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拝啓 森の花畑の守人様
5月14日の朝、家の南にある紅葉の樹の下の風景です。 子どもにも手伝ってもらいながら、次々と苗ポットへの種まきをしています。オミナエシ、セージ、バジル、カモミール、大豆、落花生、ヤマユリなど。あとサラダバーネット、クレソンが残っていますが、今回で種まきによる春の苗づくりの作業はおおよそ終りです。種は、まだまだ市販のものに頼っていますが、今回はオミナエシ、ヤマユリは自家採取のものに移行しました。 庭づくりについていえば、ここ2年余り、苗の自家生産に取り組みはじめてから、思い切って苗を使えるようになり、庭が形になるまでがだいぶ早くなるように感じていますので、引き続き種の採取・保存・利用を充実させていきたいと思っています。 そして、5月の後半からはさし芽による苗づくりが始まります。 連休明け、仕事の方も他のことにも攻められている感があります。見えていない所からすごくたくさんのボールを投げ込まれ、忙しくこっちかなと思う方向に、打ち返してみながら、もう少し心静かに、落ち着いて対処した方がいいなと、こころもとなく思っている、そんな感じです(絶不調という訳ではないのですが)。 毎朝、読書をするのが日課なのですが、そのような中で、「なるほど」と感じた文章を少し書いてみたいと思います。 本は内田樹先生の『困難な結婚』です。なお、ちなみに、この本タイトルと内容の一般性には、ギャップがあり、私を取り巻く状況とタイトルには何の関係もありません。 …僕の経験から申し上げるなら、自分の心身の不調は無数の微細な不調の算術的総和によるものです。だから、ひとつひとつほぐしてゆくしかありません。今日会ったら「昨日はごめんね」と職場の仲間に謝ろうと決意し、歯医者の予約を取り、「ダイエットするぞ」と心に誓い、出かけるついでにクリーニングにネクタイの「しみぬき」を頼んでゆく、というようなちまちました補正によって「コップのふち」までたまっていた水を、「コップのふちから指1本分」くらいまで水位を下げる。 …ひとつひとつの「うまくいかないこと」はそれほどたいしたことでじゃないんです。ひとつだけ単品で登場したら、「はい、はい」と手際よく片付けられるようなものなんです。でも、その数が閾値を超えると人間はパニックになる。だから、「うまくゆかないこと」の数をひとつひとつ減らしてゆく以外に手立てはありません。(PP239-243) ああ、なるほどなと思います。大事なのは小さなものからでいいから、こつこつと丁寧に打ち返し、球数を減らしていくことなんだな。と、そして、もう一つ、読書のあと、山の中を散歩して、少し庭の植物を様子をじっとみたり、手入れしていたりと動いていて改めて気づいたのですが(これも日課なのですが)、『植物のスケールやリズムに頭や身体の速度をあわせる』ことも、とても大切なことだと思っています。 これは種まきしたレモン・ベルガモットの新芽です(すごく小さな芽が2つでているのがわかりますでしょうか)。芽の大きさは2~3mmで、よくポットのなかを覗き込まないと、あっさり見過ごします。 忙しくてできなかっただけで、時間があれば、去年、私は待たずに、その枯れたと思った株を掘り返して、新しい苗を植えたり、または気づかずに刈り払い機で刈っていたと思います。 そして、また次の展開がありました。一昨日、この幼木を確認してみると、また、葉が水が切れたように萎れかけています。もしかしたら、また、根に虫がはいったのかもしれません。 そして、そのとき感じました。僕ははずいぶん早合点しながら、急いで暮らしているのだなと。 植物たちは、毎年の気候やその他の様々な自然の変化を素直に感じ取りとり、じっと、生きようと自分の足並みで芽吹き、葉を開き、花をつけ、枝を伸ばし、実をつけます。そして、小梅の幼木を望みながら、せめて、素朴に、この足並みを感じていられるようにあろうと思いました。そうしないと、本来、気持ちよく毎日を生きていくために、大切にしておかなければならないことを、見過ごしてしまうように思うのです。 今朝、畑を見回っていて、4月後半に植えたチョロギの芽がほぼ全部芽をだしていることを発見しました。「生き抜くための農園」そして「利用する庭」づくりを考える中で、今年はじめて導入しました。シソ科で根を食し、美しい花を咲かせるそうですが、新芽はとてもミントと似ています。 5月22日朝、早朝の散歩から帰って、少し空いた時間で、サラダバーネットの種を播いたポットを20コつくりました。明日は、あと半分つくるつもりです。6月の前半まで種を播き、毎日、土が乾いてないか、小さな芽ぶきがないか忘れないようにポットを覗き込む、そのように、日々を過ごしたいと思います。 #
by mukouno-tani
| 2017-05-15 07:22
| 畑と山と食と循環
拝啓 森の花畑の守人様
