カテゴリ
全体 家と庭 畑と山と食と循環 子育ちと環境 向こうの谷 野研ノート(家族) 野研ノート(地域) 野研ノート(デザイン) 野研ノート(社会) 野外体験産業研究会(活動) 野研ノート(ライフヒストリー) フィールドノート 生きる 働く 森の道を歩きながら 暮らしと時間 鍛錬と育ち 未分類 最新の記事
以前の記事
2021年 06月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 04月 2015年 12月 2015年 09月 2015年 07月 2015年 03月 2015年 01月 2014年 09月 2014年 06月 2014年 04月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 05月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 タグ
フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
朝から雪が舞いはじめ、家のまわりの木々がうっすらと白くなりはじめた。山から冷たい雲が降りてきて人界との門が閉ざされはじめた様にみえる。これから雪が降る度、雪が積もる度に時間の流れをゆるやかにしてゆく集落の風景をみていると心静かになる。
秋から冬に移りいく季節に旅したノルウェイ・フィヨルドも美しいものだった。「神々の・・・」という言葉が自然に口からでてくる。 そして、入り組んだフィヨルドの入り江に点々と、或いは切り立った絶壁の下にはりつくようにある村々をみながら、これが、この地の暮らしの風景なのだと思った。 私の暮らす地と比べれば、気候はかなり厳しいようである。 中欧や南欧の田舎を旅していると必ず目につくのが丹念にに手入れされた家庭菜園である。スイスで訪れたヴァルスというアルプスの中腹にある村にさえも家庭菜園はあった。最近は日本でも若い人が菜園に興味を持ち、貸農園等を借りて野菜等を作っていることを見聞するようになったが、ヴァルスでは40〜50代の男性が菜園を手入れする姿を幾つも目にした。寒冷地かつ僻地であり、野菜はじめ物価も高いからでもあろうが、なんと実質的な生活をされているのだろうと、そのとき思った。 ところが、私達が訪れたソルヴォルンというフィヨルドの村や、そして列車やバスの車からみる風景の中にも、家庭菜園らしきものを見るができなかった。そして、各々の家の庭に植えてあるのはほとんど林檎の木である。 他にも理由はあるのかも知れないが、それ程に気候が厳しいのだろう。何故なら、フィヨルドでは出会えなかったが、フィンランドやスウェーデンなど他の北欧の国々の朝市を見て回ったとき、キノコやベリー類以外は輸入ものの野菜を扱っていたから。そして、調べてみると穀物、畜産物、乳製品等はほぼ自給していながら、都市近郊なら必ず需要がある野菜類が9割以上輸入されていることがわかったから。ちなみに、木の伐期(木が十分育って切り倒されるまでに必要な期間)は100年〜150年であり、全国土の3.3%が農業地域、都市化地域が3.1%、それらに利用可能な森林地域をあわせると28%。これが人間の経済活動地域といわれ、残り72%は利用できない土地である。 島根の山間部の幾つかの土地で、おばあさんに何種類、野菜を作っているかお聞きしたことがある。同じ野菜でも複数品種作っていることを含めれば、その種類はおおよそ40〜50近くあった。 この菜園と田が1〜2反あれば、家族が1年間食べる分の米と野菜をつくることができる。そして、杉や桧の伐期は50〜70年程度であり、ナラなど薪炭材なら30年が伐期である。 彼の地と比べれば、わが国の農地も山林もなんと土地生産性が高いことか。 ノルウェイ・フィヨルドに暮らす人々は、ノルウェイ・バイキングの末裔であるらしい。「ノルウェーの社会」「ノルウェーの歴史」(早稲田大学出版部)によると彼らは8世紀〜10世紀に現在のイギリス、アイルランド、アイスランド等に遠征し、略奪行為を行うとともに各地に植民地をつくった。その背景は諸説あるが、人口増や土地不足もあったらしい。彼らの中には移住した者もあったが、多くはフィヨルドの村々を拠点として遠征を繰り返し、各地からの獲得品を持ち帰った。すなわち、その時代に、バイキング達は、フィヨルドに暮らしつづけるために他地に遠征していたことになる。 このことを読んでいて、宮本常一が『日本の中央と地方』で記していたわが国の出稼ぎの話を思い出した。 出稼ぎはよく”農山村で食えないため稼ぎに出て行く”行為として捉えられがちだが、実際は、その土地に豊に住み続けるための努力であった。その土地での生産だけでは確保できないものを稼ぐために村をの外にでる。外で稼いだものは全て自分のためにだけに使うのではなく、村をよくするためにも使う。 昭和30年代頃まで、このようなことが行われていたというのである。 国が異なり、時代もことなるこの2つの史実を簡単に繋げて考えることは難しい。 しかし、経済的なことはさておけば、フィヨルドの村々もそしてわが国の農山村も、人が、家族が暮らすにも、子どもが育つにも豊かな環境であるのであろう。その暮しや子育ちについての理解があるからこそ、ヴァイキング以降、大きな努力が払われ、いまでもあのフィヨルドの村々には人々の暮しが続いているのだ。そして私達の国は、そのことを失うか、それとも次世代へかろうじて引き継げるかその岐路に立っている。そう考える。 フィヨルドでみた2つのスター・ビルケ(木造の教会)にあった沢山の墓碑にはきれいな花が生けられていた。そこから眺める風景は形容しようのないほど美しかった。 次回は、ノルウェイ・フィヨルドの村々に暮らす人達の暮しが、どのようにして支えられているか、限られた体験と情報からではあるが、書いてみたいと思う。
by mukouno-tani
| 2009-12-16 15:21
| 野研ノート(地域)
|
ファン申請 |
||