してきた、そして今でも免疫の過剰反応で子ども達を苦しめ、生態系に影響を与え続けている農薬禍や化学合成農薬ではなかったか。それを世に敷衍したメカニズムとは、その普及を私事とは切り離し、仕事として進めることができる人を生み出す、公の人事制度という仕組みではなかったか。それが、福島を生み出し、そして、いま更に、次世代にとって取り返しのつかない、恐ろしいものを生み出そうとしていないか。 守人様 …宮本常一先生やアルバート・ハワード先生など先達達は、公の組織に歴然としてあり、…不可侵の領域として改革できない、…世に対し大きな影響をもたらしてきた、しかも組織外の人にはとてもわかりづらく見えにくい、このメカニズムについて、分析し、そして記述を残しておられます。 …今は、私にとっても、このメカニズムについての認識の整理と論理的な理解が必要なことだと思います。これから、折をみて、少しずつですが、先達達の書いたものを再読し、自分なりに整理していってみようと思います。』 さて、2014年10月1日現在の私は昨年の11月と比較してどうか。相変わらず時間に追われているし、行政組織からの依頼の数も多いですが、依頼内容が大まかなまま仕事を受けることは原則なくなってきていると思います。仕事を受ける前に必ず相手の目的や内容をかなり詰めますし、その結果、仕事後もいい関係性が生じることも多いです。これは改善点かもしれません。 次に、公の組織についての先述した問題意識については、さらに強くなっています。 誤解を恐れずいえば、子育ちや家族や地域や、食べ物や燃料や住まいや風景や、農林業を含めた業など、人が豊かに暮らすに必要な基本的要素が必ずしもよくない今日の我が国の状況に、そのことがかなり影響していると考えを強めています。 そこで、昭和47年に書かれた宮本常一先生の著書『村の崩壊』を読み返してみました。昭和20年代後半から昭和30年代にかけて、行政組織や大学研究者により農山村部に何か起こされ問題について詳細に描写されています。そこで、ここから、昭和20年後半k”戦後の行政の仕組みの問題点やその問題を生じさせるメカニズム”についての整理をはじめたいと思います。 ・私の親しくしている篤農家たちは「いまにきっと機械化時代が来る。そのときそのことを怠っている農村が必ずいき詰る。米価の補償をやめて、その金を設備投資にまわすようにしなければならない。しかし農協が反対している。農協が農民の団体でなくなり、米の供出機関になったことに問題がある」と話し合っていた。これは非常な達見である…(p231) ・いつの間にか篤農家たちの指導力は弱まってきて、新しい農業指導体制がうまれつつあった。…昭和二十三年に農業改良助長法が公布せられ、農業改良普及員がおかれた。農業技術の指導はその方が力が強くなりつつあった。そしてパラチオンやビニールはこの普及員たちの力によって広がっていった場合が多かった。(p232) ・戦後きわめて意気盛んであった農民たちのうち、篤農家といわれる人びとの発言が目に見えて弱くなって来たのは、昭和二十七、八年頃からであるが、それにかわって大学の先生や官僚たちの農村指導が目立ってくる。その人たちは、日本の経済状態、農業の占める経済的位置、農業の見通し、かしこい農業と称して農業経営の合理化を説いた。しかし農民たちは次第に覇気を失っていき、新指導者の指向する方には必ずしも進まず、逆に指導者たちの指向とは反対の兼業農家が増えていった。(p236) ・一番大きな原因は、農村におけるいろいろの組織が官僚化していったことではなかっただろうか。官僚組織では責任は個人が負うものではなく、組織が負う。だからその地位にあるものがその地位を去ってしまえば、もはや責任はなくなる。二年か三年その地位にあるあいだは努力していても、地域を去るとその人に期待することはできなくなる。どのため指導がきれぎれになってゆく。指導といっても、手にとって教え遠い将来を約束してくれるようなことはほとんどない。