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拝啓 森の花畑の守人様
2017年6月17日の朝です。3年目にして、妻に贈った、クレマチス・グラビティ・ビューティーが花をつけました。向こうの谷の庭の半野生の植物達の中にあって、クレマチスの茎や葉や花は華奢で、儚げで、圧倒されてしまったと思い込んでいた春先、これまでになく力強い弦を数本伸ばし、数輪の見事な花をつけたのです。いつも、植物は決してあきらめることなく、根気強く、地面の下に力を蓄え、地上の条件が整い方を見計らって、地上に芽を出そうとします。それは成功したり失敗したりするのですが、いつも、そのことに、こころ静かにさせられます。 向こうの谷の植物達も初夏の様子に変わりました。野菜や花達は発芽期から旺盛な生長期に移り、春の花は実や種となり、夏の花があちこち蕾を膨らませたり、ほころび始めたりしています。 そして、6月から7月の初旬は挿し木による苗づくりと、春に播種して芽吹いた小苗の一回り大きいポットへの移植の季節です(今年、ようやくその時期だと自覚したのですが)。時間の合間を縫って、1日5本株、10本と草花の若い茎を切り取り、挿し木用に調合した用土に茎を挿します。また、ときおり小苗の移植を行います。そして、苗場の寒冷紗の下にもっていきます。今年の秋までの苗づくりの目標は、挿し木や播種を含め1000ポットです。 春に播種した小苗で楽しみなのは、まずレモン・ベルガモットやベルガモット・プンクタータといった1年生のベルガモット、アシタバ、フェンネル、オオバギボウシ、オミナエシでしょうか。花の種は野菜の種より小さく、発芽に時間がかかり、乾燥にも敏感なものが多く、フェンネル以外は、発芽率も30%前後と悪く、まだまだ培養土の調合方法や播種の時期や、好光性・嫌光性、設置場所、水やりの方法、種の自家採取の方法などの研究が必要です(写真は上:レモン・ベルガモット、ベルガモット・プンクタータ、下:アシタバ)。 3年前から挿し木による苗づくりをやるようになって庭づくりの速度が飛躍的に早くなりました。その理由の1つは前にも書きましたが、苗を買う費用を気にせず思い切り苗の植栽ができることです。そして、このことを改めて考えていて、もう1つの理由を発見しました。それは、苗を買うために係る時間を節約できることです(手に入れたい植物を販売している店を検索したり、商品や郵送代の安い店を探したり、商品の一括購入で郵送料の節約を工夫しようとしたり、購入の手続をしたりすることにかかる時間)。これは全く苗に限らないことですが、思い返せば、1回の「買う」ことに費やす時間はインターネット購入で1~2時間、買いに行っても同程度の時間がかかるでしょう。1時間は、挿し木のポット30個をつくることのできる時間でもあります。その後の水やりを含めても2時間に収まるでしょう。 「買う」という行為は、本来、『生産力を上げたり、必要なものを安定して利用できるようにしたり、利用できる種類を増やしたりするために、育てる~加工する~利用することを多人数で手分けした結果、生まれたもの』だと思うのですが、どんな場合でも「買う」>「自分でつくる」という訳ではなく、その状況に応じて選択するものなのでしょう。しかし、これだけ「買う」ことが日常生活に充満すると、まず「買う」からはじめてしまう癖がつくのですね。だからこそ、自分や家族の中で、”買うこと”と、”自分で育てて(作って)利用する”ことを、比べて選択できる日常があることも大切なことだと、改めて思うのです。 買うということを含め経済的な行為というものは、想像以上に、人の行動や感情や時間や人生にも大きく影響するようです。このところ、平川克美さんの「株式会社という病」を読んでいますが、この本は人と経済的行為の関係性について、もやもやと感じていることに輪郭を与えてくれます。共感していることを整理するため、いくつかの気になる文章を書き抜いてみます。 ・人は誰でもお金が好きではあるが、お金のためだけに生きているわけではない。お金のために一所懸命に働くことと、お金のためだけに働くこととはまったく別なことである。前者は、お金は本来の目的と交換するための媒介物であるが、後者はお金そのものが目的なのである。…ふたつの立場の境界はお金のちからが強くなればなるほど曖昧になり、実際のために人間はお金のために生きよ、と告げているようにみえる(PP43-44) ・…エクスチェンジ・アレイでの株式取引の騒ぎに業を煮やした英国議会は、一七二〇年には、株式会社を不法として禁じたとある。株式会社が生まれた頃の一般的な会社形態は、共同経営事業(パートナーシップ)で、創業者たちが元手を出し合って会社を所有すると同時に経営もするというスタイルであった。日本における零細・中小企業の多くは、このごろの共同事業経営とはほとんど同じだろう。株式会社というものと、それまでの共同経営事業経営との際立った違いは、会社の所有と経営の分業というところにある。…そしてまさに、所有と経営の分離こそが、当時の英国において、堕落と醜聞の温床となると懸念されていたわけである。所有者は出資者に関して責任を持つが、会社が何をして、どのように事業を運営するかということには興味がない。雇われ経営者は、株主の顔色をうかがうことに熱心で、事業に対して本来持つべき責任感は希薄になる(PP66-67)。 ・ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授、ジョン・ケイの最近の著作によれば、アダム・スミスの最も偉大な洞察は「神の見えざる手」を発見したということ以上に、分業の効果と限界について分析を行ったことであるという。… 『精神が麻痺してしまうため、理性的な会話を味わったり、その仲間に加わったりすることができなくなるばかりか、寛大で高尚な、あるいはやさしい感情をなに一つ抱くことができなくなる。』(PP68-69) ・人間は自らが帰属する会社というものに対して影響力を行使することができるが、同時にその会社によって影響を受けている。