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拝啓 森の花畑の守人様
2015年12月13日。分の単位で時間を気にしていないと仕事も家のこともまわらなくなる状況が長らく続いているため、あっとい間に師走が近づいてきたという感覚はないのですが、気を許せば家族や私のことを振りかえったり、手間をかけることを忘れたりすることが多くあります。 向こうの谷もいまのところは暖冬傾向で、一度雪が20㎝ほど積もったのですが、その後、暖かい日が続き、家の南側の池の周りは、再び落ち葉が敷き詰められた様子に戻っています。この落ち葉を庭木の根元に積んでいくことが、庭の土づくりや樹の根回りの雑草管理の大切な作業なので、また再び雪が積もるまで、こつこつと落ち葉集めをすることを日課にしようと思っています。 日課といえば、今年の春から、どんなに時間がなくても、朝、小一時間歩くことにしています。最初は普段負荷をかけることが少ない足や腰を刺激するつもりでやっていたのですが、歩いているうちに、効用は全く運動に留まらないことがわかりました。山道を歩いていると、季節と一つ一つの植物達の目ざめから眠りまでの変化が目に入ってきますし、それは全て私の植物や庭づくりの糧になっていきます。 それ以上に効用があるのは、朝ひたすら歩くという行為が、頭の中をリブートさせるということです。特に前日、忙しかったり仕事や人間関係の渦に身をおいたりすると、私の場合、その朝は昨日の続きを考えている混濁からはじまることが多いのですが、歩くことは”昨日の続き”を一度断ち切り、”今朝、新たにはじまること”こととして本来の自分の視点からすべてを捉えなおすことを促してくれるように思います。面白いことに、そのことは、朝玄関から出て目に山や樹々や田畑や朝の空の風景が飛び込んでくるとスイッチが入り、帰り道、長い坂を登り、有酸素運動が始まり、歩くことに身体が集中せざるを得なくなると始まります。そして、今では、このことが歩く主な目的になっています。 ところが、最近、大きな街に泊まる出張が続き、朝の山道の散歩ができず、せめて歩く機会をつくろうと目的地への移動がてら1駅か2駅の区間を歩くのですが、朝歩いても、私の頭の中のカレンダーはめくられないことに気づきました。私の頭の中はリブートされず、昨日の続きとして朝が続くのです。それはなぜか、考えてみたのですが、いまの所、それは歩く環境が全く違うからだと整理しています。つまり、山道を歩く朝は、昼間の人に囲まれた娑婆と重ならない山道の中で、自分と周囲の気配だけに集中するのです(そのうち有酸素運動がはじまれた自分の身体だけに集中することになります)。しかし、街の中を歩けば、それが”仕事場所へのいき道がてら”ということもあり、やはり昼間の人間環境と社会の動きをダイレクトに連想させる娑婆の姿(情報)が目に飛び込んできます。しかも他人とはいえ、他の人の動きに常に注意していなくてはならない。これでは僕の場合、切り替えることは難しいな、とそう思うのです。 開高健先生は『とにかく手と足を使いなさい』といいました。ジュリア・キャメロン氏はThe Artist's Wayの『心を動かすために、体を動かす』という項で、「…創造性を回復しはじめている人でも、行動に踏み切れる人は少ない。自分の体を使って創作できるようになるために、まず、自分の体を動かすことを覚えることだ(p235)」と述べています。これは創作でなくても、日々のことをいきいきと行っていくためにも重要なことで、そのための準備運動は、それが山道の散歩でなくても、プールの水の中の泳ぎでも、自分が演奏する音楽でも、茶を点てたりコーヒーを豆を挽いて入れることでも、いいのではないかと思います。 最近、家族や仕事の時間の中で色々と考える機会を持ちながら、また、幾つかの本と出会いながらもう一つ、考え至っていることがあります。それは『働いて得たお金で必要なもの・サービスを買って使うことと、直接、自分の時間と体を使い、必要なものつくったり・事柄を行ったりすることは等価ではないのではないか』ということです。 