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拝啓 森の花園の守人様 本当にひさしぶりです。 長いトンネルから抜けたのかもしれないし、まだその途中なのかもしれませんが。 おととい、ひさしぶりにワクワクするような、人の話を聞いたのです。 その人は、30歳で会社をやめて、民俗学を独学で勉強し、村や集落にある古い文献や道具から、いまはみえにくくなった、古の風習やものづくりの文化や食べ物の文化を掘り起こす術を身に着けた人でした。そしていまは、古いものの保全や成分分析や食品加工や販路づくりの専門家とつながり、村や集落のそれらのものを若い世代の暮らしにつなげていくことができないか模索しています。 その人はいいます。そういった村や集落に培われてきた作物や知恵や技や道具を若い世代の暮らしに息づいたものにすることが、村や集落が生き続けていくために必要なのではないかと。中途半端に手をかけず、そのままの形でホームページで紹介するだけでいい、そうするとそのことに関心のある人が訪ねてくる。訪ねてきた人の中にはきっと、そのもののそばで、それを自分の仕事にいかして暮らしたいという人が現れる。そういう人が現れることが村や集落に古くからあるものへの価値を、そこに住んでいる人に再評価してもらうきっかけになる。 そういうことがしたい、そしてもっとそういうことを広げたい。と。 半年近く、大きな組織の中で、大きな組織の方を向いて仕事をしていましたが、私も本来、彼のように仕事がしたいと思い続けていたのでした。 そして、そのように、いまは旅立たれた、島根の師と話したのでした。 彼が、ときに迷いながら、ときには孤独になりながら、でもあきらめずに育もうとしたものも、民俗学を学び、村や集落をいかそうとするものと同じものでした。 かれとの時間は、私のなかに残り、私の息子のなかにも残り、関わったみんなのなかにも残り、それぞれのなかで形をなして引き継がれています。 私も残された時間で、私がこれまで先達に頂いたものと、これまで自分で鍛錬し身につけてきたもので、自分の形をなしたいのでした。 今朝、そのことを思いました。 #
by mukouno-tani
| 2019-09-09 21:17
拝啓 森の花園の守人様
2018年2月9日 、前回から随分間が空いてしまいました。 冬期は私や私の家族にとって、外作業ができないので、家の中の仕事をしたり、ものを整理したり、まとめたり、使いやすいよう家を手入れする期間なのですが、今年の冬は気温が低く、雪が解けずにつもるばかりなので、雪かきや道の心配で日々気ぜわしく暮らしています。 2018年3月20日、前回書こうと思って3行書いてからさらに1月近く経ってしまいました。その間、2回程大雪が降り、家は1.5m程の雪にとり囲まれ、そしてその雪も3月からの雨と寒の戻りを繰り返しながら上昇する気温とともに、ほとんど消えてしまいました。毎年のことながら、スコップで几帳面に削ってつくった雪運び用の雪道や雪をかきやすいように硬くたたきしめた家の周りの雪の土台はあとかたもなく消えてしまいました。 上2人の息子が随分背丈が大きくなったので、今年から本格的に雪かき作業をやってもらっていますが、しかし、彼らの様子をみていて、”雪かき”作業は、子育ちにとってとてもいい学びの機会だと思っています。 きれいに雪をかき、丹念につくられた雪道や雪を掻かれてさっぱりした家回りをみて満足して家の中に入った翌日、外を覗いて、彼らは嘆きます。 昨日の夕方あれだけ、頑張ってきれいに雪を掻いたのに、また屋根から雪が落ちてきて元の状態に戻ってしまった、と 今年の冬はこれを10回以上繰り返したでしょうか。 更に、彼らは、春になると努力のすべてが跡形もなくきえてしまうのをみて、俺たちの努力は。。。といって嘆くかもしれません。 いいな。