これを受ける側の農民はいつまでも同じところに、同じように暮らしている。(P236) ・農林省が補助金を出してビート栽培を奨励したことがあった。そのことについてある代議士が、渋沢先生の所へ相談に来たことがある。先生は「ビート栽培はやめておく方がよいだろう。かならず失敗する。失敗することがわかっていても、それを推進しようとする人の点数になる。そして失敗がはっきりする頃には、その人はその地位にはいないはずだから、傷つくことはない。農林省の施策にはそういうものが多すぎる」とその代議士に話していた。結果はその通りであった。(p236) ・酪農にしても蔬菜栽培についても、その他いろいろの奨励が補助金をつけておこなわれたが、多くは中途半端であった。それが農民の視点をばらばらにし、落ち着きないもにしていった。何よりも不幸は、古くからの農業指導者たちが、第一線から身をひいていったことであった。(p236) ・…農民として生きていくための目標が次第に失なわれ、むしろ兼業化が進み、男はサラリーマンになり、女が耕作するものが多くなっていった。(p236) 守人様。公の組織の問題点は昭和20年代からあまり変わっていないように思います。そして根本的問題は、その体制が40年の間改善されてこなかったことにあるのではないでしょうか。そしてそれは人や組織が起こす問題である限りは、客観的にその問題発生のメカニズムを理解できれば解決しうる方法はあるはずなのに、一部の先達のほかは、なぜかそのことに取り組まなかった。そう思うのです。 しばらくの間、引き続きこのテーマを考えていこうと思います。 このお便りを書き始めてからはや2週間が経ち、10月に入りました。北の庭では満開のアキチョウジの周りに金木犀の小さなオレンジ色の花が落ち、はっとするほど美しいです。塀につたって広がりはじめた夏蔦も少しずつ色づきはじめました。 あと1カ月で本格的な紅葉の季節がやってきます。冬前の庭の手入れの季節ももうすぐです。 #
by mukouno-tani
| 2014-09-16 07:09
| 子育ちと環境
拝啓 森の花畑の守人様
6月15日 久しぶりの静かな朝です。 3年前いただいたベルガモットは見事に向こうの谷の庭や畑に定着し、今年も大きな蕾をつけました。開くのは6月の終わり頃でしょうか。他の植物と混じり合いながら、少しずつ群落が広がっています。 玄関脇のトレリスに、昨年、植えた半鐘蔓が伸びてきて、小さな葉をからみつかせています。人のつくった規則的な格子と一つも同じもののない蔓。自然のものの形は、じいっと見入ってしまいます。 かみさんと末っ子娘が、今年もモリアオガエルが南の庭の池の上に枝を伸ばす紅葉の葉に卵を産んでくれれたと教えてくれました。指さす方向をみると、枝の上でモリアオガエルのオスがじっとしています。カエルスキのかみさんによれば、この短い産卵期だけ山から降りてくるメスを待っているのだそうです。 今年のニュージーランド箱での堆厩肥の仕込みが始まりました。まずは向こう側のマスの向かって左側に入っていた昨年の晩夏に仕込んだ刈草と牛糞の混合物を、向こう側のマスの右側に切り返しながら移しました。次いで手前のマスに入っていた、今年の早春3月後半に集めて仕込んだ落ち葉を向こう側の向かって左のマスに移しました。これで、今年の夏仕込む分のスペースができます。 先に仕込んだ刈草と牛糞の混合物はあと2~3ヶ月で使えそうです。落ち葉は、虫やミミズやカビ等の菌がせっせと働いているようで、一部ボロボロになりはじめています。落ち葉はこれまで畝間の抑草マルチに使っており、落ち葉堆肥づくりは今回が初挑戦です。落ち葉の腐葉土の土壌改良効果は、これまでも側溝などで自然に腐葉土化したものを使って確認済みですので、仕込んでどの位の期間で使えるようになるのかとても楽しみです。去年、ほとんど腐植層のない雑草地に腐葉土をひと坪10kg位いれてみたところ、土の保水力は格段に高くなり、病害虫に強い野菜が育ち、収量もそこそこ多く、草を使った堆厩肥より、高い効果が得られたように思うのです。 