たとえば、ここに家族の時間の使われ方についての2つのグラフを作ってみました。 1つ目は、「1日15分子どもの英語の勉強をみる」と「週1回の英語塾に月謝を1万円払ってみてもらう」のグラフです。 1日15分子どもの勉強をみるとかかる時間は月7時間になります。週1回の英語塾に月1万円支払うために時給1500円で働くとしたら月7時間働くことになります。はたしてこれは同じことか。 塾だとどうなるか。もちろん親以上に上手にやる気を引き出しながら指導して下さる可能性は高いし、もしかしたら親身になって学習以外の子ども様子も気遣ったり、1人の大人として色々なことを教えてくれるかもしれません。しかし、塾の目的はあくまで点数の向上だから、点数をとるために必要なテクニカルなこと以外は捨象されることが多いだろうし、「せっかく理解しているのに、ピリオドがついてないと点数がとれないからもったいない」という所に留まることの方が多いと思うのです。しかし、月謝代を稼ぐために、親は自分で教えるのと同じ程度の時間を使わねばならない。 塾にはお世話にならない方がいい、なんでもかんでも親がやった方がいいと主張している訳ではありません。むしろ高学年になればなるほど、他の大人にお世話になった方が格段にいい場面が多いと思います。ただ、子どものために塾にやる→塾にやるためにはお金がいる、お金がいるから働かなくてはならない→働くから子どもとの時間が少なくなる→子どもの様子がわからなくなるという構図を無意識に辿るのは、私の場合、少し考えながらいこうと思うようになっています。 2つ目は、「ファンヒーター×灯油利用」と「薪ストーブ×薪利用×灯油(ファンヒーター)の補完的利用」のグラフです。 これは向こうの谷の家の場合で1年間のスパンで利用するのに費やす必要な時間を計算してみたものですが、ファンヒーター×灯油利用の場合は36時間、薪ストーブ×薪利用×灯油(ファンヒーター)の補完的利用で45.3時間となりました。これをどう考えればいいか?まずは、計算が少し複雑なので、下記に書き出してみます。 ▶ファンヒーター×灯油利用の場合は1年間の灯油代4.5万円(1ヵ月9千円×5か月)、1年間のファンヒーター減価償却費9000円(2台45000円で5年間使用)として、合計5.4万円を稼ぐには時給1500円で36時間必要という計算です。 ▶薪ストーブ×薪利用×灯油(ファンヒーター)の補完的利用については、向こうの谷の家では私が忙しくて、薪の原木(玉切り前のもの)の量の2/3を購入していること、私の書斎で補完的にファンヒーターを使用しています。かかる時間を構成要素別に計算すると次の①~⑥通りです。 ①薪づくりに必要な時間(原木をチェンソーで玉切、斧で薪割)=15時間(1日0.5時間×30日) ②薪原木入手に必要な時間 1/3 木の伐倒(山手入れ)~玉切 4.5時間(1回1.5時間×3回) 2/3 原木の購入 1.8万円 → 12時間(1.8万円/1500円) ③灯油購入に必要な時間(補完的利用)=3.7時間(年間5600円(1600円@月×3.5月)/1500円) ④薪ストーブ購入・メンテに必要な時間=3時間(約30万円で購入+修理・一部部品取替え5万円で80年(2世代)利用を想定 → 35万円÷80年=1年当り4500円=1年当り3時間(4500円/1500円)。※部品交換など修理は溶接等で自前で行う前提) ⑤チェンソー購入に必要な時間=3.5時間(約6万円で購入、うち薪づくり利用は8割なので薪づくりでの負担は4.8万円。9年間利用を想定→4.8万円÷9=1年当り5300円=1年当り3.5時間(5300円/1500円)) ⑥チェンソー維持・燃料に必要な時間=1年あたり3.7時間 グラフの通り、単純にお金または時間の量を物差に比較すると、ファンヒーターの方がお得ですが、他方、子どもの体験や家族の時間といったことを物差にすると、毎年、向こうの谷にある、山の樹を倒し、薪にして、燃やして暖をとるロセスには、灯油を購入しファンヒーターを使用する形態では得ることのできないものが沢山あると思います(そしてこれらの事柄は、薪ストーブという道具だからではなく、山から燃料をとり、家で使用するという生活環境の中で発生ししているように思うのです)。 