と思ったのは、彼らの様子を見ていて、ある1つの場面を思い出したからです。 出鱈目なことを言っていると怒られるかもしれませんが、テレビでみた、ラマ教(チベット密教)のお坊さんが修行として描く砂絵の場面です。 彼らは、色砂を使って、とても美しい極彩色の曼陀羅絵を描きます。そして、描き切ったあと、潔く、その手で絵の一切を崩してしまいます。 そのことが修行なのだそうです。世の一切のものは無くなるのだという体験的理解、手に入れたもの、自ら作った形あるものへの執着をなくすための訓練、そして、いま自分が強い思いで持っているものがなくなることに対する耐性をつくること。 息子達の雪かきの中にも、このことと似た同じ修練があるように思うのです。 自らの手でつくるよろこび、そして、よろこびや愛着のあるものが消失することに耐えること。 彼らにこのようなことも身につけてほしいと思っています。
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by mukouno-tani
| 2018-02-09 09:10
| 子育ちと環境
知人と数年来、小さな化学肥料や農薬を使わない(有機農法や自然農法)菜園づくりの勉強会と実験農園の運営を行っている。この実験農園のためにお借りしていた土地が区画整理にかかり、地元の方にお世話になって新たな土地を借りることになった。
実験農園の引っ越しは、これが最初ではなく2度目である。本当は少なくとも5年以上、同じ土地でやってみないとと土づくりの成果はわからないと思うのだが、土地を借りてやっているので仕方のない。 それだけに、最初に土の状態をきちんと分析して、明確な土づくりの方針を持って農園づくりに臨むことは大切だと痛感するようになった。 新しく借りたのは、昨年まで普通に菜園として使われていた土地。前の使われていた方が事情により菜園づくりができなくなったものを知人の紹介で借り受けた。広さは20m×15m(3a)程度、東側は道路、南側は他の人の菜園、北側は平屋(デーサービス送迎の駐車場兼倉庫)、西側は田んぼである。 ・PH(H2O) 8.0(診断基準値6.0-7.0)・・・非常に土のアルカリ度が高い状態であり、野菜によっては生育障害が出る水準、一般的には石灰の入れ過ぎが原因 ・硝酸態窒素 1.3(診断基準値0.0-4.0)・・・普通の範囲内の数値だが、野菜に必要な窒素分が少し低い状態 ・アンモニア態窒素 0.0(診断基準値0.0-2.0)・・・同上 ・石灰 534.1(診断基準値228-297.6)・・・非常に土壌の中に石灰がある状態。一般的には石灰の入れ過ぎ原因 ・石灰飽和度 153.0(診断基準値75.3)・・・同上 ・腐植 1.6(診断基準値3.0-5.0)・・・腐植は土の体力の様なもので、土中の微生物がこの腐植を分解したものが野菜の栄養になっていくのだが、この腐植が土の中にとても少ない状態。通常、堆肥の投入や緑肥の漉き込み等で増やす。 この数値から想像できるのは、この菜園でのこれまでの土づくりや肥料のやり方は次の様でなかったかということである。 ①ほとんど堆肥や緑肥は使われずに、肥料としては化学肥料が主に使われていた ②石灰が必要量以上に使われていた ③その結果、土の中に腐植がほとんどない状態になり、土が固く、保水力もない状態になっている ④化学肥料のみの施肥になると、虫害もひどくなるので、おそらく農薬も使われていたであろう ちなみに、石灰の過剰投入については多くの家庭菜園にある問題のようだ。次図は、有機農法や自然農法に詳しい知人が見せてくれたある地域の複数の家庭菜園の土壌分析結果だが、多くの家庭菜園のPHは、今回の実験農園の値に近いことがわかる。 このPHの高さの主原因は石灰で、ときおり、毎年のように畑に石灰を播いている話をお聞きするが、大抵の場合、使い過ぎだということがわかる。