アルバート・ハワード先生も、木は草よりもより深いところに根を貼り、表土より多くの無機成分を吸収して葉に送ることから、落ち葉を堆厩肥の材料に使うことは有効であると述べています。久しぶりに、ハワード先生のTHE SOIL AND HEALTH(上) をめくってみました。これら分解された土壌鉱物(無機成分)の循環について次のように述べられています(pp59-60)。 ・腐植は植物栄養分を引き出す唯一の給源ではない。下層土、すなわち腐植層の下になる岩石が風化してできた土壌もまた重要な役割を果たしている。下層土は、いわば原料の貯蔵庫である。ここには粘土や砂などの多くの種類があり、地質学的な生成状態に大きな差がある。下層土はつねに無機成分―カリ・燐酸と多くの微量要素―を含んでいる。・・・無機成分は植物の営みを通して有機物の中に取り込まれ、そして私たちや動物の健康を維持する食物になる。 ・植物はどんな方法で無機成分を維持するのか?すべての植物の根には、どんなに微細な植物でも土壌溶液中から無機成分を吸収する力がある。・・・しかし土壌溶液そのものがどうしてこれらの物質を含有しているのか?それは主に、土壌溶液中に溶在する二酸化炭素の弱い溶解力によるものである。下層土にまではいり込んだ木の根は、そこに蓄えられている可溶性無機成分の富に近づき、この富を組織の中に吸収するようである。下層土中にある低い水位の水を吸い上げるに際して―樹木は深井戸から水を吸み上げる偉大なポンプに似ており―その水に溶解している無機成分をも吸い上げる。その後、無機成分は葉をはじめ植物体すべての部分に流入する。秋になって葉が枯れ落ちると、有機態として蓄えられている無機成分は葉とともに落下して、土壌の表層に還元され腐植となる。土地を良好な状態に維持するには落葉が重要であり、園芸家が腐葉土を重要視するの同じ理由からである。園芸家はこの方法で、野菜・果実や花卉に必要な無機成分を供給している。 ・樹木や森林の破壊は、土地にとってもっとも有害である。そのわけは、・・・土をしっかりとどめている根や、被覆物としての葉などが除去されるだけでなく、必要な無機成分の循環も停止されるからである。 今年の早春から、庭にも畑の側に、ライラックやアーモンドや杏や、オオデマリなど落葉する樹を植え始めました。そのほか、コナラやシバグリなどが実生から発芽したものを刈らずに伸ばしています。柳はかみさんが篭を編むのに使うのだと挿し木から育てています。他の樹々も季節季節に美しく花を咲かせ、ときおり実をつけてくれるでしょうが、これら落葉樹を植えた目的は、日差しの強い夏の時期の木漏れ日があるくらいの淡い木陰と落ち葉です。 「どうして落葉樹の木陰に花畑が広がるのか」 夏に守人様の森の花畑を訪れたときに、その美しさに気持ちが一杯になりながら、片方で草花はは日光をほしがるはずなのになぜ森の中で育つのだろうと不思議だったのですが、この春から落葉樹の葉の茂り方や木陰での植物の育ち方を観察し、草花の育て方を調べているうちに、その理をみつけたのではないかと感じています(そのことについて書いてある本もみつけたような記憶があるのですが、どうしてもその文章の方はみつかりません)。要点は、森に入る光のコントロールと草花がどの時期にどの位の光が必要なのかの理解ということなのではないでしょうか。 例えばベルガモットは芽吹いた春から初夏にかけてはたくさんの日の光を欲するようですが、真夏には逆に強い直射日光が葉に当たると葉が焼けてしまうことがあります。落葉樹は例えばナラ類だと芽吹くのも遅く、葉が広がるまで下の植物はしっかり日の光を浴びることができます。だから、草花が特に日の光が必要となる時期に落葉樹の葉が芽吹き広がる時期をうまく組み合わせれば、森の花畑をつくることができるのではないかと。