2017年4月22日。向こうの谷の家の庭には3週間前まで屋根から落ちた雪の塊が大きくあったのですが、いまは春爛漫です。今年は、忙しい中でも、しっかり自然の恵みを頂こうと思い定め、2017年はじめての草摘みをしました。ウルイ(ぎぼうし)、こごみ、たらの芽です。すべて、庭で収穫したものです。最初の頃は、天ぷらにして食べることが多かったこれら山菜ですが、最近は、ホウレンソウや小松菜のように、茹でて、気分で醤油やポン酢とかつお節などをかけて頂いています(天ぷらが結構胃にもたれるのもあるのですが、家族みな山菜それぞれの風味や苦みをより好むようにもなってきていることもあります)。 この数年、自家菜園で小さな実験をしながら、自分が向こうの谷の菜園でやっていることについて、最初の動機といまの自分の”感じ”に間があるように感じていて、どう理解しようとと考えていたが、少し前に知人と言葉を交わしていて、言葉が定まった。 『生き残るための農園』 もう、「豊かさ」を主張し、求める時代は終わってしまったのだと思う。時代は残念ながらより厳しいものへと移行した。 家族や子ども達が、20年後、30年後、暮らしていくためには、生き残る術をきちんと身に着けている必要があるのだと思う。そのために身近な素材(資源)を極力使い、今まで私達が身に着けてきた科学的思考も用いて、より合理的に、余り手間をかけずともできる作物の栽培方法、自然農法、有機農業の技術を身に着けていくこと。願わくば、そこに機能美が備わることを願う。 あまり、寄り道せず、それに向かっていった方がよいと思い定めた。 それでも、観賞用の庭でなくても、庭が家族の暮らしときちんとつながっていて、丁寧に利用されていれば、庭はきちんと美しくなるのではないかと思い、前に読んだ庭の歴史をまとめた本をめくっていると、いまではガーデニングの代名詞であるようなイギリス中世の修道院の庭について次の様なことが書いてあります。それはとても実用志向で現在の形とは全く異なるものでした。 …分かっていることのうちでいちばん確実なのは、主たる造園主が修道士たちだったということです。…修道士たちは頭が良く、立派な庭を造るための知識と組織がありました。それに修道院が自給自足だったことも、彼らを庭造りに向かわせる促しとなりました。…しばしば修道院は地域全体の病院や薬局の役割をはたし、それゆえ修道院の庭は公共的にも重要な意味を持ちました。 …菜園の敷地はびっくりするほど狭く、それがいろいろな作物を植えるためのきちんときょ形に区画されていました。葫、分葱、チャービル、レタス、セイヴォリ、ヒソップ、うい香、キャベツ、麦仙翁、玉葱、リーキ、セロリ、コエンドロ、イノンド、芥子、ラディッシュ、ニンジン、ビートなどの名がきわめて早い時期の記録にみられます。 …修道院はたいがい塀の外に土地を持っていて、菜園や薬草園以外にも果樹園や葡萄園、養魚場、豆畑などに充てていました。また、裕福な修道院の場合には、行李柳や畑や森、農地などもあって非常に大きな地所になっていた筈です。果物は普通一般のもののほかに珍しいものもいろいろあり、…リンゴ、梨、桜桃、マルメロ、桑、西洋花梨、葡萄、桃、苺、ナッツ、それにおそらく無花果など-でした。 …花はどうでしょう。中世にはどんな花が育てられていたかはかなり良く分かっています。-薔薇や百合の花が好まれ、さらにイアイリス、菫、立葵、忍冬、芍薬、ラヴェンダー、ツルニチニチソウ、苧環、また薬用として数十種のまだ品種改良されていない野菜の花がありました。…中世の花のもっとも有益な目録は、十二世紀にサイアランセスターの大修道院長であったアリグサンダー・ネッカムがまとめたものです。…彼は庭は薔薇、百合、ヘリオトロープ、菫、マンドレーク、喇叭水仙、アカンサス、さらには野菜や料理と薬に用いるハーブのたぐいで飾られるべきだと言っています。その多く、たとえば瑠璃ちぎ、芥子、矢車草、ジギタリスなどは、もちろん実用だけでなく装飾としても用いられたことでしょう。(PP20-25)」 これは日本でいえば戦前まであった農家の菜園に近いものなのかもしれません。なぜなら向こうの谷の集落の80代後半のおばあさんは花や木の実や野草の利用に対するとても該博は知識をもっておられ、花もとても愛でられたおられたからです。逆に、逆に無双国司さんに端を発する日本の庭園の概念とは全くことなるものなのでしょう。 先にも述べた通り、向こうの谷の『利用するための庭』でキーになるのは、多年生(宿根性)の食用、薬用になる植物を中心とした栽培体系と、実や葉を食べられる樹木の剪定方法ではないかと考え、少しずつ情報収集と実験をはじめています。少し実験例をご紹介します。 これは同じ畑の北際の日当たりのいい箇所で展開している、果樹と多年生の食用植物のゾーン(4年目)。いまはハコベに覆われていますが、初夏になればまた様子が変わってくると思います)。手前はクズベリーとブラックベリー、その向こうの向かって右側にはポポー、コオニユリ(ユリ根)、ウド、レモンバーム、それにチダケサシやミツバやイチゴやワイルドストロベリーも混ざっています。向かって左側はアスパラガスとイチゴの混植畑です。 一昨年だったでしょうか。庭における木陰の大切さを確認して、家の南側にある大きな紅葉の樹の下で、半日陰の庭づくりを始めたのですが、3年目になり随分まとまりができてきました。落葉樹の樹の下の木陰は季節によってすごく変化します。早春のスイセンが咲く季節には、若芽も出ておらず樹の下は日向であり、4月から5月前半の春のヒメシャガやスノーフレークが満開になる頃には新芽が芽吹き薄い日陰になってゆき、強い日差しのある夏には葉が開き、濃い日陰になる。そして、落葉樹でも種類によって、葉が開いたり、枯れて落ちてる時期も違う。そういったものも確認しながら、一つ一つ樹を植えていく必要があるのだと、庭づくり5年目にして改めて感じています。そして、これは”利用する庭”を作っていくにも大切な視点なのでしょう。 今、家の南の大きな紅葉の樹の下では、芍薬の蕾が次々と開き、スノーフレークやヒメシャガが満開です。百合やコゴミの新芽も開き始めました。その移ろっていく庭の美しさは、頭や身体を静かにしてくれます。そして報われている気持ちをもたらしてくれます。やはり、庭にはそのような高い効用もあるのだと、再確認しています。そして、この風景を、かみさんや子ども達はどう受入て、この先の人生で、関わり、関わられていくのか。私はとても興味があるのです。 これらの”利用するための庭”が夏、秋とどう変化していくか、隣り合う畑にどう影響を与えていくか、また書いていきます。 #