さらに、石灰の使い過ぎの原因には、チッソ肥料(化学肥料)の連続使用による土の酸性化への対応があったようだ(そういう指導も入っていたかもしれない)。 もう一つ、怖いことは、化学肥料+石灰パターンを続けている限り、肥料代がかかり続ける。また、土の状態が悪くなり野菜の体力がなくなれば虫害もひどくなり、そうすると農薬の使用頻度も多くなる可能性がある。 だいぶ話が広がったが、この土壌分析結果をふまえ、まずは、慣行農法から有機農法や自然農法への移行を主題に、新しい実験農園の土づくりの方針をまとめた。 ①土の改良の方向性 →〇土中の腐植を大幅に増やす、〇PHを減らす 有機農法や自然農法に移行するには土中の腐植を大幅に増やすことが必須である。野菜を化学肥料で栽培する場合、野菜は直根で化学肥料から溶け出した栄養液を吸収するが、有機農法や自然農法の場合は野菜は直根から更に毛細根を出して、微生物等が腐植を分解した結果、生み出す窒素等の養分や土中のミネラルを吸収する。そして、腐植は草や落ち葉を積んで作る草堆肥や堆厩肥を土に入れたり、緑肥を土に漉き込むことで増やすことができる。 ちなみに、化学肥料と有機農法・自然農法で育つ野菜の値は次のようにぜんぜん違う。要は土に腐植が増え、野菜の根がこの様に張って育つようになると、土は柔らかく、保水力が高くなり、野菜は健康になり、お金をかけずに身近な材料で土を肥やせるようになり、長く使い続けられる畑になる。 ②土の改良方法 →3~5年時間をかけて土中の腐植を増やす →お金を掛けずに、刈草や落ち葉やヌカなど身近な材料や緑肥を使って腐植を増やす →落ち葉堆肥を入れる、刈草を積む、緑肥を入れる、マメ科植物を使う等の手段を使う。 →なるべく手間を掛けないで土壌改良を行う このような方針に基づき、実験農園をA~Dの4つの区画に分けて、2017年度はそれぞれ別の方法で土づくりを行うことにした。 A:(草積みパターン)畑の上に30~40cm刈草を積み、秋に腐って半分土になったところで、その上に直接チンゲン菜を植えるを繰り返す B:(緑肥漉き込みパターン)春にソルゴーとクロタラリアを播種して夏に鎌で短く切ったものを畑に漉き込むことを繰り返す C:(大豆と野菜の混植パターン)春に大豆を植え、そのあとにトウモロコシを播種する。大豆は30年無肥料栽培した豆を使用 D:(市販堆厩肥と落ち葉堆肥比較区)畑に全面漉き込みして野菜の発育の仕方の違いを比較する また、経過をまとめていこう。 #
by mukouno-tani
| 2017-12-20 07:31
| 畑と山と食と循環
拝啓 森の花畑の守人様
2017年8月25日の朝です。今日は暗いうちから静かに雨が降っています。暑い日が続いたあとの、落ち着いた雨模様は心地よいものです。 先週の日曜日から少し力を入れてメヒシバやイノコズチがはびこりはじめ、ヤブガラシやヤブマメやヤマノイモの弦と葉が沢山絡んでいる、庭や畑の手入れを始めています。昨日は弦や背の高い雑草やミントを取り除き、徒長した樹の枝を剪定していくと、そこに春先にしっかり時間を掛けて選んで植えた小さなブルーベリーの樹があるのを発見して、6月頃からすっかり忘れていたことに呆然としました。そこに、もっさりと茂った日々の仕事や暮らしの枝葉に覆われて、目の前にある大切なことが見えなくなっている私を発見したからです。 ブルーベリーは、少し目の力の弱い末娘に食べさせようと毎年少しずつ植え増やしているもので、3年ほど前に植えたブルーベリーの樹の方は、背の高い草やヤブガラシやカボチャの弦に絡まれながらも、たっぷりと大粒の実をつけていてくれました。このことに感謝し、両手一杯の紫の大粒の実を子ども達に持っていきました。 これからの藪になりかけた庭の手入れことを考えていたら、昨日、組織のマネジメントを主務としている同僚が話していたことを思い出しました。