ただ、森に光が入るようにするためには、かなり落葉樹を剪定し、枝を梳いてやる必要があるのではないかと思うのです。 そして、庭に落葉樹で屋根をつくると、イネ科の猛々しい雑草は減り、扱いやすい草も背が低い比較的やさしいものが生えるようになるのではないでしょうか。 そのことを試してみるべく、3月後半から木陰の庭をつくりはじめました。家の南側の池の紅葉の枝を梳かしながら伸ばし、その下に庭を作ってみています。ただ紅葉の樹の下は枝を梳いても陰が濃いので、半日陰でも育ちそうなアヤメ、シャガ、アシュガ,、ヘビイチゴがなどの草花を植栽してみています。植栽地は土が固く締まり、ドクダミやイネ科の草の根がびっしり張り、ヤブマメが繁茂する場所だったので、掘り起こして苗を植栽する部分に腐葉土をたっぷり入れました。草抑えのため落ち葉や刈草でマルチもしています。 6月上旬、見事にアヤメが咲きました。まだまだ雑草の勢が強く、油断するとドクダミが植えた草花達を圧倒し、ヤブマメの蔓があらゆる植物に絡み付こうとしますが、木陰のせいかイネ科の植物は生えなくなりました。シャガやアシュガは来年でしょうが、これからどう植生が変わり、土が変わり、風景が変わるのか楽しみです。枝を梳くと燃料にも使えそうな粗朶も採れることがわかってきました。 #
by mukouno-tani
| 2014-06-16 08:40
| 畑と山と食と循環
拝啓 森の花畑の守人様
4月5日に北西の畑の梅の花が、4月13日に南の庭の山桜が満開となりました。 球根族は、スノードロップ、クロッカス、スイセン、スノーフレークとバトンタッチしながら、蕾をつけ、花開いていきます。クレマチスも花蕾をつけた新しい弦をのばし、ギボウシやフジバカマやフェンネルやオミナエシや金水引も新葉を広げはじめました。 4月23日、畑ではオドリコソウが紫色の絨毯をつくり、昨年の秋の雑菜が花をつけています。 草だらけにみえるかもしれませんが、オドリコソウは野菜や花がよく土になってきた証。繁茂するオドリコソウやハコベは夏前には枯れて徐々に腐植しながら畑の土に戻ります。ススキと笹の原だった田んぼ跡に、刈草や落ち葉マルチをし、コンポストで作った腐葉土を入れはじめて6年目です。 様々な資料をまとめたり、家族のための家具をつくったり、本を読んだりしながら、色々なことを発見したり想起したりするのですが、これらのことは記録しておかないとそのまま記憶の底に沈んでいきます。沈んだものは、なくなる訳ではなく、同種のものに触発される度に舞い上がったり、脈絡化や言語化されない確信みたいになって残るのですが、違和感のある議論や他者の発言に対しすぐに思い出せなかったり、肝心なときにそのことに頭がまわらなかったり、そのことに辿りつくのに堂々めぐりの時間を費やしたり(そのようなプロセスを経て、言葉や考えは身についてになっていくのだとも思いますが)、そして、そのまま堆積するにまかせておくと、そのうち、ただ日々に追われるようになると、そのように感じるのです。 私にとって、感じたことをこのように記録し、できる範囲でも脈絡化していくことは、とても大切な日課であるのだなと改めて感じています。しかし、落ち着くのには、もう少し時間がかかるでしょうか。 5月11日、家の西側の庭では混植したワイルドストロベリーとヘビイチゴが花をつけています。栽培種のワイルドストロベリーと比較すると、野の植物であるヘビイチゴは葉も小さく、花も小さいのですが、輪郭がはっきりとしていて、野性があります。 冬越しできなかったのかなと、なかばあきらつつ、繁茂するドクダミや、タチツボスミレやパンダスミレを掻き分けてみると、大振りな濃紺の花を咲かせるサルビア・ガラニチカが小さな芽を出していました。もう1週間で芽がでなければ、新しい植物の植栽をしようと思っている矢先でした。 守人様 植物を育てること、庭をつくることは、日々の様子を観察しながら、葉や弦や花芽や、虫や気候がどう動こうとしているかじっとみつめ、よく考えて必要な場合のみ育つ方向に最小限手伝いながら、時間をしっかりかけ、結果をいそがず待つことが大切なのだと、改めて思い至りました。