by mukouno-tani
| 2017-04-26 09:08
| 畑と山と食と循環
拝啓 森の花畑の守人様
2o17年3月15日。先週、向こうの谷の最後(たぶん)の雪が降り、今週から急速に春の気配が強くなりはじめました。 今年の雪はとても重かったらしく、畑では2年越しで使用していたコンポスト箱が半壊し、家の横の物置古屋の解体中の壁が一気に倒れ、庭の通路を塞いでしまいました。暖かくなるとこちらの身体も動くもので、週末からコンポストの改修や古屋の応急処置や庭や畑の準備に随分時間を使いはじめています。 コンポストは、家庭の生ごみや畑の作物残さを堆肥化するために設置していますが、今回、これまで使っていた単独式から2連式に切り替えました。これで、左で出来た堆肥を使っている間は、右に生ごみや残さを投入することができ、より使いやすくなるのではいかと思っています。それに、2連式の方が構造的に丈夫なので、これで雪の重みにも耐えられればいいなと(なお、今回のコンポストはほぼ近くの資材店で頂いた廃棄予定のパレットを使って作りました。また、その他の改善点としてはいつも最初に腐りが入る接地面にブロックを挟み、直接、パレットが地面に触れないようにし、コンポストでいい堆肥を作るには雨水が極力入らない方がいいことを痛感したので、風で飛ばない頑丈な屋根をつけています。コンポスト作成はこれで5基目です)。 前回、書いたのは昨年の8月でしたね。それから約7か月。随分間が空いたものです。 40代の終りに近づき、生まれて今日まで生きてきた長さと同じ長さをこれから生ることはないだろう、なのにです。 大切なのは、この7か月僕や家族が自分の手で何をしてきたかということ。知人達がどのように生きてこれられたかということ。 1時間の単位でも、1日でも、1月でも、1時間の単位でも、そのことを意識しておくこととが、大切なことだと強く感じています。 これから春になり、そうなると冬までは畑も庭も家も森も忙しいので、今のうちにと、今年やることやそれ以降のことを考えたりしていますが、残念ながら、これからの時代は、これから自分と大切な人達がどう舵を切っていくか、”先のことを予測しながら生きる”ことがより重要になってしまったのだなと、思い至りました。 ”先のことを考える”ことはよく大切だと言われますが(私も言われてもきましたが)、そこには危うい罠がたくさん潜んでいると思います。 『いまのうちからしっかり勉強していい成績とっておかないと、いい大学に行けず、いい就職できないよ。将来のことちゃんと考えている?』 『毎月家賃払っているなら、一層のこと同じ月払いの額でローンを組んで家買ったらいいじゃない。資産にもなるし。将来のことしっかり考えいる?』 そもそも、やってみると自分が楽しいこととは何か?働くって勤め人になることなのか?いい大学って何か、そこに行って知りたいことは何か? なぜか、そのようなことはさておき、はやければ小学生から勉強する(テストでいい点をとる)ことに身体と頭の大部分を使わざるを得ない環境に置かれてしまう。 家を買って、家賃と同じ額のローンを毎月払うようになったが、これから20年、いまと同じ水準の収入を得ることが決定し、その時点から20年間の働く時間や働き方がおおよそ決まってしまう。 そう。”将来のことを考える”という言葉は、どちらかと言えば、このように作用することが多いのではないかと思うのです。大切な人が自分で大切な選択を行うその時のために視野を広げようとすることに傍らでちょっとおせっかいすることと、(自覚しているかしていないかは別として)無責任に影響力をもっておせっかいすることの境に明確に線引きすることは難しいですが、だからこそいつも意識し、考え続けておくことが必要だと思うのです。 傍らで、この様なことを思いながら、仕事柄、色々なデータに触れることが多く、どうも僕らの子ども達が生きる時代は、これからの時代は40代である僕らの時代より非常に変化の大きい期間になるように感じて仕方がないので、敢て、”先のことを考える”ことをしてみました。自分達親の歳と子ども達の歳と、私が接点の多いデータである、いま暮らしている地域や町や島根県の人口の将来予測や、もしかしたら子ども達が将来職を持つことを考えるかもしれない東京都、広島市、松江市等の都市部の人口の将来予測を重ね合わせてみたのです。 ここに挙げている私達が暮らす山間の町、島根県の田舎(中山間地域)については、いずれもかなり希望的観測に基づくものです。10年後には地域に入ってくる若者が地域から出ていく若者の数と均衡するぐらい都市部から田舎に若い人が移り住んできて、かつ、女性が一生涯に産む子どもの数(合計特殊出生率)が現状の2.0(一生涯に2人の子どもを産む)を下回る水準から2.0を上回るようになる仮定の上での数字です。日本の将来人口推計については合計特殊出生率は現状を上回るという予測の上での数です。対して、都市部の数字は現状のまま推移すれる前提の数字です。なぜなら、元々、田舎は都市部と比較して合計特殊出生率が高く、人口規模も小さいので都市部から若い人が移住してくれば人口減や高齢化を緩和できる目もあるのですが、都市部では今以上に出生率を上昇させ、かつ地方(これから人口が減る)からの転入を維持することもかなり難しいと思うからです。 まず、田舎(向こうの谷のある町も含め)では、仮に、いま以上に出生率が上がり、都市部からの転入があるという希望的観測に基づいても、2040年(高校1年生、中学2年生、少学4年生である向こうの谷の子ども達が30歳になる頃)には、人口は多くてもいま(2015年)の4分の3です。