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拝啓 森の花畑の守人様
2015年1月6日 流れるように2014年の秋、早冬を通り、新年がはじまりました。 1月1日からの大雪に降り込められて正月3日を家の中のことをやって過ごし、4日に晴天となり、家の外から声をかけられて玄関から外を覗くと、1歩先は冒険広場になっていました。かみさんが雪をかくその先で、子ども達が雪だるまを作ったり、田んぼの斜面を使ってそりをしたりしています。誘われてひとときそりあそびをし、気持ちがスッとすきました。 年末から年始にかけて、子ども達の様子を眺めながら、いまの彼らの暮らしの中に必要だと思いながら動き出せていなかったものにようやく着手しました。 一つ目は皆が1人になれる場所。現在の私の工作部屋を子供と一緒に改装して場所をつくろうと計画したり、ものを動かして掃除したりしていますが完成までは時間がかかりそうなので、まずは応接間にある大きな丸い座卓を炬燵に改造し、寒い冬でも応接間が使えるようにしました。天板は母の友人が長年使っておられたものを改装にあたり譲って頂いたもの。足は45mmの角材を合わせて作った組み立て式のものを使っていましたが、今回はこれに脱着可能なヒーターユニットと炬燵布団が掛かる鉄枠を取り付けています。 二つ目は台所の水切り棚。長いこと向こうの谷の家には水切り棚がありませんでした。大人達が使う分には小さな水切りカゴがあれば十分だったのですが、去年後半から子ども達と一緒にごはんを作ることをはじめたので、同時に洗い物もしてもらいやすいようにしたいと思い、時折り考えていたのです。 水切り棚には幅82cm、奥行き30cmの棚が3段あり、1段目は水切り部分にポリカーボネートの波板(水受け)、2段目と3段目は竹(2段目:真竹、3段目:孟宗竹)を使っています。水切り部分は竹や木では暖かくなれば黴るので、鉄で作って塗料でコーティングすることも考えたのですが、それでもいずれは錆びるので、知人の造作物を参考に,単純に竹を切って割って並べて水切り部分として使用して,黴て見苦しくなったら取り替えて、ロケットストーブの燃料や薪ストーブの焚き付けで使うことにしました(一応黴防止に桐油を塗ってはみています)。この規格の竹棒は薪ストーブの焚きつけや春から屋外のロケットストーブキッチンでパンを焼くのに幾らでも使うし、山から竹を切り出してこの規格の竹棒も沢山作ります。 三つ目はドアで作っている最中です。向こうの谷の家にはドアが1つしかありません。子どもが小さく、来客も少ない,古くて大き目のこの家では、風呂もトイレも布が目隠しで掛かっている程度でよかったのですが、上の子ども達が思春期に入り、下の子の友達遊びが多くなり、友人の来訪も時折りあるようになると、新たに2か所ほどドアが必要だと思うようになったのです。木材の四隅をネジでとめて白のペンキを塗った簡単なものですが、それでも古い家のドアをつくるのは手間がかかります。家が傾いているので取り付ける箇所も菱形や台形で、それに合わせてドアの形を作らねばなりません。家の中は暗いのでドアの板の部分には半透明のポリカの波板を使っています。右下の四角の枠はうちのネズミ採り方の猫の通行口です。彼によりうちの保存食や電線は守られているので通行路の確保は大切なのです。ドアの取っ手は10mmの鉄筋も丸棒をベンダーで曲げて、ネジを切って両方からボルトで締めて取り付けようと準備をしています。 四つ目は,”このような家族の変わっていく段階(ライフステージ)に合わせ,私の時間をどう使っていくか,そのためどう働き方を変えていくか”,について真剣に考えています。遡ることのできない時間の流れのなかを,子供達は日々変化しながら大人に向かっていき,私達の親も人生を全うすべく老いを迎えようとし,そのような家族を感じながら,例えば”子供たちの様子をみて必要と思えるタイミングで水切り棚をつくれる”ように,時間が使えたらいいと思うのに,なぜそうではないことが多いのかと考えています(これは決して生活の糧を得るための働く時間を削りたいということではありません。忙しく働くのはいいけれど,もっと生活に寄り添って時間を使えるようにならないかということです)。 その理由の一つと考え重ねているのがサラリーマンという働き方です。私もサラリーマンですが,学校教育でも世の中でもそうなることが当たり前に示される職像です。向こうの谷に暮らしていれば,子どもには子どもの生き物としての育つリズム,畑ではこの時期に発芽,この時期に養分という植物の育つリズムがあります。それなのに,春夏秋冬,晴雨問わず,他のリズムを無視して月~金土,朝8:30~17:15のリズムが当たり前の様にあり続けるのはどうしてなのか。それで仕事のクオリティが向上するならそれでもいい部分もあるのでしょうが,振り返れば,せっかく立ち上がってきた仕事のいいリズムを月~金土,8:30~17:15が断ち切っていくことが多いのです。 