どんどんコミュニティ研究(仕事)の戦線が広がっており、それぞれに大切なことなのですが、人手は限られているので、長期的な目線に立って「これは5年後にはより大切になる」、「これは見直した方がいい」、「これは本来あそこがやるべきだが」と話しながら、整理されながら形になってきたものをみて、彼が「だいぶいい枝ぶりになってみましたね」といいました。そのときは、ふ~んと思っただけでしたが、数日おいて改めて考え直すと、それはとても大切な、「いま」や「これから」の捉え方ではないのではないのかと感じたのです。 樹を剪定する前、庭に手をいれる前、畑を耕す前、いきなり歩み寄って作業をはじめるのではなく、まず遠くから眺めて、どう手を入れたらいい姿になるかとか、そもそも自分の思い描くいい姿とはどんな姿なのかとか、そのような手入れが生きものである樹や庭や畑にどう影響をあたえるのか、ということを考えてみます。 大きな組織のマネジメントの世界を歩いてきた彼は、私たちが育てている研究事業という樹をそのようにみているのかもしれません。目に見えない思想や論理を幹とする方法とシステムの世界と、樹や庭や畑の世界に、それぞれに剪定師がいるというアナロジーを不思議に感じ、また、ときおり「遠くから眺めてみる」という行為の大切さを感じています。 最近、暮らし方についても、剪定が必要だという感じを強くしています。樹の剪定や庭の手入れに例えるなら、まず暮らしをどういう姿にするか、その像を描くことが大切で、それにてついては研究中で、これは、50に近づいてきた私が、これから更に年をとりながらどういう生き方や暮らし方をし、暮らしの空間をチューニングしていくかということが深く関わっていると思っています。老いつつある両親達とこれからの住まい方について会話を重ねながら、沢村貞子さんやメイ・サートンさん、平川克美さんなど先達の方達の著書で勉強させて頂き、時折、親しい知人達と議論させて頂いたりしながら、少しずつ形づくっていきたいと思っています。 沢村貞子さんは『老いの楽しみ』の中で、晩年、馴染んだ1軒家を整理して、海辺のマンションに移られたことについて語られています。 暮らしの空間の剪定については出来る所から少しずつ始めていますが、この夏に読んだ野口悠紀氏の『「超」整理法』が剪定方法に明確なフレームを与えてくれました(この本は10年以上前に購入し、以来、本棚にあったのですが、ようやく手が伸びたという感じです)。 特に、重要だと感じた点を抜き出してみます。 ・平均アスクセスタイム…頻繁に使うのもが早く検索できれば平均アクセスタイムは短くなる(P152) ・ポケット1つの原則…人間の記憶は場所については弱い。だから内容に応じて置き場所を区別すると見つからなくなる。…すべての書類を1つのポケットに入れる(P83) ・時間軸検索…使用する書類の大部分は最近使ったものの再使用である。…人間の記憶は時間軸に関しては強い(P152) ・(使用する整理法の)ハードルは低いか?…手間がかからず、簡単に運営・維持できるか。仕事の一環として本来の仕事の流れを中断せずにできるか。(P152) ・(使用する整理法に)捨てるためのプロセスが組み込まれているか?…不要物が残存していると、検索スピードが遅くなる。(P153) ・仕事は短期間に集中して、効率的にすませるほうがよい。そして、遊ぶための時間を作り出す。…(整理の)システムの最終的な目的は、ここにある。(p202)。 まずは、本の整理。どうしても本の数が増え、混沌なりがちだったので、1年前に、持つ本の最大数を決めようと決意し、分解・移動できる100cm×180cmの本棚を4つつくりました。3つはハードカバーと雑誌用、1つは文庫本用で、本の量のコントロールの他に、本を読む時期に入った子達に向けて本を公開するためのものでもあります。文庫本用の本棚は表と裏で使い分けれるようにしました。