もし、株式会社というシステムが、その内に病を抱え込んでいるとするならば、それは人間の病でもあるわけである。そして、どちらの病も、その効果によって、つまりは生産活動の効果としての利益の享受や、生活の利便性の向上によって、隠蔽されている。もし、私たちが病の自覚というものを失ったとすれば、それは病それ自体が癒えたのでも、消失したのでもなく、私たち全体が病に冒されて、病のちからによって支配されてしまったということなのかもしれない。病を内に抱え込んでいることそれ自体は、会社にてっても自然なことでり、必要なことでもある。私はそう考えている。しかし、病を持っていることと、それに無自覚であるということはまったく別の文脈で考えるべきだろう(P72)。 ・もしも、所有と経営の分離という原則に沿って、経営者が経営合理的に行動するならば、この経営者の愛情は無償であってはならないはずである。しかし、経営者が、従業員を雇い入れ、チームを作り、共同作業を行い、商品を創造していくというプロセスの中で、そこには換金できない贈与が、経営者からも、従業員からも会社に対して必ず行われている。…経営と所有の分離という原則から言えば、こういったことは経営者が負うべき責任からは除外されるべきものである。しかし、それでも会社というものは実際には、こうした無償の贈与が共同体の成立プロセスの中で、必然的に行われることになるのである。経営は、この無償の贈与によって、単なる利益創造のための雇われ人から、共同体の中心、幻想を統合する社長になるのである(PP152-153)。 ・同じことは、従業員に関してもいえるだろう。労働と報酬の等価交換、自己決定、自己実現といったスキームだけで従業員が行動した場合には、そこにロイヤリティといったものは入り込む余地はない。ロイヤリティのないところには、組織としての団結力も生まれなければ、団結力がなければ生み出されない組織的な力も発揮できない。集団を組織し、その組織が維持され、組織がひとつの全体として力を発揮できないためにはどの幻想の統合軸が必要なのである(P153)。 ・…あえて言えばそれは共同体のエートス(=倫理)といったものであるといえるのではないか。経営者も、労働者もただ自らの仕事に情熱を注ぐということで、自分では予期していなかった倫理創造を結果として行うことになる。そして、同時にその結果がまた、共同体のエートスを強固にする。今風にそれをブランドといったもいいかもしれない。しかし、ここでいうエートスとは、もっと根底的な組織体の幻想軸のことである。共同体のエートスは、世間一般が暗黙の了解として共有しちえる倫理とは異なっている。そこでは、善悪の価値観よりも、どれだけ強くその共同体と結びついているかというロイヤリティの強度が優先される(PP155-156)。 ・昨今の雪印乳業、不二家、三菱自動車工業といった会社が信用を失った理由は、ブランドイメージが落ちたからではないだろう。それ以前に、経営者たちが会社を育てて行くという「親の情熱」を失って、短期の利益確保といったような等価交換のスキームに陥り、それを肌で感じた「現場」のモチベーションが落ち込み、現場の人間もまたその会社で働くことの誇りを失い、会社の方針と争うよりは、波風を立てずに時間を稼ぐといった諦めに近い精神になっていたのではないだろうか。そしてこれもまた一つの共同体の姿であるともいえるだろう。共同体はそれがもつ呪縛力によって拡大し、同時にその呪縛によって腐敗してゆくものだからである(P156)。 ・会社において、本来、個々に利益が相反する複数の人間が一つの利益共同体として機能するためには、どうしても個々の価値観をいったん括弧に入れる必要があるのである。したがって、会社の価値観とはあくまでも会社という共同体を存続させるための、限定された価値観だということになる。そうであるにもかかわらず、それがあたかも社会全体の価値観であり、自分の価値観でもあるかのようになってしまう。ひとはなぜ、自分のものではない、組織限定的な価値観によって支配されてしまうのか。それには理由がある。(P120) ・ひとは、自分がひとりで作った規則は、容易に、破ることができる。禁煙だろうが、禁酒だろうが、断酒どろうが、何度でもそれを破ることができる。それは、他人がつくった規則に関しても同じである。ところが、共同体で作った習慣や規則は、簡単に破ることができない。それは単なる規則違反であるに留まらす、その言葉の真の意味でも(つまりは宗教的な意味での)共同体への「背信」であるからである。(PP120-121) ・人間はひとつのフレームワークの中にいるとき、そのフレームが作った言葉で思考し、そのフレームが作った価値観でものごとを判断している。そのとき、そのフレーム自体は見えていないのである。人間が組織の価値観に支配されるとは、こういうことだ。もしこの価値観を避けようとするならば、ひとは会社社会からスピンアウトする以外に方法がないように見える。 「買う」ということが日常生活に充満し、「自分で作る」というもう一つの軸を忘れさせるということが、環境問題や福島の原p津問題をも引き起こす「所有」と「経営」の分離という体質を持つ会社から生み出される商品・サービスを買いたいという衝動により強化され、また同時に欲しいものを手に入れるための会社で働く時間の拡大が「自分で作る」ための時間を少なくしているとすれば、経済だけを問題視しても解はでなないでしょう。”所有と経営という会社の構造”と”共同体の構成員であるときの人という集団で暮らす生物の性の関係性”を理解しし、”その構図と付き合うための、あるときは敢て”孤独”であることも辞さない「私」や「家族」の働き方や暮らし方や家族の時間の持ち方を改めて確立すること”が重要なのだと考えるのです。 今回は、ここまで進められたのでよしとしたいと思います。 