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窓の外は吹雪になってきた。年末年始でどかっと積もりそうだ。
実家の事情があり、移住7年目にしてはじめて島根で年末年始を過ごすことになった。 例年、正月は熊本の実家で迎えてており、今年もそのつもりでいたが、大晦日が近づいてこちらで過ごすことが決まったので、昨日は慌てて食料などの買出しに出た。 何だか不思議な心持ちだ。家族5人で迎える年の暮れと年始がどうもイメージできない。毎年、正月は熊本で迎える決まり事でこの年末の我が家の行事についてを考えたこともなかったし、街にある実家の両親と私達家族で過ごす小じんまりとした正月を、ありふれた形のものと思っていた。しかし、そうではないらしい。そこには両親が作った家庭の、あるいは両親がそれぞれの家から引き継いだ正月の形があるらしく、私の正月感もそこへ強く帰属しているらしい。 この雪に閉ざされた向こうの谷での、熊本に育った私と富山に育ったかみさんによる正月がどんなものになるだろうか。昨日は、さっそく雑煮をどうするかで話し合った。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2009-12-31 12:01
| 子育ちと環境
ズドドドドという地響きで目が覚めた。明るくなりはじめた窓の外をのぞくと屋根からずった雪で子どもの背丈より高い壁ができている。1メートル近く雪が積もるこの地では、畑の地面がのぞきはじめる3月の中旬まで、集落の方々とお会いする機会はめっきり少なくなる。
隣町でずっと専業で農業を営んでこられた70代の男性から、昭和30年代までの冬の暮しの様子をおうかがいしたことがある。道は狭く砂利道で、峠を貫通するトンネルもなく、車もそれほど普及していなかった時代、雪が積もると町の外との行き来はできなくなり、春が訪れるまで家の中だけの生活が続くのだそうである。囲炉裏の火の回りで、大人は縄をなうなど手仕事を行い、子どもは手伝ったり遊んだりして過ごしたのだそうだ。 ノルウェイのソグネ・フィヨルドを旅したとき、都市部から山々や複雑に入り組んだ海岸線で隔てられ気候も厳しいこの土地に、どうして人々の暮しが続き美しい農村の風景がありつづけられるのかと思った。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2009-12-24 07:54
| 野研ノート(社会)
朝から雪が舞いはじめ、家のまわりの木々がうっすらと白くなりはじめた。山から冷たい雲が降りてきて人界との門が閉ざされはじめた様にみえる。これから雪が降る度、雪が積もる度に時間の流れをゆるやかにしてゆく集落の風景をみていると心静かになる。
秋から冬に移りいく季節に旅したノルウェイ・フィヨルドも美しいものだった。「神々の・・・」という言葉が自然に口からでてくる。 そして、入り組んだフィヨルドの入り江に点々と、或いは切り立った絶壁の下にはりつくようにある村々をみながら、これが、この地の暮らしの風景なのだと思った。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2009-12-16 15:21
| 野研ノート(地域)
秋の晴れ間。
庭や畑の手入れをしようと外に出ると、軒下の縁台で末娘と次男坊がシャボン玉を吹いて遊んでいる。 シャボン玉が風に乗って思いもよらぬ方向に飛んでいくのが楽しいらしい。 私が庭の落葉を掃きおわり畑に向かっても、げらげらげらげら笑っている。 畑の方も最初の頃から比べるとだいぶらしくなってきた(かな?)。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2009-12-12 11:59
| 畑と山と食と循環
集落の棚田の風景は眺めているだけで心が静かになる。
どうしてこんなに畦畔の草刈りに丹精するのだろう。もう少し粗放的に管理すればいいのに。と仕事柄よく考えていたが、住んでみるとなんとなくではあるがわかる。丹精した田や畦や畑の風景のこの上ない美しさを際立たせているのは、きれいに草刈りしたあとの畦や手入れした後の畑のくっきりした輪郭(線)なのだと思う。杉や檜の木立を除けば山や野の風景の中にはほとんどラインがない。畦畔や畝などくっきりした輪郭(線)に縁取られると、田や山林のもつ美しい表情をより意識してみることができると思う。そして、ビルが林立し、道路が縦横する都市に暮らす人々と反対に、田舎に暮らすと輪郭や線を視覚的に欲するようにも思う。くっきりとした線、輪郭・・・それは人為の領域、論理の領域、構造の領域。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2009-12-09 22:26
| 畑と山と食と循環
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