表側には文庫本が並んでいますが、裏側は使用頻度の低い本の仮置き棚です。いまの所、どうしても新しい本を買うことは止められないので、片方でこの仮置き棚の使用頻度の低い本を定期的に整理し、本棚に収まるように量をコントロールし始めました。理想は、この本棚の数そのものが減っていくことです。 二つ目は食器の整理。これまで水切棚、台所の食器棚、普段は使わない食器棚と3つに分けて使ってきましたが、次の方向で整理をはじめました。 ①水切棚に置くものはコップ、茶碗、お椀、小皿など本当に毎日使うものに絞り込む 理想は、最終的に水切り棚と台所の食器棚の2つにまとめてしまうことです。 三つ目は普段は使わない物の物置スペース。現在は2か所に雑然と積み上げているのですが、それぞれの物置スペースの役割を明確にして、次の方向で整理をはじめました。 ①物置棚(1つ目) 物置棚の組み立てパーツが仕上がった所で、年末に向けて組み立てにかかる所です。これは数か月から数年に1回使うもので、利用目的別に分類します。例えば古いパソコンの機材や古い雑誌や子供達の使っていた物などでしょう。そしてここにも捨てる棚を設けるつもりです。 1つ目の物置棚が稼働しはじめたら、次に作成する予定。こちらは、捨てることを前提とした物置棚。例えば予め分別前提の整理棚になっていて、2か月に1回程度捨てるのがいいかなと思っています。1つ目の物置棚の捨てる棚からもこちらに移していきます。 これら2つの物置棚も最終的には1つの物置棚になることが理想です。 四つ目は、まだ未着手ですが、畑と資材・道具類にも同じだと思いますのでついでに考えてみます。 今年の畑づくりの最大の間違えは「人の通り道をあまり考慮しないで畑を使ったこと」にあったことに、ようやく気付きました。きちんと人の通り道を確保せず、ナスとピーマンと大豆の畝を豆棚とソルゴーの壁で囲んでしまったので、結局、ただでさえ忙しい私もかみさんも区画に近づかなくなり、利用しなくなってしまったのです。 昨日、静岡に暮らす庭師を仕事にしている友人が数日うちに遊びに来てくれていたのですが、「庭も家も余白がなくなり、人が通りにくくなると、そこの空間が使えなくなり、さらにそこにものを置くのでその空間が本当に使えなくなってしまう。死んだ空間に家賃や地代を払っていることになる。」と話してくれましたが、本当にその通りだと思うのです。来年はしっかり、人の通り道や作業(特に除草)を考慮に入れて畑づくりに臨みたいと思います。 その上で、他の反省点・改善点も整理しておこうと思います。 □雑草の管理と畝間の幅の取り方 野菜の畝間は十分間をとって、草が盛らないうちに定期的に草刈り機で刈ってしまう(6~8月は10日に1回程度の草刈りが必要かもしれませんが、あとは月1回位で十分だと思います)。草が盛る6~8月は少し手間ですが土づくりも兼ねて畝ごと草マルチをして草抑えしてしまうのがいいと思っています(草マルチは土を確実に肥やしてくれています)。 □コンポストの運用方法 家庭用の生ごみを中心に、収穫後の野菜の残った枝葉、抜いた草などを入れて堆肥化し、主に野菜や草花の育苗用の土に使う。家庭用生ごみの入った堆肥は窒素分が高いようで植え替え後の苗を大きくする際にはよく効きます。ただコンポストはしっかり水が抜ける構造にし、時折、生ごみの中に意識して草等を入れてやらないと腐敗してしまうことがあります。 □収穫後の野菜の茎葉の処理方法 自然栽培の方法を参考に、その場で小さく刻んで畑に戻す(病気のことがいわれることがありますが、家庭菜園レベルでは今のところ問題はないようです)。 □資材の保存場所と管理 ネットや支柱等の資材については畑に資材置き箱をつくりそこに収納する(農作業が忙しい時期は大抵、他のことも忙しい時期で、防虫ネットやパオパオの資材、竹や鉄パイプで作った支柱を畑の上に直接置きっぱなしにしてしまい、その結果、資材の寿命も短く、畑の景観も雑然としてくる)。 □肥料袋の保存場所と管理 家の軒下に肥料や培養土を収める大きな収納箱を作りそこに収納する。畑の近くで置いておいた方がいいイメージのある肥料や各種培養土ですが、うちの場合、作り方が自然農法に近く用途は苗づくりと追肥(回数は少ないですが)に限られ、苗づくりは縁側に近い箇所で行うので、軒下の方が動きに無駄がなくなると考えています。また、使いかけの培養土や肥料の袋、使った後の袋を開いたまま置きっぱなしにしておくと、袋も中身も痛みがは早くなりますよね。 □農作業の道具(大物)の置き場所と管理 家の軒下の人の導線上によく使う農具(鍬、備中鍬、タケノコ堀用鍬、レイキ、フォーク)等を立てれる棚を作りそこに収納する。肥料袋の隣が便利でいいかもしれません。それほど使用頻度の高くないものは別途、収納棚を作ろうと思います。道具を雨ざらしにしているため柄の部分の摩耗が早く手間とお金がかかっていました。 五つ目も、まだ未着手ですが庭の手入れの道具類兼農作業の道具(小物)、種についても考えてみます。 これは、スコップや鎌など日常的に土に接触するものと、剪定鋏やペンチ、紐、針金、金づち、玄能など土に接触しないものに分けるのがいいような気がします。 また、種等は冷蔵庫保管が必要なものを除き、直接土に触れないものと一緒に保管するのがいいように思います(一緒に使うことが多いので)。 □直接土に触れるもの ・スコップや鎌等の道具…苗用のプラスチック製の平籠に入れて、屋外の流しの横に収納する ・苗用のポット等 …苗用のプラスチック製の平籠に入れて、農繁期は苗づくり用の作業台の上に置く。冬場は肥料用の収納箱に収納 □直接土に触れないもの、種 ・玄関横の収納スペースに苗用のプラスチック製の平籠に入れて収納(分類し、いつでもそれ毎出し入れできるようにしておくとベター) 勢いがついて畑と庭の空間の”剪定方法”まで検討してしまいましたが、こう考えると、畑も庭の場合は、”植物が育ちやすい環境づくり”というもう一つの大きな軸と、使いやすさという軸(超整理法で述べられている、”平均アスクセスタイムを短くする”、”ポケット1つの原則”、”時間軸検索”、”使用する整理法のハードルの低さ”、”捨てるためのプロセスが組み込まれているか”のこと)で組み立てていくといいのかなと考えいたっております。 この文章を書きはじめたのが8月25日、現在が12月13日。4か月近くも時間が経ってしまいました。 その間も、仕事や家事に忙しくしていたのですが、もう少し、この日々感じ、考えたことをまとめることに時間を持てるよう、仕事と暮らしをチューニングしていきたいと思います(超整理法の最終的な目標やこの文章をまとめた目標もそこにあるのです) 一昨日から、雪が降り積もりはじめました。たぶん、根雪になるでしょう。これから3月下旬の雪が溶けるまでの間が、私にとっては書くこと(まとめること)と作ることに集中できる時期。そこに向けて集中できるよう、環境整備を進めていきたいと思っています。 (あと、写真を加えていきます)。 #
by mukouno-tani
| 2017-08-25 07:35
| 野研ノート(デザイン)
拝啓 森の花畑の守人様
2017年7月19日の朝です。2年前の春に雑草地だった三帖ほどの面積に拓いた、北西の畑の入り口につくった小さな庭の宿根草達が次々と花をつけています。挿し木や播種して育てた苗を少しずつ植え、2ヶ月に1回程度雑草を刈り取り、株元に草マルチ置くことを2年間を繰り返せば、美しくボリュームのある花畑をつくれることが確認できました。この庭を構成する植物は、ルガモット・ディディマ、ベルガモット・フィスツローサ、フロックス、フェンネル、アスパラガス、樹木ではカイドウ、エゴノキ、小梅、アジザイ(元からある樹を剪定)、これに加えるべく、今年は、チョロギを育ててみています。