例えば、手が足りないので、今年から長男に割った薪を積むことをしてもらっていますが、「真剣に崩れないように積まないと崩れたとき近くに子どもがいれば大変なことになるよ」と言われ、長方形でない薪を安定して組もうと懸命になります。また、写真の後ろ側の薪積みは長男坊の最初の作ですが、この後、「薪積みの端が斜めだとトタンでで屋根を掛けても端から濡れて、肝心の冬に使えなくなるでしょ」と注意されています。 例えば、私自身も、樹を倒し、玉切りするためにケガをしないように注意することや、チェンソーのメンテや刃とぎ等の技術を身に付けていきますし、その作業を通じて緊張して物事に臨むことが強化されているように感じます。そして、私がこの手の作業をしているときには子ども達は近づいてきません。「樹を倒したり、チェンソーのような道具を使っているときは、予想できないことが起きるから、絶対に近づくな、話しかけるのは作業が止まったのを確認してからにしろ」と、何度も強くいわれているからです。彼らはきっと、同類の場面に遭遇すると、無意識に同様の注意をするのではないかと思います。 そして、これらのやりとりが日常的に、向こうの谷の私たち親子の間にあります。また、その場面の中で私達親は子どもが何がきちんとできるようになって何ができていないか確認することなりますし、また、子ども達も私達親の作業をみることになります。少し例に挙げてみるだけでも、これだけのことがあります。そして、それらのことと平行して、家の周りの森が手入れされ、そこから燃料を頂いているのです。 (なお、薪ストーブは万人向けの道具ではないと考えています。薪ストーブの利用を始めた理由の中でも書きましたが、基本的に家族の中に体力のある男性がいて、かつそれを使用する環境と自分でリスク管理する責任と技術がないと使用できないものだと考えています。そして、それにも関わらず”山から燃料をとり、家で使用するという生活環境”が大切なのだとすれば、我々はより使い勝手のよい道具の選択をすべきだと考えています。そのような道具として期待できるのは、例えばキッチンロケットストーブです。まだ途上で、暖房も含め日常生活の中に取り込むためにはさらなる道具としてのブラッシュアップが必要だと考えますが、例えば、焚き火小屋の管理人さん実際にこれを毎日使用されて、新たな形の素敵な暮らしが展開されています。私達も少しずつその方向に更に舵を切っていきたいと思っています。) 2つの小さな例に過ぎませんが、こういう風に具体的に考えすすめていくと、最初の問、『働いて得たお金で必要なもの・サービスを買って使うことと、直接、自分の時と体を使い、必要なものつくったり・事柄を行ったりすることは等価ではないのではないか』という問に対し、今後、私がやっていくべきことは、「あたり前にお金を払って購入している沢山の事柄を、とりあえず自分(達)の時間と体を使って作ったり・行ったりすることに置き換えてみて、そこで私と家族に起きることを確認してみること」なののだと再確認しました。このことも、引き続き試行錯誤と整理を進め、時折、お知らせしていきたいと思います。 この文章を書き始めたのは12月半ばでしたが、私の筆が遅々として進まない、4月の半ばになってしまいました。新たに、家族生活の中での買うことと作ることの違いについて考えはじめたので時間がかかったのかもしれません。 この間にも向こうの谷にも様々なことがありましたが、そのことはまた折にふれて書いていきたいと思います。 向こうの谷の周囲の山々ではコブシが満開で、もあと半月位で山桜が咲きそうです。 春になりました。
by mukouno-tani
| 2015-12-13 09:37
| 子育ちと環境
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