そして、このことは、かつて挑戦し、行き詰っていた、「行政組織はなぜ自己の組織運営や事業・施策について自ら改善を行うことができにくいのか」というテーマにも、再び進めていくための手がかりを与えてくれています。 今日は、7月17日、書き始めてから、また1月も経ってしまいました。次々と予期しなかった対処しなければならない仕事が入り、この2週間ほど書くことが滞ってしまったことが効いています。もう一度、”昨日何をしていたか”を振り返り、1日の時間の使い方を再確認する必要がありそうです。たとえ、その時、充実すら感じていたとしても、巻き込まれて忙しい時は”時間が早く流れる注意すべきタイミング”なのです。 南の畑ではベルガモットが満開になりました。2011年に長野で頂き、持ち帰ったベルガモットはいま、3つの家の庭で見事な群落に育っています。花々は、人の思惑は関係なく、天候と関わる人の手の正しい接し方のみによって咲きます。人の手とは、思いに裏打ちされた人の振る舞いであり、花々はその思いを歪めずに伝えていくのだと、そして、そこに庭の意味もあるのかもしれないと、そう感じています。 #
by mukouno-tani
| 2017-06-17 07:11
| 野研ノート(社会)
最近、家族や仕事の時間の中で色々と考える機会を持ちながら、また、幾つかの本と出会いながらもう一つ、考え至っていることがある。それは『働いて得たお金で必要なもの・サービスを買って使うことと、直接、自分の時間と体を使い、必要なものつくったり・事柄を行ったりすることは等価ではないのではないか』ということだ。
ここに、より考えを進めるため、家族の時間の使われ方についての2つのグラフを作ってみた。 1つ目は、「1日15分子どもの英語の勉強をみる」と「週1回の英語塾に月謝を1万円払ってみてもらう」のグラフ。 1日15分子どもの勉強をみるとかかる時間は月7時間になる。週1回の英語塾に月1万円支払うために時給1500円で働くとしたら月7時間働くことになる。はたしてこれは同じことか。 塾だとどうなるか。もちろん親以上に上手にやる気を引き出しながら指導して下さる可能性は高いし、もしかしたら親身になって学習以外の子ども様子も気遣ったり、1人の大人として色々なことを教えてくれるかもしれない。しかし、塾の目的はあくまで点数の向上だから、点数をとるために必要なテクニカルなこと以外は捨象されることが多いだろうし、「せっかく理解しているのに、ピリオドがついてないと点数がとれないからもったいない」という所に留まることの方が多いと思う。しかし、月謝代を稼ぐために、親は自分で教えるのと同じ程度の時間を使わねばならない。 塾にはお世話にならない方がいい、なんでもかんでも親がやった方がいいと主張している訳ではない。むしろ高学年になればなるほど、他の大人にお世話になった方が格段にいい場面が多いと思う。ただ、子どものために塾にやる→塾にやるためにはお金がいる、お金がいるから働かなくてはならない→働くから子どもとの時間が少なくなる→子どもの様子がわからなくなるという構図を、少し考えながらいこうと思うようになっている。 2つ目は、「ファンヒーター×灯油利用」と「薪ストーブ×薪利用×灯油(ファンヒーター)の補完的利用」のグラフ。 これは向こうの谷の家の場合で1年間のスパンで利用するのに費やす必要な時間を計算してみたものですが、ファンヒーター×灯油利用の場合は36時間、薪ストーブ×薪利用×灯油(ファンヒーター)の補完的利用で45.3時間となりました。これをどう考えればいいか?まずは、計算が少し複雑なので、下記に書き出してみます。 ▶ファンヒーター×灯油利用の場合は1年間の灯油代4.5万円(1ヵ月9千円×5か月)、1年間のファンヒーター減価償却費9000円(2台45000円で5年間使用)として、合計5.4万円を稼ぐには時給1500円で36時間必要という計算です。 ▶薪ストーブ×薪利用×灯油(ファンヒーター)の補完的利用については、向こうの谷の家では私が忙しくて、薪の原木(玉切り前のもの)の量の2/3を購入していること、私の書斎で補完的にファンヒーターを使用している。かかる時間を構成要素別に計算すると次の①~⑥通りになる。 ①薪づくりに必要な時間(原木をチェンソーで玉切、斧で薪割)=15時間(1日0.5時間×30日) ②薪原木入手に必要な時間 1/3 木の伐倒(山手入れ)~玉切 4.5時間(1回1.5時間×3回) 2/3 原木の購入 1.8万円 → 12時間(1.8万円/1500円) ③灯油購入に必要な時間(補完的利用)=3.7時間(年間5600円(1600円@月×3.5月)/1500円) ④薪ストーブ購入・メンテに必要な時間=3時間(約30万円で購入+修理・一部部品取替え5万円で80年(2世代)利用を想定 → 35万円÷80年=1年当り4500円=1年当り3時間(4500円/1500円)。※部品交換など修理は溶接等で自前で行う前提) ⑤チェンソー購入に必要な時間=3.5時間(約6万円で購入、うち薪づくり利用は8割なので薪づくりでの負担は4.8万円。9年間利用を想定→4.8万円÷9=1年当り5300円=1年当り3.5時間(5300円/1500円)) ⑥チェンソー維持・燃料に必要な時間=1年あたり3.7時間 グラフの通り、単純にお金または時間の量を物差に比較すると、ファンヒーターの方がお得ですが、他方、子どもの体験や家族の時間といったことを物差にすると、毎年、向こうの谷にある、山の樹を倒し、薪にして、燃やして暖をとるプロセスには、灯油を購入しファンヒーターを使用する形態では得ることのできないものが沢山あると思う(そしてこれらの事柄は、薪ストーブという道具だからではなく、山から燃料をとり、家で使用するという生活環境の中で発生ししているように思う)。 例えば、手が足りないので、今年から長男に割った薪を積むことをしてもらっているが、「真剣に崩れないように積まないと崩れたとき近くに子どもがいれば大変なことになるよ」と言われ、長方形でない薪を安定して組もうと懸命になる。