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拝啓 森の花畑の守人様
2017年4月22日。向こうの谷の家の庭には3週間前まで屋根から落ちた雪の塊が大きくあったのですが、いまは春爛漫です。今年は、忙しい中でも、しっかり自然の恵みを頂こうと思い定め、2017年はじめての草摘みをしました。ウルイ(ぎぼうし)、こごみ、たらの芽です。すべて、庭で収穫したものです。最初の頃は、天ぷらにして食べることが多かったこれら山菜ですが、最近は、ホウレンソウや小松菜のように、茹でて、気分で醤油やポン酢とかつお節などをかけて頂いています(天ぷらが結構胃にもたれるのもあるのですが、家族みな山菜それぞれの風味や苦みをより好むようにもなってきていることもあります)。 この数年、自家菜園で小さな実験をしながら、自分が向こうの谷の菜園でやっていることについて、最初の動機といまの自分の”感じ”に間があるように感じていて、どう理解しようとと考えていたが、少し前に知人と言葉を交わしていて、言葉が定まった。 『生き残るための農園』 もう、「豊かさ」を主張し、求める時代は終わってしまったのだと思う。時代は残念ながらより厳しいものへと移行した。 家族や子ども達が、20年後、30年後、暮らしていくためには、生き残る術をきちんと身に着けている必要があるのだと思う。そのために身近な素材(資源)を極力使い、今まで私達が身に着けてきた科学的思考も用いて、より合理的に、余り手間をかけずともできる作物の栽培方法、自然農法、有機農業の技術を身に着けていくこと。願わくば、そこに機能美が備わることを願う。 あまり、寄り道せず、それに向かっていった方がよいと思い定めた。 それでも、観賞用の庭でなくても、庭が家族の暮らしときちんとつながっていて、丁寧に利用されていれば、庭はきちんと美しくなるのではないかと思い、前に読んだ庭の歴史をまとめた本をめくっていると、いまではガーデニングの代名詞であるようなイギリス中世の修道院の庭について次の様なことが書いてあります。それはとても実用志向で現在の形とは全く異なるものでした。 …分かっていることのうちでいちばん確実なのは、主たる造園主が修道士たちだったということです。…修道士たちは頭が良く、立派な庭を造るための知識と組織がありました。それに修道院が自給自足だったことも、彼らを庭造りに向かわせる促しとなりました。…しばしば修道院は地域全体の病院や薬局の役割をはたし、それゆえ修道院の庭は公共的にも重要な意味を持ちました。 …菜園の敷地はびっくりするほど狭く、それがいろいろな作物を植えるためのきちんときょ形に区画されていました。葫、分葱、チャービル、レタス、セイヴォリ、ヒソップ、うい香、キャベツ、麦仙翁、玉葱、リーキ、セロリ、コエンドロ、イノンド、芥子、ラディッシュ、ニンジン、ビートなどの名がきわめて早い時期の記録にみられます。 …修道院はたいがい塀の外に土地を持っていて、菜園や薬草園以外にも果樹園や葡萄園、養魚場、豆畑などに充てていました。また、裕福な修道院の場合には、行李柳や畑や森、農地などもあって非常に大きな地所になっていた筈です。果物は普通一般のもののほかに珍しいものもいろいろあり、…リンゴ、梨、桜桃、マルメロ、桑、西洋花梨、葡萄、桃、苺、ナッツ、それにおそらく無花果など-でした。 …花はどうでしょう。中世にはどんな花が育てられていたかはかなり良く分かっています。-薔薇や百合の花が好まれ、さらにイアイリス、菫、立葵、忍冬、芍薬、ラヴェンダー、ツルニチニチソウ、苧環、また薬用として数十種のまだ品種改良されていない野菜の花がありました。…中世の花のもっとも有益な目録は、十二世紀にサイアランセスターの大修道院長であったアリグサンダー・ネッカムがまとめたものです。…彼は庭は薔薇、百合、ヘリオトロープ、菫、マンドレーク、喇叭水仙、アカンサス、さらには野菜や料理と薬に用いるハーブのたぐいで飾られるべきだと言っています。その多く、たとえば瑠璃ちぎ、芥子、矢車草、ジギタリスなどは、もちろん実用だけでなく装飾としても用いられたことでしょう。(PP20-25)」 これは日本でいえば戦前まであった農家の菜園に近いものなのかもしれません。なぜなら向こうの谷の集落の80代後半のおばあさんは花や木の実や野草の利用に対するとても該博は知識をもっておられ、花もとても愛でられたおられたからです。逆に、逆に無双国司さんに端を発する日本の庭園の概念とは全くことなるものなのでしょう。 先にも述べた通り、向こうの谷の『利用するための庭』でキーになるのは、多年生(宿根性)の食用、薬用になる植物を中心とした栽培体系と、実や葉を食べられる樹木の剪定方法ではないかと考え、少しずつ情報収集と実験をはじめています。少し実験例をご紹介します。 これは同じ畑の北際の日当たりのいい箇所で展開している、果樹と多年生の食用植物のゾーン(4年目)。いまはハコベに覆われていますが、初夏になればまた様子が変わってくると思います)。手前はクズベリーとブラックベリー、その向こうの向かって右側にはポポー、コオニユリ(ユリ根)、ウド、レモンバーム、それにチダケサシやミツバやイチゴやワイルドストロベリーも混ざっています。向かって左側はアスパラガスとイチゴの混植畑です。 一昨年だったでしょうか。庭における木陰の大切さを確認して、家の南側にある大きな紅葉の樹の下で、半日陰の庭づくりを始めたのですが、3年目になり随分まとまりができてきました。落葉樹の樹の下の木陰は季節によってすごく変化します。早春のスイセンが咲く季節には、若芽も出ておらず樹の下は日向であり、4月から5月前半の春のヒメシャガやスノーフレークが満開になる頃には新芽が芽吹き薄い日陰になってゆき、強い日差しのある夏には葉が開き、濃い日陰になる。そして、落葉樹でも種類によって、葉が開いたり、枯れて落ちてる時期も違う。そういったものも確認しながら、一つ一つ樹を植えていく必要があるのだと、庭づくり5年目にして改めて感じています。そして、これは”利用する庭”を作っていくにも大切な視点なのでしょう。 今、家の南の大きな紅葉の樹の下では、芍薬の蕾が次々と開き、スノーフレークやヒメシャガが満開です。百合やコゴミの新芽も開き始めました。その移ろっていく庭の美しさは、頭や身体を静かにしてくれます。そして報われている気持ちをもたらしてくれます。やはり、庭にはそのような高い効用もあるのだと、再確認しています。そして、この風景を、かみさんや子ども達はどう受入て、この先の人生で、関わり、関わられていくのか。私はとても興味があるのです。 これらの”利用するための庭”が夏、秋とどう変化していくか、隣り合う畑にどう影響を与えていくか、また書いていきます。
by mukouno-tani
| 2017-04-26 09:08
| 畑と山と食と循環
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