もしかしたら半分位になるかもしれません。高齢化率はというと、すでにピークにきているので、仮に出生率や転入増がなくてもこれから極端に上昇することはなさそうです。 そうすると、将来、私達家族がこの町に暮らし続けるとすれば、将来、子ども達は大人になり家庭を持つようになり、私と妻は年をとり高齢者になるこの20年間で、地域でも学校でも職場でも人が減り、色々な業種でもお客さんがどんどん減っていく状況を経験するでしょう。 (なお、私は人口が減ること自体、悪いことだとは思っていません。明治期以降、日本の人口は異常なくらい増えており、例えば、何らかの要因で食料や燃料の輸入が止まれば、すぐさま日々の家族の食事や暖をとるのに困り果てる状況と背中合わせの状況にあるからです。たとえ人口減少期に一時的に沢山の高齢者を社会が抱える困難期があるとしても、今より少ない人口規模に移行する方がいいと思っています。そのことには諸論あるので、今は傍らにおいておきます)。 次に、都市部(向こうの谷にある町にある程度近い、松江市、広島市、そして東京都)は、これから人口減と高齢化が同時に進行するので、このままいけば結構厳しい状態になるように思います。身近な松江市や広島市、東京都でも、2040年には人口はいまより約1割減り、高齢化率は10%上昇するようです。またそれ以降もこの人口減少と高齢化率の上昇は続くようです。いま私の暮らす町の病院に行くと通院されている方の大部分はお年寄りで若い人や子どもは殆ど見かけません。そして、ときおり私が田舎から都市部に仕事で行くと驚くのは若い人の多さですが、2040年には都市部もいまの田舎並みにお年寄りの多い社会になるという感じでを持っています。 たとえ、これら都市部で経済力がいまの水準で維持されたとしても(これもかなり難しいと思いますが)、例えば現在の水準で医療や介護制度や年金や、困ったときに利用できるような福祉制度は維持できるのでしょうか。また、現在でも社会問題になりつつある空き家や空きマンションや空き団地、道路や橋や上下水道など老朽化するインフラへ十分な対応はできるのでしょうか。仮に外国の方がこの国でいまより沢山働くようになっていても、田舎よりはるかに地域の支え合いがない都市部の社会関係の中で、1人の若者がいまより多くの高齢者を支えなくてはならない状況で、家庭でも職場での若い人への負担がいまの水準で留まるということがあるのでしょうか。そのような中でその時代で子育てをする人達がふつうに、ときおり心を静かにして、自分や家族を見つめ、社会の情勢を判断して暮らしていくことができるのでしょうか。 仮に、いま高1、中2、小4の子ども達がこのような都市部に暮らし、家庭を持ち、子育てするとしたら、上に述べたような時代の渦の中で健やかに暮らしていくことはかなり難しいことだと思うのです。 以上のことは全て予測に過ぎません。しかし、大切なのは、私や私の家族や私の友人達が、これから20年の間に、平安時代からずっと続いてきた人口増加傾向が終わり、はじめて人口減少と極度の高齢化といういままで経験したことのない社会の変化の渦中にいる可能性が高いと想像しながら、鍛えておくことだと思うのです。 いま子達と暮らしながら親として一緒に鍛えられることは何か。1つ目はできるだけ彼らが視点を高めと視野を広げるように手伝うこと、2つ目は暮らしをつくる力をつけるよう手伝うこと、3つ目は想定外の状況に対応できる身体と頭になるように手伝うこと、単純ですが、そんなことではないかと思っています。 この3つのことについて、いい機会ですので少し、考え進めてみます。 ”視点を高め、視野を広げる”というと、知識を増やすとか経験量を増やすとか、旅に出して見識を広げるというイメージもあるような気もしますが、ここで言うのは、例えば、「ご飯のあと片付けの時に自分のことだけではなくてそのあとのお母さんの台所作業のことにも気になる」とか、「ご飯を作るときに跡片付けのことまで考えてしまう」とか、「お皿とかコップが机の端にあり気になって置きなおす」とか、「机の角が小さな子の目の位置と同じ高さで気になる」とか、「気温や湿度の急な変化や、自分が近づこうとしている建物や茂みや、あるいは人になぜが違和感を感じてしまう」そんなことでしょうか。言葉や知識のことはあとでいい。身の回の人や諸物とその周りの様子にまで目がいっている。そんなことだと思っています。 ”暮らしをつくる力をつける”とは基本的に自分の身近にあるもの、自分でその時点で使えるもので、その日を生きる環境をつくれることかなと思っています。「そのときあるものでおいしいご飯をつくる」とか、「料理しているとき包丁の切れ味が気になり必要があれば自分で砥ぐ」とか、「ゴミを堆肥にできる生ごみとその他のごみにせっせとわけられる」とか、その延長線上で、「いい堆肥とわるい堆肥や、堆肥の使い所がわかる」とか「天気や地温や土の様子をみて種の播き時を考える」とか。「道具がないとき身近なもので代用する」とか、その延長線上で「なければ道具をつくるとか、自分のやりやすいように空間を改造する」とか、「身近なもので自分の暮らす場所をつくる」とか、「買って手に入るものではどうしても気に入るものがないから、自分でつくった」。何となく、少しずつ自分の手でできることを増やし、それを組み合わせてもっといろんなことができるようになる。そんなことでしょうか。 ”想定外の状況に対応できる身体と頭になる”については、私の一番苦手なことです。