また、写真の後ろ側の薪積みは長男坊の最初の作ですが、この後、「薪積みの端が斜めだとトタンでで屋根を掛けても端から濡れて、肝心の冬に使えなくなるでしょ」と注意されている。 例えば、私自身も、樹を倒し、玉切りするためにケガをしないように注意することや、チェンソーのメンテや刃とぎ等の技術を身に付けていくし、その作業を通じて緊張して物事に臨むことが強化されているように感じる。そして、私がこの手の作業をしているときには子ども達は近づいてこない。「樹を倒したり、チェンソーのような道具を使っているときは、予想できないことが起きるから、絶対に近づくな、話しかけるのは作業が止まったのを確認してからにしろ」と、何度も強くいわれているからだ。彼らはきっと、同類の場面に遭遇すると、無意識に同様の注意をするのではないかと思っている。 そして、これらのやりとりが日常的に、向こうの谷の私たち親子の間にある。また、その場面の中で私達親は子どもが何がきちんとできるようになって何ができていないか確認することなる、また、子ども達も私達親の作業をみることになる。少し例に挙げてみるだけでも、これだけのことがある。 (なお、薪ストーブは万人向けの道具ではないと考えている。薪ストーブの利用を始めた理由の中でも書きましたが、基本的に家族の中に体力のある男性がいて、かつそれを使用する環境と自分でリスク管理する責任と技術がないと使用できないものだと考えている。そして、それにも関わらず”山から燃料をとり、家で使用するという生活環境”が大切なのだとすれば、我々はより使い勝手のよい道具の選択をすべきだと考えている。そのような道具として期待できるのは、例えばキッチンロケットストーブです。まだ途上で、暖房も含め日常生活の中に取り込むためにはさらなる道具としてのブラッシュアップが必要だと考えるが、例えば、焚き火小屋の管理人さん実際にこれを毎日使用されて、新たな形の素敵な暮らしが展開されている。私達も少しずつその方向に更に舵を切っていきたいと思っている。) 2つの小さな例に過ぎないが、こういう風に具体的に考えすすめていくと、最初の問、『働いて得たお金で必要なもの・サービスを買って使うことと、直接、自分の時と体を使い、必要なものつくったり・事柄を行ったりすることは等価ではないのではないか』という問に対し、今後、私がやっていくべきことは、「あたり前にお金を払って購入している沢山の事柄を、とりあえず自分(達)の時間と体を使って作ったり・行ったりすることに置き換えてみて、そこで私と家族に起きることを確認してみること」なののだと再確認した。このことも、引き続き試行錯誤と整理を進め、時折、まとめていきたいと考えている。 (修正しながら、続けて書く) #
by mukouno-tani
| 2017-06-15 22:42
| 子育ちと環境
拝啓 森の花園の守人様
6月3日。出張先の旭川市での朝です。水曜日から北海道道北の田舎での調査の仕事があり、木、金と外泊が続き、普段、向こうの谷で朝起きてから行っている読書や散歩や庭の手入れといった日課が行えずにいます。 ただ、近頃、日課を含め、少し疲れたのか、気も身体も重くなり、何事にも力がでなくなっていた所があり、この遠い地への移動や他地での連泊は、慣性がついてしまっていた頭や身体の使い方をリセットしてくれたようにも感じています。 旅のもつ効果なのでしょう。日々のこつこつに疲れてきたと感じたときは、一度、日常のある場から離れ、日課の慣性を絶つ(リセットする)時間を持つことも大切なのですね。 そう、出張先で、朝、少し宿の外にでて道を歩いていると、道際や森の裾などに、島根の2倍以上ありそうなエゾイタドリや3~4倍ありそうなエゾフキの群落がみられ、その姿の大きさに驚きました。本土にはない植物群の個々の大きさや道北の風景の大きな構図は、いつの間にか、向こうの谷の庭や周辺の森づくりに没入していたことを、気づかせてくれました。 特に思ったことを2つほど書き留めておきます。 もう一つは、風景と庭のバランスと庭の目指すイメージ。富山の砺波平野がその数十倍ものスケールで続く圧倒的な風景の中で、規則性や対称の構図の強いイングリッシュガーデン風な庭や枯山水的要素のある日本庭園風の庭が(両方とも戸建て住宅にみられる近頃の庭ですが)、広大な道北の風景とのバランスをとれずにいる状況があちこちにみられました。そして、本来、風景とバランスのとれる総体としての庭のイメージとは、例えば砺波平野に広がる田畑の海に浮かぶ屋敷林のように、または、北イタリアの連綿と続くブドウ畑に浮かぶ屋敷と菜園、イギリスの牧草地帯に浮かぶ古城と庭のように、風景とバランスしつつも、”家族の暮らしを支える独立した利用植物群(コロニー)”であるべきではないかと考えたのです。それが森の中でも、谷あいの里山の中でも、”家族の生活を支える独立した利用植物群”(コロニー)の概念は変わらないのではないか、そして、庭を構成する主要な植物群や庭を縁取るための材料は、基本的にヴァナキュラーなものになるのであろうと。 そういう目で、向こうの谷の庭や畑づくりを振り返れば、いままでよりもずっと庭と畑づくりのアウトラインがはっきりしたように思います。私はこれまでの経験から、暮らしとつながる美しい庭や畑のアウトラインとは、”庭は在来植物群で主構成する(園芸種は在来種を際立たせるためのインスタレーションとして利用する)”、”庭や畑の空間は小道(庭の中の通り道)を背骨として構成する”ではないかと考えていますが、今回、もう一つ、”まとまりのある島(コロニー)の様に1つの庭を構成すべきではないか”ということが加わりました。そして、まずは、北西にある庭と畑のまとまりをそのように作り込んでいこうと考え始めています。 話を戻しますが、この度の道北の田舎での調査は、地域経済循環調査という仲間達と開発した手法を用いたものです。世帯と事業体(企業や公的施設)が食料と燃料をどのぐらい、どこから購入しているか、地元の資源がどの程度使わているかを把握し、次に、食料や燃料の地産地消を拡大すると、地域に新たにどの位の所得や職業が生まれる可能性があり、その実現のためにはどのような生産、流通、販売の分野で条件整備をしたらいいかを構想していくものです。