もしかしたら、植物だけでなく、子育ちも、家のことも、さらには、仕事のことも、社会的なプロジェクトのことも、同じ心持ちが必要ではなのかと思うのです。 ~直売所と連携した有機栽培講座開催2年目~ 5月15日、朝から2年前から仲間やご理解を頂いている直売所と連携して、実施している有機栽培講座の研修農園を手入れしました。直売所で販売できる有機栽培や自然農法の野菜をつくる方が増えないかと思っていることは勿論ですが、関心の強い若い人達と、より年上の直売所出荷者やより様々な地域住民の方々とどうしたら一緒に勉強できるか状況づくりを試してみることも主題としています。研修農園では、沢山の発見があります。 ニンジンの芽 これは、1年前、2013年の春の研修農園のニンジンの芽です。 向かって左と右で芽の生え方が違うのがわかるでしょうか。左の方が右よりたくさん芽が出ています。農園は採土のため山を切った真砂土の空き地であり、土には全く腐植も栄養分もなく、吹きっさらしのすぐ乾燥する植物が育つには過酷な環境です。特にニンジンは発芽まで湿度が必要ですが、みんなの都合で1週間に1回位しかやりができません。 この環境で、播種時に、左側には腐葉土だけ混ぜました。右側には米ぬかと油粕で作ったぼかし肥だけ混ぜました。そして、播種のとき、たっぷり水をやり1週間後、結果は明確に現れました。腐葉土を施した部分は沢山発芽し、ぼかし肥の部分の発芽は少なくなったことを確認しました。 1年前(2013年)の初夏の研修農園 人参や小松菜のあと、同じように腐葉土を施しながら、トマトや、インゲン豆、モロッコ豆、枝豆、ネギ、サツマイモなどを植えていきました。枝豆やサツマイモは栄養分の少ない過酷な環境でも育つようにと、自然農法を30年やられている無施肥で育つ苗を分けて頂いています。ナスやピーマンやその他の果菜類は、真砂土の、痩せた水のあまりやれない土地なので、この年は植えませんでした。このような環境なので夏は地表は40度以上になり、乾燥が著しいと考え、できるだけ畝の上には草や半熟の腐葉土を敷いています。 ソルゴーの壁で畑を囲む 1年前(夏)です。後ろに背高く伸びている植物はソルゴーで、畑の周りには春に蒔いて壁をつくっています。これは風よけであるとともに、野菜を食べる虫への壁になり、その虫を食べる虫を食べる棲家にもなる。また、この圃場は山を切った風の強い場所にあり、そのままだと風で野菜の根は大きく揺すられ根がダメージを受けることもあるそうですが、この壁はそれを防いでくれるそうです。 その年、耕土層(鍬で耕せる土の層の深さ)が30cm程度と浅く、根が土に深く張ることができないのですが、大風が吹いても作物が倒伏することがありませんでした。虫もそこそこ発生しましたが、大発生には至りませんでした。 なお、ソルゴーは、4月末頃、畑の周りを軽く耕して、適当に堆肥を薄く施し土と混ぜた上で、2列、筋播きで蒔いています。 2年目 新たに原野を起こして研修圃場をつくる 今年(2014年)の3月末。新しい挑戦が始まりました。20年来使われず、原野化した農地を、新たに有機栽培講座研修農園にすることになりました。 ここは、7~8年前まで桑の木が生えていて、その後、木は伐採され、草が生えるがままにされていたそうです。土は斐伊川沿いにあるため砂地で、みるからに栄養分がなく、肥料持ちが悪そうです。一面に、スイバとヨモギとヒルガオとイネ科の雑草が生えています。 分析結果によると、pHは5.7と中酸性で若干酸性寄り、石灰と実物に必要なカリが不足し、土中に腐植が少なく、また肥料持ちが悪い土壌のようです。したがって、いつもよりたくさん腐葉土を施肥することが必要だなと、いうことになりました。 