どうも身体をつくろうとすると、腹筋やマラソン的な発想になり、やっているとあちこち痛くなってきて長続きしないのですが、最近、本を読み、友人と話していると、自分が繰り返しやっている間違えとは、例えば動ける身体をつくることと筋肉つけることの違いや、身体をいじめることと長持ちする身体をつくることの違いがわかっていないことからきているように感じています。この春、遊びに来てくれた韓氏意拳を学ぶ友人がこう言っていました。「筋肉は数日で作り変えられるが、骨は数年、腱や関節は100年以上かけないと再生されないのに、筋肉のみを意識して負荷をかけるトレーニングやストレッチを続けるから、肩を壊すとか膝を壊すような一生治らないけがすることになるのではないかと」。「大切なのは自分の身体の声をよく聞くことで、身体を伸ばしていて痛いと思ったら、無理をして伸ばさす、どこが痛いかしっかり探っていくことだ」と。 内田樹先生は人の生き方や社会の捉え方について幾つもの本を書かれている著作家であり、自ら合気道の道場を主催される武道家でもありますが、『困難な結婚』という著書で、このようなことを書かれています。これは武道論ですが、”想定外の状況に対応できる身体をつくる”にも大いに通じることだと思うので引用してみます。なお、『困難な結婚』というタイトルと次の文章の内容についてミスマッチを感じるかもしれませんが、いい本ですので機会があれば確認して下さい。 「武道の修行というと、体力をつけたり、闘争心を高めたり、格闘技に長じたりということをめざしているとお考えの方もおられるかもしれませんが、それは武道の修行の本来の目的ではありません。合気道に限らず、武道をいうのは、本来「どうしてもいいかわからない状況に立たされたときに、適切にふるまうことができる」能力を開発するためのプログラムです。…(中略)…「どうしていいかわからないとき」には様々な種類があります。天変地異に遭遇するときも、親しい人、愛する人を失うときも、あるいは仕事に失敗したり、病気になっとりしたときも、私たちは「どうしたらいいかわからない」という状況に陥ります。…(中略)…でも「どうしていいかわからない」場合でも、わかるひとは「とりえず何をすればいいか」がわかります。それは「失ったもの」を数え上げるのではなく、「まだ手元に残っているもの」を数え上げることです。不意に、たくさんの貴重なものを失ったあとでも、まだ私たちの手元には「価値あるもの、たいせつなもの、信頼に足るもの」がいくつか残されています。それを数え上げ、そのような価値あるものが自分の手元に残されたことにまず感謝し、それらその手元に残された資源を最大限に活用して、また新しいものをその場から作り出すこと。それが「どうしていいかわからないとき」の適切なふるまい方です。 武道はそういう状況に対応する心身の能力を高めるための、組織的な訓練です。武道では、「敵が襲ってきて、自分の心身の自由を損ない、可動域を制約する」という形で初期条件を設定します。…(中略)…武道の場合は、さいわいなことに、「相手」というものがあります。相手は私たちを攻撃し、私たちの心身の自由を損なうものであると同時に、私たちにまったく新しい動きの機会を提供してくれる存在でもあります。…(中略)…この「ひとりではできないが、相手が何かしかけてきたせいで、できるようになったこと」。これは「まで残された価値あるのの」ではなく、「いま、相手が私に贈ってくれたもの」です。武道的なつよさというのは、ある状況に置かれたときに、「自分にまだ残された価値あるもの」に「いま、相手が贈ってくれた価値あるもの」を加算して、それを素材に「まったく新しいもの」を創造する能力のことです。 これを「臨機応変」と呼んでいもいいし、あるいは禅の言葉を借りて、「随所の主となる」と呼んでもいいと思います。どのような状況に投じられても、まるでその状況を自分が進んで作り出し、選びとったものであるかのように、堂々と、余裕をもってふるまうことができる境地、それが私たち武道家のめざすところです。 …(中略)…私の師である多田宏先生は「道場は楽屋、実生活は本舞台」ということをよくおっしゃっています。道場は楽屋です。そこではどんな失敗をしても許されます。どんな実験的なことを試みても構わない。「道場では真剣な態度をとり、道場を一歩出ればリラックスする」のではありません。逆です。道場ではリラックスして、あらゆる状況に対応できる心身の能力を開発し、道場から一歩外に出たら、そこで学んだすべての技能と知見を活用する。(P109~112) こでの”武道”を”身体を鍛える”に置き換えて考えてみて、自分としての”想定外の状況に対応できる身体をつくる”ことについての基本的考え方が随分整理されたように思っています。そしてこれから武道を極めようとするのではな自分や家族(たぶん)にとって、どういう鍛え方があるか探っていこうと思います。そして、まだ始めたばかりで、とてもお話しできる状況にはなっていないのですが、鍛えることについて、友人から教えて頂いた型を基に新しく鍛える試みをはじめました。これが、家族や親しい人達のこれからの時代のリスク管理や柔らかく暮らしていくことに繋がるといいなと思っています。 4月17日、朝、山道をいつものように散歩していると、日のあたる斜面によく太ったワラビが出ていて、早速、摘み取りました。アクを抜き、たたきにして夕食で頂きたいと思います。今年は、改めて、このようなことを、家族と一緒に丁寧に生活の中に取り入れていこうと考えています。少し飛躍があるかもしれませんが、そのようなことが、視野を広げることや、暮らしをつくる力にも、そして、もしかしたら、想定外の状況に対応できる身体と頭をつくる土台になるような気がしているのです。 #
by mukouno-tani
| 2017-03-17 06:55
| 野研ノート(家族)