(例えば、地産地消を促進するための条例整備、身近な買い物場所としての直売所、地元産品を利用した小さな経済事業の導入、木質燃料の導入など)。また、その結果、地域住民にもたらされる便益についてもイメージを提示します。 (※地域経済循環調査の進め方のより具体的なイメージに関してはまた、ご紹介します。) いままで本州の数カ所で地域経済循環調査を実施してきましたが、今回、道北の地域でとりかかってみると、風土により街や生産や利用の形も違うのだなと感じています。例えば、北海道全体がそうなのかもしれませんが、町が新しいからなのか道が整然としていて、町の中心部に人口の約8割が集住し、生活機能やアメニティ機能も中国地方の田舎町より集中しています。そして、ヨーロッパのように人口集中地を離れると一変して農村風景になります。厳しい冬があるからか、6月初旬という季節のせいか、兼業よりも企業的な農業が中心であるためなのか(たぶん、双方だと思いますが。一見すると、その地域の風景は家庭菜園の見当たらなかったフィンランドやノルウェイに似ているような気がします。)、一畝ごとに栽培している野菜が異なるような小さな畑があまりなく、そのような畑でできた野菜が売られている直売所も確認できていません。 このような条件での食料、燃料分野での地域経済循環強化(地産地消拡大)の形は、中国地方とは大分異なるのではないのか。 例えば、石油系燃料から木質系燃料へ暖房・給湯等用途のものを切り替えていこうとすれば、例えば公共施設や民間店舗等の施設の空間的近接性を高めることの重要性を感じました(現在でも中国地方より施設同士の近接性は高いと思いますが、冬場の寒さと熱伝達のロス度、移動や運搬の困難性の高さを考えればより一層強化することが重要な気がします)。また、個人宅の暖房については、石油系燃料から木質系燃料へ切り替えようとすれば、個人宅散居中心から集合住宅中心への移行という話もあるかもしれませんが、それにも増して大切なのはヨーロッパのように個人宅を含め建物の寿命を長くすることではないかと感じました。なぜなら、調査地域でも見る限り、昭和や平成に入ってから建てられたような新しい建物が多いように見受けられたのですが、それらの建物の寿命が、昭和や平成の時代の戸建て住宅の寿命が40~50年と短命であるといわれるのと同じように短ければ、個々の世帯が負担する断熱を含めた再建コストは中国地方より高いものになるでしょう。だからこそ外装・内装は劣化しても改修すれば200年持つ建物の骨格が必要だと思うのです。 仲間たちとスイスのクラウンビュッテン州のヴァルスという村に調査旅行にいったとき(その地域も冬場はマイナス30度になるそうですが)、断熱のため壁の厚さが50cmある石積み、石屋根の住居群をみました。勿論それらの建物は補修されながら200年やそれ以上使われつづけますし、それはそれそのものが美しい景観を形成し、観光資源にもなり、移り住みたいという人たちを引き寄せていました。日本では地震のことがあり、単純に石積みという訳にはいかないかもしれませんが、まず建物を消費財とみなさずに、長期的展望に立ってつくり直していくことも重要なのではないかと感じています。 向こうの谷は6月第2週に入り、もうすぐ梅雨入りしそうです。向こうの谷の畑では、梅雨を前にして、かみさんが草抑えと土づくりを兼ねて、田んぼの畔で刈った草を次々と敷き詰めていっています。畑の敷き草については今年から敷き詰めるタイミングを梅雨直前ぎりぎりまで後にずらしました。そしてまず、通路に敷いてから次に畝上という順番にしてみています。それは、なるべく地温を高くするためです。 竹内孝功さんは「1㎡から始める自然菜園」の中で野菜の性格に合わせた草マルチを提案されていて、なるほどなと思いました。すぐ試したいと思う所を書き出してみると次の通りです。 ・夏の暑さが好きなナス、ピーマン、トマトなど、高温性の野菜は梅雨明けまで株元は草で覆わない。梅雨が明けたら、株本も覆う。(p15) ・キャベツ、ハクサイ、レタスはいずれも暑さが苦手、暑さから守ってあげるためにも、草をしっかり刈って敷いて草マルチを重ねる(p49)。 ・キュウリは根が浅く広く張り、暑さや乾燥に弱い。また、草に負けやすいので生育初期から株下の草をしっかり刈って、草マルチを重ねる。梅雨明け以降は1週間に1度、ひと握りの米ぬかを草マルチの上からふりかけ、草マルチを重ねて値を育てる。(p54) ・ズッキーニは乾燥にも多湿にも弱いので、厚めの草マルチで夏場の乾燥や高温から守る。(p72) ・マクワウリの苗を植えたら、株元をあげて草マルチ。梅雨明けまでは株元を乾燥させ、地温を上げる。(p98) 北西の畑では今年はじめて試みているチョロギが順調に育っています。どのような花が咲き、収穫をもたらすか、楽しみです。 #
by mukouno-tani
| 2017-06-03 08:59
| 野研ノート(地域)
これからの時代は、これから自分と大切な人達がどう舵を切っていくか、”先のことを予測しながら生きる”ことが、これまでより重要な時代に本格的に入ってしまったのだなと思う。