どのような姿の、どのような花が咲くのでしょうか。 この度の雑草地からの宿根草主体の庭づくりをして発見したことは、当たり前のことなのかもしれませんが、中心に背の高い(50cm以上はある)植物を植えることと、その土地に合った(できればそこに前から生えている)樹をシンボルツリーにすることでしょうか。雑草に負けずに丈高く、シックに花を咲かせている赤や紫のベルガモット、白のフロックス、黄色のフェンネル、たぶん鳥が運んだ種から芽吹き、勢いよく育ち、今年の梅雨前に匂い立つ小さな白い花を沢山つけたエゴノキをみて、そう考えるようになりつつあります。 7月に入ってからは、苗づくりや庭づくりが滞っています。7月も半ばを過ぎ、苗づくりはひと段落という時期に入ってはいるのですが、苗場に通う回数は目に見えて落ち、手の入らない庭につる草や雑草が目立ち、折角育てた野菜の苗が定植できずに力を失っているに気づいて落ち込んだりしています。 思い返してみるに、予想をかなり上回って、仕事量が増え、独りの時間である朝の時間が2週間近く失われたことに主たる理由があるように思います。朝の独りの時間、この時に、本を読み、色々なことを考えたりまとめたりし、散歩をし、庭や畑に少し手を入れ、日記を書きます。そしてときおり、人生に対して、一年間の中で、自分のいまの位置が不確かになれば、昨日一日をどのように過ごしたか分析や整理をしてみます。 朝の独りの時間が失われると、このようなことが著しく滞ってしまうようです。 7月25日の今日の朝、昨日の朝仕事が影響し、少し頭が淀んでいるように感じています。 7月29日の今日の朝、ずいぶん頭がクリアになっています。それには2つの理由があります。 1つ目は、先週の土曜(7月24日)に、かみさんが私を北西の畑でのジャガイモ堀りに誘ってくれて、おかげでヤブガラシやヤマイモの弦に埋もれた畑や、畑の周りのスモモやプルーンやアーモンドやフロックスを発見し、しっかり手を入れられたことです。そして、そのことは、家にいても”頭”から”身体”と職場の仕事このとに占有されて、よく周囲を見れなくなり、次第に手を動かせなくなっている自分の状態に少し気づかせてくれました。かみさんに、感謝です。 開高健先生は『とにかく手と足を使いなさい』と述べられていて、なるほどと、心掛けてはいるのですが、自分の心や身体というのは中々思い通りにならないものですね。そして、人が心模様に(できるだけ静かにしていたいと思うのですが)、人と人の関係はいい意味でも悪い意味でも影響を与えてしまいますね。 2つ目は、7月26日に大幅に体調を崩し、3日間強制的に仕事と家事から離れることになったため、身体を休め、自分を取り巻く状態を冷静にみれる時間をもてたことです。当日の朝、疲れのせいか身体が重く、それでも点火しようと朝の日課をこなして、朝食を摂り、職場へ出勤しようと玄関を出た矢先、背中に異常な張りを感じ呼吸や歩行が難しくなり、急遽、調整可能な案件をキャンセルし、診察を受け、幸い筋を痛めただけだろうということで、痛みがある程度取れるまで安静となりました。 休んで分かったことは、”私が自分が本当に必要にされていること”と”そうでないこと”の境界線をかなり無視しして仕事をしていたこと、”そうでないこと”の多量が”本当に必要とされていること”へ掛ける時間を分散させ集中度を減じていること、いまのところ”本当に必要とされていること”に取り組む環境としてはオフィスはいい環境ではなく、むしろ”そうでないこと”を遂行するのに向いていること。というのは、この安静が必要とされる身体の状況でも3日間でここ10日間位常に頭の中にあった懸案事項をあっさりまとめることができ、”そうでないこと”はその案件に携わる他の方達が対応して成ったからです。