防虫ネットを使ってキャベツやレタスの無農薬栽培を成功させている友人の姿に一念発起して、半ばあきらめていた夏場の結球野菜(キャベツ、レタス、ブロッコリー)の防虫ネットを使った無農薬栽培に今年はじめてて挑戦した。結果を述べると、キャベツは成功、ブロッコリー、レタスは失敗。キャベツは2.5m位の畝で7玉、ずっしり重い目の詰まったものができた。栽培実験方法は次の通り。
■培養土:① バーミキュライト、パーライト、ピートモス、鹿沼土を1:1:1:1で混ぜたもの(花の刺し芽、苗づくり用土)と、②自家用コンポスト堆肥(ほぼ植物性)を等量混ぜたもの ■播種時期 4月23日 ※1ポットに種を3~4粒播種し、2回の間引きで10cm程度の1本苗に仕立てた ■育苗条件 芋虫やウリハムシ除けのため防虫ネットをかぶせて育成 ■定植時期 5月21日 <栽培準備と苗の定植> 防虫ネットの中に虫(ウリハムシ、コオロギ)を入れないために、畝立て・施肥・定植・防虫ネット張りは一気に行う ■畝立て 長さ250cm×幅80cm×高さ10cmの畝を2本作る ■施肥 畝に幅50cm、深さ20cmの溝を掘り、自家用コンポスト堆肥を3~5cm投入して覆土 ※自然農法でいう溝施用 ■マルチ 抑草と保湿を目的に1つの畝は落ち葉マルチを行う。もう1つの畝は比較区とし落ち葉マルチなしとした ※防虫ネットの場合、ネット掛け後ははぐらない方がいいので、過去に特に抑草効果のあった落ち葉マルチにした ※刈り草でもマルチは可能だと思うが、落ち葉より分解が早いため、刈草の種類や状態の選択が必要だと考える ■ポール 防虫ネットを支えるためのポールを地面高30cm前後で張る ■定植 予め苗をポットごと水につけて、しっかり水を含ませ定植(「どぶづけ」というらしいが根の活着がよい) ■防虫ネット張り 定植したら、虫が入らないように速やかに防虫ネット張りを行う。 ※今回の実験でも無マルチ区はネット張りが若干滞った間、うりは虫が入り、無マルチ区のキャベツやブロッコリーは少し虫食いが入った。 <7月初旬の生育状況> 落ち葉マルチ区の方がキャベツの生育がよい。レタスは生育が不十分で雨のたびにナメクジなどの食害を受けている。特に、無マルチ区の食害がひどい。 落ち葉マルチ区のがキャベツの生長は順調だが、無マルチ区の方は生長が遅い。ブロッコリーも生長が遅い。レタスは一部は枯れ、残ったものも巻く前に早くもとうがち始めた。今年は、7、8月と殆ど雨が降らず、昼間は30度を超す高温が続いており、きっと防虫ネットの中は無風の高温乾燥状態が続き、それにレタスやブロッコリーは耐えられなかったのではないかと思う(期間中、一切、水やりもしておらず放置状態)。その中でも落ち葉マルチ区のキャベツが生長を続けたのは、落ち葉や刈り草マルチの持つ地温抑制効果や保湿効果のためだと考えている。 <9月初旬の生育状況> <10月初旬 引き続いて秋キャベツ栽培に挑戦> 収穫後に、本に書かれているより適期より1か月弱遅いが、10月初旬にキャベツ苗を植え付けし、12月初旬時点の状態( 防虫ネットより保温性に優れるパオパオをかけて温度を上げ、生長促進を試みる。植え付けの際に株下に、ぼかし肥料をひとつかみづつ入れる。)。 さて、早ければ12月下旬には雪が降り始める。間に合うか。。 <翌年の3月15日> 結果、間に合わなかった。あと2~3週間あればそれなりに結球して収穫できた可能性はあったが、12月末に雪の中に埋もれた。現在、溶け始めた雪の中から再び頭を出しているが、一時期1m近く積もった雪の重みの下となり、葉は凍り、一緒に植えたブロッコリーは茎が折れている。これは暖かくなれば再び結球をはじめるのだろうか(同じ集落でキャベツを植えている人は冬越しした苗が6月頃結球したということであるが)。少なくともトウ立ちした脇芽や花芽は食べたいものだ。 以上の実験結果をふまえ、2017年は次のことに注意して再び実験することとしたい。 ①播種時期~定植時期 □春植えキャベツ 苗づくり:播種4月8日・9日 → 植え付け5月13・14日→ 収穫 9月初旬(予想) ※現在より、2週間早める。果たして8・9日に雪が消えているか。温度は大丈夫か? □秋植えキャベツ 苗づくり:播種7月29・39日 →植え付け9月2・3日 →収穫 12月中旬(予想) ※苗づくりでは虫や強雨にやられないよう対策強化が必要。植え付けも手早く防虫ネットを掛けないと中に虫が入れば×。 ②培養土・施肥 □苗づくり 培養度は次の2通り行う パターン1:① バーミキュライト、パーライト、ピートモス、鹿沼土を1:1:1:1で混ぜたもの(花の刺し芽、苗づくり用土)と、②自家用コンポスト堆肥を等量混ぜる。但し、前回は、秋植えキャベツの際、コンポスト堆肥を多めに使用した所、ポットの水はけが悪く根回りが悪くなったことから、堆肥の分量が多くなり過ぎないように気を付ける。また、草堆肥は逆に窒素分が弱く、生長が弱くなる傾向がみられたことから、培養土としては基本的には生ごみを堆肥化したものを使用する。 パターン2:バーミキュライト、パーライト、ピートモス、鹿沼土の混合土に一部、地元素材の山土に変えてみる。 □定植時 苗を植える穴を一回り大きく掘り、堆肥を投入し、定植(溝施用より更に堆肥を省力化) ③マルチ マルチは落ち葉マルチと草マルチ半々にする。 ④防虫 防虫ネットを使用(使用2年目。少なくとも3年間は使いたい) さて、2017年はこれでまた試してみたいと思う。 この数年、自家菜園で小さな実験をしながら、自分が向こうの谷の菜園でやっていることについて、最初の動機といまの自分の”感じ”に間があるように感じていて、どう理解しようとと考えていたが、少し前に知人と言葉を交わしていて、言葉が定まった。 『生き残るための農園』 もう、「豊かさ」などと主張し、求める時代は終わってしまったのだと思う。時代は残念ながらより厳しいものへと移行した。 家族や子ども達が、20年後、30年後、暮らしていくためには、生き残る術をきちんと身に着けている必要があるのだと思う。そのために身近な素材を使い、今まで私達が身に着けてきた科学の技法を使って、身近な資源(素材)を極力使って、より合理的に、余り手間をかけずともできる作物の栽培方法、自然農法、有機農業を身に着けていくこと。願わくば、そこに機能美が備わることを願う。 あまり、寄り道せず、それに向かっていった方がよいと思い定めた。 #