これまでも、”先のことを考えて”というセンテンスはよく使われてきたが(私も家で、学校で、職場で、周りの先達達に同じことを時折言われてもきたが)、それは、「これまでの社会状況がこれまでも続く」ということを前提とした発言であり、むしろ、これからの時代、このセンテンスがそれと同じく従来の意味で使われるのあれば、むしろ、受け取る側にとっては、たくさんの罠が潜んでいると考えた方がいいと考えている。例えば、 『いまのうちからしっかり勉強していい成績とっておかないと、いい大学に行けず、いい就職できないよ。将来のことちゃんと考えている?』 『毎月家賃払っているなら、一層のこと同じ月払いの額でローンを組んで家買ったらいいじゃない。資産にもなるし。将来のことしっかり考えいる?』 そもそも、やってみると自分が楽しいこととは何か?働くって勤め人になることなのか?いい大学って何か、そこに行って知りたいことは何か? なぜか、そのようなことはさておき、はやければ小学生から勉強する(テストでいい点をとる)ことに身体と頭の大部分を使わざるを得ない環境に置かれてしまう。 家を買って、家賃と同じ額のローンを毎月払うようになったが、これから20年、いまと同じ水準の収入を得ることが決定し、その時点から20年間の働く時間や働き方がおおよそ決まってしまう(将来20年分の時間の使い方や働き方を前借してしまう)。 そう。これまでの、”将来のことを考えて”という言葉は、どちらかと言えば、このように作用することが多いのではないか。大切な人が自分で大切な選択を行うその時のために視野を広げようとすることに傍らでちょっとおせっかいすることと、(自覚しているかしていないかは別として)無責任に影響力をもっておせっかいすることの境に明確に線引きすることは難しいが、だからこそいつも意識し、考え続けておくことこそ必要だと思う。 傍らで、この様なことを思いながら、仕事柄、色々なデータに触れることが多く、どうも僕らの子ども達が生きる時代は、これからの時代は40代である僕らの時代より非常に変化の大きい期間になるように思えて仕方がないので、これまでと異なる社会状況になる前提で、あえて”先のことを考える”ことをしてみた。自分達親の歳と子ども達の歳と、私が仕事柄接点の多いデータである、いま暮らしている地域や町や島根県の人口の将来予測や、もしかしたら子ども達が将来職を持つことを考えるかもしれない東京都、広島市、松江市等の都市部の人口の将来予測を重ね合わせてみた。 ここに挙げている私達が暮らす山間の町、島根県の田舎(中山間地域)については、いずれもかなり希望的観測に基づくものである。10年後には地域に入ってくる若者が地域から出ていく若者の数と均衡するぐらい都市部から田舎に若い人が移り住んできて、かつ、女性が一生涯に産む子どもの数(合計特殊出生率)が現状の2.0(一生涯に2人の子どもを産む)を下回る水準から2.0を上回るようになる仮定の上での数字である。なお、日本の将来人口推計については合計特殊出生率は現状を上回るという予測の上での数、対して、都市部の数字は現状のまま推移すれる前提の数字である。これは、元々、田舎は都市部と比較して合計特殊出生率が高く、人口規模も小さいので都市部から若い人が移住してくれば人口減や高齢化を緩和できる目もあるが、都市部では今以上に出生率を上昇させ、かつ地方(これから人口が減る)からの転入を維持することもかなり難しいと考えるからである。 まず、田舎(向こうの谷のある町も含め)では、仮に、いま以上に出生率が上がり、都市部からの転入があるという希望的観測に基づいても、2040年(高校1年生、中学2年生、少学4年生である向こうの谷の子ども達が30歳になる頃)には、人口は多くてもいま(2015年)の4分の3であり、もしかしたら半分位になるかもしれない。高齢化率はというと、すでにピークにきているので、仮に出生率や転入増がなくてもこれから極端に上昇することはなさそうである。 そうすると、将来、私達家族がこの町に暮らし続けるとすれば、将来、子ども達は大人になり家庭を持つようになり、私と妻は年をとり高齢者になるこの20年間で、地域でも学校でも職場でも人が減り、色々な業種でもお客さんがどんどん減っていく状況を経験する可能性が高い。 (なお、私は人口が減ること自体、悪いことだとは思っていない。明治期以降、日本の人口は異常なくらい増えており、例えば、何らかの要因で食料や燃料の輸入が止まれば、すぐさま日々の家族の食事や暖をとるのに困り果てる状況と背中合わせの状況にあるからである。たとえ人口減少期に一時的に沢山の高齢者を社会が抱える困難期があるとしても、今より少ない人口規模に移行する方がいいと思っているが、そのことには諸論あるので、今は傍らにおいておく)。 次に、都市部(向こうの谷にある町にある程度近い、松江市、広島市、そして東京都)は、これから人口減と高齢化が同時に進行するので、このままいけば結構厳しい状態になるように思う。身近な松江市や広島市、東京都でも、2040年には人口はいまより約1割減り、高齢化率は10%上昇する。またそれ以降もこの人口減少と高齢化率の上昇は続く。いま私の暮らす町の病院に行くと通院されている方の大部分はお年寄りで若い人や子どもは殆ど見かけない。そして、ときおり私が田舎から都市部に仕事で行くと驚くのは若い人の多さだが、2040年には都市部もいまの田舎並みにお年寄りの多い社会になるという感じを持っている。 たとえ、これら都市部で経済力がいまの水準で維持されたとしても(これもかなり難しいと思うが)、例えば現在の水準で医療や介護制度や年金や、困ったときに利用できるような福祉制度は維持できるのだろうか。また、現在でも社会問題になりつつある空き家や空きマンションや空き団地、道路や橋や上下水道など老朽化するインフラへ十分な対応はできるのだろうか。仮に外国の方がこの国でいまより沢山働くようになっていても、田舎よりはるかに地域の支え合いがない都市部の社会関係の中で、1人の若者がいまより多くの高齢者を支えなくてはならない状況で、家庭でも職場での若い人への負担がいまの水準で留まるということがあるのだろうか。そのような中でその時代で子育てをする人達が普通に、ときおり心を静かにして、自分や家族を見つめ、社会の情勢を判断して暮らしていくことができるのだろうか。 仮に、いま高1、中2、小4の子ども達がこのような都市部に暮らし、家庭を持ち、子育てするとしたら、上に述べたような時代の渦の中で健やかに暮らしていくことはかなり難しいことだと考えている。 以上のことは全て予測に過ぎない。しかし、大切なのは、私や私の家族や私の友人達が、これから20年の間に、平安時代からずっと続いてきた人口増加傾向が終わり、はじめて人口減少と極度の高齢化といういままで経験したことのない社会の変化の渦中にいる可能性が高いと想像しながら、対応できるよう鍛えておくことだと思う。 