一般的に、化学肥料を使う農法では、重い耕運機で何回も表土を抑えて土の中に水や肥料が通りにくい層(硬板層)をつくり、その上を耕して使用するそうですが、根をしっかり張らせて成長させる有機栽培や自然農法では、硬板層は植物の育成の妨げになります。そこで、そこで最初に、畑を深く掘り、硬板層のありなしやその深さをまず確認することが必要とのことです。そして、硬板層がある場合は、先に機械を用いて砕いたり、地中深く根を張る大麦やマメ科の植物などで徐々に砕いていくのだそうです。 この畑を掘ってみると、砂地であり硬板層はありませんでしたが、30cmより下は、まったく腐植のない砂で、肥料持ちのとても悪く、水持ちも悪い場所であることがわかりました。 今年(2014年)の4月中旬。水持ちと肥料持ちが悪いので、10m×1mの畝に、30リットルの腐葉土を混ぜ合わせた上で、赤のリーフレタスの苗で挟んで小松菜の種を蒔きました。小松菜は30cm間隔で4~5粒ずつの点蒔きです。リーフレタスの苗は腐葉土と鹿沼土の培養土で育苗したものを参加者から提供して頂いたもので、根張りがとてもよく、乾燥が強く、風も強い場所でも萎れずにしっかり生長しています。 キク科のレタスとアブラナ科の小松菜はお互いの葉を食べる虫を忌避させる植物(コンパニオンプランツ)で、近くに植えると虫食いを軽減できるといわれています。また、赤色はアブラナ科につく虫が嫌うといわれています。 これは約1ヶ月後、5月中旬。小松菜とリーフレタスは立派に育ち、この後、収穫され直売所に出荷されました。同月、畑の周りにバンカープランツとしてソルゴーが播種され、腐植が少ない農地でも育つジャガイモ、トマト、ニンジン、ショウガ、ゴボウ、乾燥に強い小玉スイカなどが作付されています。 また、6月の初旬には、ダイズ、ポップコーン、サツマイモを新たに定植する予定です。 2014年6月2日朝。再び、向こうの谷の庭です。 朝、南の庭の植物をのぞいていると、新しい事実を発見しました。庭には、フジバカマ、ドクダミ、ラベンダー、サルビア・ガラニチカなどを植えているのですが、その間からハコベが伸びて勝手に繁茂しています。 ・雑草で土地をカバーしておくと、雑草の花や葉にも虫が集まるので、大切にしたい植物だけが攻撃されることは少なくなる。この場合の「カバー」とは、雑草をぬいて地面においておくという意味ではなく、雑草をぬかずにはやしておくという意味である。偏食タイプではないナメクジは、雑草が生えていれば、わざわざ高いところや遠くまで食害に行かなくてもよく、手近な雑草ですませてくれる。…そうはいっても庭の場合、雑草がぼうぼうに茂っていると見栄えが悪いので、ある高さのところで刈りそろえておく。…3センチでも5センチでも、自分が見苦しくないと思える高さでよい。昔の原っぱは、そういう感じだった。(p29) ・グランドカバーは、芝だけではない。むしろ単一の芝よりも多種多様な雑草が生えているほうが、ある特定の虫が大発生したり病気になったりすることを妨げる。そして、刈りとった雑草はよく乾かして草木灰にするとよい。(p29) …ヨモギなどを庭に生やしておくと、ヨモギ好きなアブラムシが発生してくれる。テントウムシは、どんなアブラムシでも食べるので食べるので、ヨモギ以外の樹木や草花につくアブラムシも食べてくれる。(p30) このことを確認し、向こうの谷の庭の雑草の管理方法を変えました。ハコベやウシハコベなど虫の食草になる雑草は、草花の生育に妨げになるほど茂った場合のみ、根から抜かずにちぎることにしました。そうするとどうでしょう。やわらかそうなフジバカマの新芽へのバッタに食害がさらに目立たなくなくなりました。 畑でも同じ考え方で、雑草との付き合い方を少しずつ変えてみています。ところどころアブラムシの好きなヨモギの群落を作ったり、虫が好んで食べるギシギシをある程度残したり、ハチが好むレモンバームを植栽したり、土を肥やす白ツメ草もできるだけのこしています。 草だらけにみえるかもしれませんが、草があるからできることもあります。