by mukouno-tani
| 2016-09-18 08:18
| 畑と山と食と循環
拝啓 森の花畑の守人様
8月11日、昨日、かみさんと子どもと病院に行きました。心配である事柄は一つ落ち着く方向を向いており、私達はいささか落ち着きましたが、思い返し改めて痛感したことはこのことでした。 『やはり、いまの子ども達の中には、私の子どもの頃を思い出して、大凡と考える割合(40人に多くて3人)よりも、知っているだけでもアトピーやアレルギーや喘息や先天性の病気を持つ子達が沢山いるように思う(20~30年前はそういう病名がついていないだけで、やはりいたのではないかという意見もあるが、それにしても数えてみれば、身近な子の3~4人に1人はそういう状況であり、明らかに多い)。そして、それはいまの大人達の社会が作り出した食べ物や環境やライフスタイルの劣化の影響を受けての結果であり、多かれ少なかれいまの大人の作った消費社会の被害者であるのに、社会全体はそのことに目をつぶっている。』 『そのことに対し、まず、僕のできることは、子達の育ちに寄り添いながら、家族が安心して食べられるものを、お金がある時でもない時でも安定して自分達で育てることができる技術と、豊かに創造的に暮らせる環境をつくる技術を身につけていくことなのだと。』 このような視点に立って、向こうの谷での暮らしを重ねていこうと、改めて思い定めました。 8月初旬、家の南の畑では、6月中旬に咲き始めた白と赤のベルガモットが沢山の蜂を呼んでくれて、茄子や胡瓜や瓜やピーマンやトマトやオクラやインゲン豆などが次々と実をつけはじめました。 幾つか成果も出はじめたと思います。 北の畑では、不耕起・無肥料栽培(不耕起4年目、無肥料2年目)で、トウモロコシ(粉用)と 大豆(晩生)の栽培を行っていますが、今年はしっかり実の入ったトウモロコシができそうです。不耕起といっても、種を播くときは、幅5cm、深さ5㎝程の溝を掘り、そこに自然栽培の手法に基づき、窒素供給の目的でトウモロコシと大豆を30cm間隔で交互に植えています。あとは、梅雨時期に1回、草を抜いて株間に敷いたり、草を引くときできる範囲で刈草を株間に敷いたりしているだけで、あとは殆ど手をかけていません。トウモロコシが茂り始めると、日陰ができて雑草の方もある程度、成長が抑制されているようです。 今回は同じ畝を2つ作り、向かって左側は、草抑えと乾燥防止のねらいで落ち葉でマルチし、右側は何もしなかったのですが、成長は落ち葉マルチ側が随分よさそうで、葉が播き始めています(ただし、レタスは夏場のネットの中の暑さと蒸れに耐えきれなかったのか殆ど枯れてしまいました)。違いは雑草の繁茂程度だと考えています。落ち葉マルチのなかった方はネット内に雑草がキャベツやブロッコリーを覆いつくすまで勢いよく繁茂し、明らかに苗の成長を阻害していましたが、落ち葉マルチはそこまでではありませんでした(両方とも7月末頃に1度簡単な除草は行いました)。あと、栽培後、土の状態を確認してみないとわかりませんが、落ち葉マルチの方が、土中の状況が苗の生育によいものになっているのかもしれません。続けて、秋キャベツ、レタス、ブロッコリーもやってみようと考えていいます。 そして、来年は、この結果もふまえ、例えば配合土を山土に変える、草堆肥の割合を増やすなどして、資材もできるだけ自前のものに変えていきたく、少し研究を進めていこうと思っています。 そうそう、最近、素敵な本に出会いました。アメリカの詩人、作家であるメイ・サートンの『独り居の日記』、そして『夢見つつ深く植えよ(Plant Dreaming Deep)』」です。ヨーロッパに生まれ育ち、両親とともにアメリカに来て、劇団の監督や大学での講師を仕事としていたサートンは、1960年代、ニューイングランドのネルソンという小さな田舎町の一軒家に引っ越します。そして、彼女は荒れた家や庭に手を入れ、田舎の色々な人たちと関わり感じ、考えながら、1人の暮らしの中に私と私の周りにあるものを見つめ、文章にしていかれています。それは、ヘンリー・D・ソローの森の生活に似ているようで違うように感じます。それが女性だからでしょうか。彼女は様々な田舎の隣人と出会い、交わり、来訪者の訪問を受け、その中に新しい視角を見いだし、時には感動しながら、しかし、独りである時の大切さ見出していかれるのです。私は、家族と暮らしていても、仲間といても、独りでいても、”独りであるの時間の大切さ”を改めて感じさせてくれるこの2つの著書がとても好きになりました。 以下、それぞれの本から文章の一つ抜き出してみます。 『独り居の日記』P5~6 ・さあ始めよう雨が降っている。窓の外に目をやると、楓の数葉はすでに黄ばんでいる。耳を傾けると、オウムのパンチのひとりこごとや、やさしく窓を叩く雨を相手のお喋りが聞こえてくる。 何週間ぶりだろう、やっと一人になれた。″ほんとうの生活”がまた始まる。