いま子達と暮らしながら親として一緒に鍛えられることは何か。1つ目はできるだけ彼らが視点を高めと視野を広げるように手伝うこと、2つ目は暮らしをつくる力をつけるよう手伝うこと、3つ目は想定外の状況に対応できる身体と頭になるように手伝うこと、単純だが、そんなことではないか。 この3つのことについて、いい機会ですので少し、考え進めてみる。 ”視点を高め、視野を広げる”というと、知識を増やすとか経験量を増やすとか、旅に出して見識を広げるというイメージもあるような気もするが、ここで言うのは、例えば、「ご飯のあと片付けの時に自分のことだけではなくてそのあとのお母さんの台所作業のことにも気になる」とか、「ご飯を作るときに跡片付けのことまで考えてしまう」とか、「お皿とかコップが机の端にあり気になって置きなおす」とか、「机の角が小さな子の目の位置と同じ高さで気になる」とか、「気温や湿度の急な変化や、自分が近づこうとしている建物や茂みや、あるいは人になぜが違和感を感じてしまう」そんなことではないか。言葉や知識のことはあとでいい。身の回の人や諸物とその周りの様子にまで目がいっている。それが重要だと思う。 ”暮らしをつくる力をつける”とは基本的に自分の身近にあるもの、自分でその時点で使えるもので、その日を生きる環境をつくれることではないかと思う。「そのときあるものでおいしいご飯をつくる」とか、「料理しているとき包丁の切れ味が気になり必要があれば自分で砥ぐ」とか、「ゴミを堆肥にできる生ごみとその他のごみにせっせとわけられる」とか、その延長線上で、「いい堆肥とわるい堆肥や、堆肥の使い所がわかる」、「天気や地温や土の様子をみて種の播き時を考える」とか。「道具がないとき身近なもので代用する」、その延長線上で「なければ道具をつくるとか、自分のやりやすいように空間を改造する」とか、「身近なもので自分の暮らす場所をつくる」とか、「買って手に入るものではどうしても気に入るものがないから、自分でつくった」。何となく、少しずつ自分の手でできることを増やし、それを組み合わせてもっといろんなことができるようになる。そんなことではないか。 ”想定外の状況に対応できる身体と頭になる”については、私の一番苦手なことである。どうも身体をつくろうとすると、腹筋やマラソン的な発想になり、やっているとあちこち痛くなってきて長続きしないのだが、最近、本を読み、友人と話していると、自分が繰り返しやっている間違えとは、例えば動ける身体をつくることと筋肉つけることの違いや、身体をいじめることと長持ちする身体をつくることの違いがわかっていないことからきているように感じている。この春、遊びに来てくれた韓氏意拳を学ぶ友人がこう言っていた。「筋肉は数日で作り変えられるが、骨は数年、腱や関節は100年以上かけないと再生されないのに、筋肉のみを意識して負荷をかけるトレーニングやストレッチを続けるから、肩を壊すとか膝を壊すような一生治らないけがすることになるのではないかと」。「大切なのは自分の身体の声をよく聞くことで、身体を伸ばしていて痛いと思ったら、無理をして伸ばさす、どこが痛いかしっかり探っていくことだ」と。 内田樹先生は人の生き方や社会の捉え方について幾つもの本を書かれている著作家であり、自ら合気道の道場を主催される武道家でもあるが、『困難な結婚』という著書で、このようなことを書かれている。これは武道論ですが、”想定外の状況に対応できる身体をつくる”にも大いに通じることだと思うので引用してみる。 「武道の修行というと、体力をつけたり、闘争心を高めたり、格闘技に長じたりということをめざしているとお考えの方もおられるかもしれませんが、それは武道の修行の本来の目的ではありません。合気道に限らず、武道をいうのは、本来「どうしてもいいかわからない状況に立たされたときに、適切にふるまうことができる」能力を開発するためのプログラムです。…(中略)…「どうしていいかわからないとき」には様々な種類があります。天変地異に遭遇するときも、親しい人、愛する人を失うときも、あるいは仕事に失敗したり、病気になっとりしたときも、私たちは「どうしたらいいかわからない」という状況に陥ります。…(中略)…でも「どうしていいかわからない」場合でも、わかるひとは「とりえず何をすればいいか」がわかります。それは「失ったもの」を数え上げるのではなく、「まだ手元に残っているもの」を数え上げることです。不意に、たくさんの貴重なものを失ったあとでも、まだ私たちの手元には「価値あるもの、たいせつなもの、信頼に足るもの」がいくつか残されています。それを数え上げ、そのような価値あるものが自分の手元に残されたことにまず感謝し、それらその手元に残された資源を最大限に活用して、また新しいものをその場から作り出すこと。それが「どうしていいかわからないとき」の適切なふるまい方です。 武道はそういう状況に対応する心身の能力を高めるための、組織的な訓練です。武道では、「敵が襲ってきて、自分の心身の自由を損ない、可動域を制約する」という形で初期条件を設定します。…(中略)…武道の場合は、さいわいなことに、「相手」というものがあります。相手は私たちを攻撃し、私たちの心身の自由を損なうものであると同時に、私たちにまったく新しい動きの機会を提供してくれる存在でもあります。…(中略)…この「ひとりではできないが、相手が何かしかけてきたせいで、できるようになったこと」。これは「まで残された価値あるのの」ではなく、「いま、相手が私に贈ってくれたもの」です。武道的なつよさというのは、ある状況に置かれたときに、「自分にまだ残された価値あるもの」に「いま、相手が贈ってくれた価値あるもの」を加算して、それを素材に「まったく新しいもの」を創造する能力のことです。 これを「臨機応変」と呼んでいもいいし、あるいは禅の言葉を借りて、「随所の主となる」と呼んでもいいと思います。