枝豆やトウモロコシの種は鳥にみずからずに本葉を出しています。のび過ぎた雑草は駆られて野菜の根元に草抑えや乾燥抑えのため敷かれます。 守人様。やはり、庭は、自然の営みの理や、人が自然とつきあって生きていくために理解しておくべきことを学べる、自然に向かう人の暮しの窓です。畑や山でも同じことを学べますが、もっとも日常にある身近な存在だと思うのです。 今年から、果樹や落葉樹とのつきあい方や、虫や鳥とのつきあい方もすこしずつ勉強していこうと思っています。こころ静かに、ゆっくりと色々な生き物のうつろいと変化を観察しながら、庭づくりをつづけていこうと思います。 #
by mukouno-tani
| 2014-04-22 06:58
| 向こうの谷
データまとめながら書いている途中・・・
自分たちの燃料代、電気代の内容や使ったお金の行先を考えはじめてみると 農山村に暮らす私達も、自分達の日々のお金の使い方は不明確なことが多いと思う。さらに、使ったお金が子ども達の将来に役立つように地域で生きたものになっているかに至っては、殆んどわからない状態ではないだろうか。 例えば、月々の暖房や給湯に使う燃料代、電気代、車の燃料代がどのくらいか、家計の中で占める割合は?と自分に問えば、明確に答えられない。いわんや、燃料や電気を買うと、どの程度が地域に暮らす方々の収入につながり、どの程度が都市や外国に流れ出ているかについて、実は、燃料や電気の販売店も、行政も研究者も答えられないだろう。 農山村の家族の燃料代や電気代を調べようと試みてわかったことがある。国も都道府県も色々な調査をしていて、それは農山村(中山間地域)の市町村も職員さんがかなり協力して実施しているのだが、農山村の世帯の家計を把握するデータは極めて少ないし公開もされてないのだ(例えば、大学等の研究者が使用する有名な統計に家計調査年報や全国消費実態調査というものがあるが、これは都市部中心にまとめられており農山 村の実態は把握不可能である)。 地域版家計調査ソフトをつくって、とりあえず調査開始 しかし、農山村の地域づくりに取り組むにも、脱規模の経済を主張するにも、地域のエネルギーの自給度を高めるにも、地域で子ども達が暮らす条件を整えるにも、 まず、自分達がどのようにお金を使っているか、自分達の使ったお金がどう動いているか、大雑把にでも現状をデータで捉えることが必要である。 「自分の生活を見回してみると、当たり前のようにテレビやパソコンや炬燵があり、ボイラーや給湯器があり、車があり、悲しいけど我々の生活は,自覚不可能なほど燃料や電気を使う様々な装置や器械と、もたれ合ってしまっており,一度洗いざらい数字化(みえる化)してみないとわからない状態に なっている。」「自分達の体質改善をしようと思うなら,客観的に自分達の健康状態を把握することも大切だ。」そう考え、知人や同僚達と家計経済循環研究会 通称家計研 をつくり、農山村の家族の食費や光熱費や教育費をはじめ様々な支出の調査をすべく相談をはじめた。 まず,直面したのが調べる方法だった。例えば家計調査年報など国のメジャーな調査方法はとても複雑でかつ農山村の世帯の支出を把握する内容になっていない。そこで,まず調査対象 者に家計簿感覚で使ってもらえ,かつ年間の支出データを記録できる『地域版家計調査ソフト』を開発した。 調べてみた農山村に暮らす子育て世帯がエネルギーを利用するのに費やしている支出は このグラフは,島根県の農山村に暮らす子育て世帯35世帯の1年間のエネルギーへの支出を項目別に並べ替えたものである。みんな小さな都市部まででも1時間前後はかかる地域に暮らしており,所得規模は様々なので,概ねその平均値としてみてもらうといいと思う。 (書いている途中) #
by mukouno-tani
| 2014-02-27 08:03
| 野研ノート(社会)
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