奇妙かもしれないが、私にとっては、いま起こっていることの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬかぎり、友達だけでなく、情熱をかけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない。なんお邪魔も入らず、いたわりあうことも、逆上することもない人生など無味乾燥だろう。それでも私は、ここにただひとりになり、”家と私との古くからの会話”をまた始めるときようやく、生を深々と味わうことができる。 …こうして私がひとりいる時こそ、花々は本当にみられている。心を注いでやれる。存在するものとして感じられている。… …ここにある雰囲気は、秩序と美である。それは、ここに戻ってきた私をつかのま脅えさせる。私は自分が十分でないと感じる。開かれた空間、瞑想することのできる場所を私は作り上げはした。しかし、その内部に自分がみいだせなかったらどうしようと。 思うに、この日記を書くことは、それをするための一つの方法である。 ・来る日も来る年も、父が信じられない量の仕事をこなしてゆくのを見ていた私は、決まりきった手順というものがいかに役にたつか、ちょうど質素なニューイングランドの教会でのように、精神がどんなに自由にそのなかでうごきうるかを知っていた。決まり仕事というもは牢獄ではなく、時間から自由を得る道だ。はっきりと計量された時間には無限の空間があり、その意味では、音楽に似ている。 私が最初の10日間にうちたてた日課は、ほとんどそのまま今も続いている。朝早くには、それは私の机のあたりをめぐり、ゆっくりと、家の残りの部分に移ってゆく。昼食後、私は小部屋に一、二時間横になり、ようやく起きあがると、五月から十一月のあいだなら庭に出てゆき、夕食前のニ、三時間を庭作りで過ごす。冬には、いつでも屋内でできる洗濯物だとか、ファイルを整頓するとか(けっして終わりがない!)、手紙を書くとかのゲームがある。夏には早く六時に起き、冬にはまだ暗い空に星の輝く六時半に起きなくては、一日の最良の時間がごたついてしまうことを私は知っている。朝の仕事に主要なエネルギーをそそぐつもりなら、早く床につかなくてはならないことも。とはいえ灯を消す前、二、三時間、本を読みはするのだけれども。 メイ・サートンは、『夢みつつ深く植えよ』のあとに、その本に意図せずついた”田園での庭とともにある充実した暮らしの紹介”のようなイメージを、本の意図する真意に取り戻すために『独り居の記』を書きました。彼女は、そのことについて、こう書いています。 ・『夢見つつ深く植えよ』のおかげで、庭仕事する友人がたくさんでした。けれど私はこの本が、そうと意識しないで真実を伝えていないことに気づき始めている。ここでの生活にまつわる懊悩と怒りにほとんど触れられていないからだ。今こそ私は壁をつき破り、そのごつごつした深部、基盤そのものにまで触れてみたい。…私はたぶん、立派とはいなえない理由でひとり暮らしをしている。私は箸にも棒にもかからぬ人間であり、しかるべく抑制することを学ばなかったため、一つの言葉や一つのまなざし、雨の日、あるいは飲み過ごした一杯のお酒にも平衡を失ってしまう気質のおかげで、人らから離れている。私はひとりでいる必要があるのだけれども、一面では、かぎりもなく空虚な沈黙をひとりでもてあますことになったらどうしようという不安があって、それと均衡を保っている。たった一時間のうちに私は天国にも昇るかと思えば地獄にも下る。私は生きながらえているのはひたすら、みずからに仮借ない日課を課すことよってなのだ。私は手紙を書きすぎ、詩をかくことが少なすぎる。外見に刃沈黙しているようにみえても、私の頭の奥には人間の声や、多すぎる欲求や希望や心配で割れるようだ。”未了”や”未送”のことがらに追い戻されずにじっとしていられることなぞ、およそない。私は疲労でくたくたになったと感じるけれど、それは仕事のためではない(仕事は休息だ)。新鮮な気持ちで張り切って仕事にかかる前に、他の人たちの生活や要求を追い払ってしまわなくてはならない、その努力で消耗するのである(『独り居の記』p7~8)。 メイ・サートンの文章を書き写していて、本当にそう思います。真の仕事は真の休息なのだと。そして、そのことにたどり着くために、独りである時をつくり、たどりつくための日課を意識して課すのだと。サートンは毎日、庭の花を部屋の花瓶に活けていました。毎日、庭の様子をみつめ、自分や家の様子を感じとり、花を活けることも大切な日課だったのではないかと、そう感じたので、庭に出て、かみさんの好きな吾亦紅のえんじ色の花のついた枝をい数本摘んできました。 今年は、北の畑もずいぶん変わりました。去年まで荒れた草地に近い状態だったのですが、今年は草堆肥を仕込み、草マルチを繰り返した所、土が随分腐植質になり、今年はベルガモットやフェンネルの花が優勢になっています。やはり、基本的には、畑づくりも庭づくりも理屈は同じだと確認しています。花が好きなのでどうしても花に焦点があってしまうのですが、手前はリーフレタスとシシトウの混植で、レモンバーム、フェンネル、ベルガモット、フロックスと続いています。今年はまだ花構成が初夏中心で、蜂を呼ぶ花の力も畑に活かせていないので、春・秋の宿根草の導入と実ものの野菜の導入を考えていきたいと考えています。 この文章を書き始めたのは8月11日ですが、今日は9月15日。そろそろ本格的に冬を迎える準備を意識せねばならない季節になろうとしています。 #
by mukouno-tani
| 2016-08-07 15:00
| 畑と山と食と循環
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