どのような状況に投じられても、まるでその状況を自分が進んで作り出し、選びとったものであるかのように、堂々と、余裕をもってふるまうことができる境地、それが私たち武道家のめざすところです。 …(中略)…私の師である多田宏先生は「道場は楽屋、実生活は本舞台」ということをよくおっしゃっています。道場は楽屋です。そこではどんな失敗をしても許されます。どんな実験的なことを試みても構わない。「道場では真剣な態度をとり、道場を一歩出ればリラックスする」のではありません。逆です。道場ではリラックスして、あらゆる状況に対応できる心身の能力を開発し、道場から一歩外に出たら、そこで学んだすべての技能と知見を活用する。(P109~112) こでの”武道”を”身体を鍛える”に置き換えて考えてみて、自分としての”想定外の状況に対応できる身体をつくる”ことについての基本的考え方が随分整理されたように思っている。そしてこれから武道を極めようとするのではな自分や家族(たぶん)にとって、どういう鍛え方があるか探っていこうと思う。そして、まだ始めたばかりで、とてもお話しできる状況にはなっていないが、鍛えることについて、友人から教えて頂いた型を基に新しく鍛える試みをはじめた。これが、家族や親しい人達のこれからの時代のリスク管理や柔らかく暮らしていくことに繋がるといいなと考えている。 #
by mukouno-tani
| 2017-06-01 10:56
| 野研ノート(家族)
拝啓 森の花畑の守人様
2017年5月24日 もうすぐ6月です。 向こうの谷の北西の畑では、3年前に植えたアーモンドの樹がはじめて実をつけました。本来、暖かい土地を好むといわれるこの樹は、この地より暖かい知人の土地では植栽した冬の翌春に実をつけたようですが、冬1m近い雪が積もり、氷点下10度に気温が下がることがある、向こうの谷ではゆっくり生長しているようです。 去年の秋に植えたサラダバーネットが見事な大株に育ち、この多年草が食用兼庭の鑑賞植物としても優れていることを確認しました。実は、人参やニラやフェンネルの花もとても美しく、花の期間も長いので、これらも"利用できる庭"づくりを構成してくれる有効な植物になってくれると考えています。 今年から、庭づくりの速度が随分上がりましたが、考えれば、それは2年前に向こうの谷の南側の畑の片隅に設えた小さな苗畑が今年から本格稼働し、一度にたくさんの苗を育てて使うことが可能になったためです。 苗畑には強い日差しや豪雨の際の破壊的な雨滴から苗を守るため、遮光度60%の寒冷紗の日除けをつけています。例えば、5月末から6月一杯は挿し木による苗づくりの季節なのですが、これらの苗は直射日光に弱く、日の光が弱くなる10月後半まで寒冷紗の下で過ごさせると具合がいいことを確認しました(植物により若干前後しますが)。7月後半には始まる秋野菜の苗もここで育てます。特に種から芽吹いたばかりの幼苗が豪雨でやられることがよくあるので、この寒冷紗の端の光量が多い所でその下から出したり、入れたりしながら育てます(秋野菜の苗づくりは他にも虫等の食害が多く、よく失敗しているのですが)。 現在は、種まきにより苗づくりが終わり、挿し木による苗づくりに移行しようとしています。 庭づくりも畑づくりは、ものづくりと同じで、自分で想起したものを形にしていくためには、既製品(購入したもの)の組み合わせでは限界があり、部品や材料料や道具を自分で作っていくことが必要になるのだと思います。園芸の世界も、知らず知らずのうちに販売品が溢れ、苗も道具も購入することが当たり前になっているのだな、と。 新しくつくった紅葉の樹の下の苗場の苗数は少数ですが、現在、Salvia nipponicaの名の付くキバナアキギリ、秋丁字、リシマキア ファイアクラッカーや明日葉の苗を育て始めており、昨日、種から発芽した明日葉の小さな双葉が開いているのをみつけました。生まれてはじめて見ましたが、葉は小さくても生長したものと同じ形をしています。 苗場の上の紅葉の葉が開いて陰が濃くなってきたので、少し枝を梳いて光量を調整しようと思っています。 また、全体的には、今年から樹の苗づくりにも少し力をいれたいなと。 苗場で育てた苗を使って、向こうの谷とは別の場所で新しい試みもはじめました。出雲部にある加茂という土地で農地をお借りして、友人達と有機栽培の実験農園を運営し、月に1回ほど農園で学習会を実施していたのですが、農地が区画整理にかかることがわかり、昨年の秋口から休止していました。そして、この5月、地元の方にお世話になり、新しい農地をお借りすることができ、現在、新たに1から有機栽培の実験農園づくりを開始しました(詳しくは、またご紹介します)。 有機栽培や自然栽培では土づくりが何よりも大切です。ですが、向こうの谷で畑に隣り合って庭づくりをしていておんぼらと思い始めているのは、畑の周りの花畑はハチ達を呼び、作物の実りをよくし、また種類によっては野菜を食べる虫の忌避や分散にも貢献しているではないかということです。そして、畑が花で彩られる美しい農園には、暮らす人の目も身体も畑に向くのです。もしかしたら、本来の有機栽培や自然栽培とはそのようなことも包含するのかもしれません。 向こうの谷とは異なる気候の土地で、その土地の方々と多年生の食用植物やハーブに彩られたそのような実験農園を試すことが出来ればいいなと考えています。 今日は5月27日、もうすぐ梅雨の季節に入ります。これからは、向こうの谷の畑や田んぼや庭の周りの草の刈り入れの時期です。刈った草は堆肥として仕込んだり、畑の草抑えの敷き草にしていきます。堆肥は苗の植え込みや苗づくりで重要で、敷き草は腐植となり土を3年ほどで元肥がいらないほど肥やします。昨年は忙しくて、あまりこの作業ができなかったので、今年は丁寧に行っていきたいと思っています。 #
by mukouno-tani
| 2017-05-24 07:11
| 畑と山と食と循環
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