ややこしいことを書きましたが、結論をいえば、24時間をいかに大切に生きるかという視点に立てば、私の現在のケースでは、”本当に必要とされていること”を遂行するのにオフィスはいい環境ではないということ、”そうではないこと”とオフィスはセットでありその”場”との距離の取り方が大切であること、”そうではないこと”とオフィスはコミュニケーションと情報収集と仕事に係る目線合わせの場面でもあり、ならばそう意味づけ、付き合うことが重要であるということ、”そうではないこと”への充てる時間の帯と時間の掛け方は上限をもたせるべきであるということ。そのことが、”本当に必要とされること”の質の向上を通し自分や家族の時間、そして”そうでないこと”へもいい影響を及ぼすのではないかということ。しれが安静の3日間の成果ではないかと考えています。 平川克美さんは、『株式会社という病』という本の中で、組織の中で働くことについてこう書かれています。 『人間はひとつのフレームワークの中にいるとき、そのフレームが作った言葉で思考し、そのフレームが作った価値観でものごとを判断するしている。そのとき、そのフレーム自体は見えていないのである。人間が組織の価値観に支配されるとは、こういうことだ。もしこの価値観を避けようとするならば、ひとは会社社会からスピンアウトする以外に方法がないように見える』 『家裁の人』(著者:毛利甚八)の中で、主人公である桑田さんは山の中の大きなクスノキの太い枝に腰掛け、いつも暮らし、仕事している町を眺めながら、青年に話します。 「このようにして、よく木の上に座って町をながめるのです。人は人を見つめすぎると 間違ってしまうから 見つめた人の いいも悪いも自分に伝染ってしまうから」 本当にそうだと思います。そして、隠遁者や仙人の様に、本当の意味でスピンアウトできないのであれば、日々の中に”スピンアウト”する技と時間をもつことがとても重要だということなのだと思います。 8月9日。8月1日から、再び仕事で1週間ほど、北海道に行って再び、生活と仕事のリズムが乱れたりしたのですが、徐々に、朝に独りの時間がとれるようになり、暮らしに戻って来ています。 8月17日。再び、お盆前後でイレギュラーな時間が続き、本日を迎えています。平常モードに戻り、独りの時間をもつなかで、冷静に考えれば、勿論、職場での組織の中で働くこともありますが、もう1つ、今年は6月半ばから8月初旬までの、庭づくり、苗づくり、畑の手入れがほぼ止まってしまったことには、子ども達(特に末っ娘)との約束で、これまで使っていた工作室を子ども部屋に改装していることも大きく影響しているのかもしれません(約束が10月半ばなのです)。ただ、そのことが理由があるだけではなく、もう1つ水面下に何かがあるような気がしています。それは私の中のことだけでなく、妻や子達の変化なのかもしれません。もう少し、それについて考えていてみようと思います。 子ども部屋づくりは、末娘のオーダーで設えている中二階の小部屋の土台部分の作成がようやく終わり、まだ仮設の足場ですが、早速、末娘に登ってもらい、うれしそうな顔をみて少しほっとしました。部屋をつくっていると本当にこう思います。「目に見える成果」を出すためには、その水面下で「目に見えない部分」をつくる沢山の作業が必要なのだと。 朝、メイ・サートンの『70歳の日記』を読み返してして、心にとまる文章がありました。とりとめがないのかもしれませんが、そのことを書き抜いて、今回は終わりにしたいと思います。 「私はつねづね、人間はもうすぐ死ぬつもりで—もうちろん誰もが死ぬのだけれどー生きるべきだと考えてきた。そうすればおのずと何を優先すべきかは明らかになる。」(P48) また、書いていきます。 #
by mukouno-tani
| 2017-07-19 07:03
| 暮らしと時間
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