一方,労働時間規定や労働日数規定が,新興商人により苛烈な労働状況が作られた19世紀の産業革命以降,劣化した働く人の働きや暮らしの質を改善するため労働者が戦い勝ち取った条件の1つであり,月~金土,8:30~17:15という決まりごともその系譜にあるのだとも思います。しかし,世のシステムが必ず使い手を変えながら手段と目的を逆転させていくように,労働時間や日数規定も,組織が能動的でない働き手を律する組織側のシステムとなり,自営業が減りサラリーマンが多勢となる趨勢の中で,「周りの人がやるので自分もやらないといけない」という強迫感や,「やることが正しい(社会)人としての在り方」という観念のようなものに変容しているようにも思うのです。さらには、たとえ労働が8時間を超える状況が常態化しても,「おかしいな」という個人の違和感は、会社人間関係の中で働く人達が無自覚に相互緩衝・拘束しあう中で打ち消される,そんな状態が続いているのではないかと考えるのです。 ただ,この論には注意が必要だとも思います。要は月~金土,8:30~が自体が悪ということではなく,現在の日本の画一的な労働志向下でも,産業革命後の苛烈な労働や生活環境の下でも,同じく”自己環境改善能力(自分や家族の暮らしの質をよくするため取り巻く環境をよくしようとする能力)”が削り落とされるのではないかと思うです。『日本残酷物語』(宮本常一,山本周五郎ほか)には,例えば戦前の筑前の苛烈な労働条件がいかに労働者の生活改善思考を奪うかということについて描写されています。一方,経済平均的に余裕があり労働環境が改善されたようにみえる現在のこの国でも,皆が明らかに昔より子供たちのアトピーやアレルギーが身近に増えていることや原発の放射能汚染を目の当たりにしても,””子どもと一緒にいる時間が少なくなるほど、買うためのお金を稼ぐために働く時間が1日に占める割合が大きくなり,さらに働くために新たに便利なサービスを買っている輪””の中で,『月~金土,8:30~の日常』を疑問視する訳にはいかないという状態にあると思うのです。外見は異なりながら,より同質の問題がさらに拡大・複雑化しているのではないかとも思うのです。 この3か月ほど,このことを頭の隅に置きながら,仕事で色々な場所を訪れました。そして、幾つかの暮らし方や仕事のあり方を見させて頂き、お話もするなかで1つの時間の自治力を高める方法を発見した気持ちでいます。それは『自分で作る技術を身に付けること』です。島根県吉賀町で自分でおこした酵母でパンを焼いて売ることを20年生業としている方のお店にお伺いし、お話しました。彼女はこう話されました。「パン屋を始めるとき借金せずに(できなかったので),機材も自分で中古のものを購入したり、家庭用のコネ器を幾つも併用したり,厨房も自分で少しずつ作ってはじめたのだと」。 そして、もう一つ。『自分で作る技術を身に付ける』には”働き方、働く時間を自分の意志でコントロールできること”が大切なのではないかと考え進めています。そのことを思うようになったのは、知人からお聞きした、フランスに暮らす日本人の飛行機関係の技術者さんのお話でした。その方は週3~4日を技師として会社で働き、残りの日は田舎で手に入れた古い家を直すことに使っていると。よく考えれば、日本のサラリーマンは週全部働いて得たお金で家を買ったり、家を建てることを他の人に頼んだりしているのですが、この方は家を直すことを頼むお金を稼ぐために時間を使うことをせず、直接、家を直すことに時間を使っているのです。 このことをお聞きしたとき、私は、これからの私や私の家族達の生き方について、大きく視界が広がったようにな気がしました。 『実現したい住まい・自分と家族の暮らし→人に頼む→お金が必要→働く時間を増やす』だけが唯一の方法ではなくではなく、 『実現したい住まい・自分と家族の暮らし→自分で時間をかけて作る』という方法の取り入れが可能なことがわかったから。 そしてそれは、家族が毎日口にする食べ物、家具、燃料についても同じことが可能であり、できるだけこの方法をとる方が、”家族と一緒にいる時間”が長くなり、子供たちも作る行程をみて学ぶことができ、親は子供たちの様子をみて必要と思えるタイミングでそれを行うことができる可能性が高くなることが想像できたから。 但し、日本にいる私(私達)が”働く時間を自分の意志でコントロールできる”ためには、少しずつ時間をかけて軌道修正していかねばならないことがあると思うのです。それは、今より多くの人達が『自分で作る技術』を高め、「本当は、ここ3年は働く時間と給料を2/3分位にして、その分、家を改装することに直接時間を使えたらいいのにな。そっちの方が合理的だし、豊かなのにな」と思えるようになるまで力をつけること。そしてそれを容認できるような社会常識や社会制度が育まれることだと思います。そして、もっとも重要だと思うのは、その大人の姿をみている子どもがそばにいること。 私(私達家族)も少しずつですが、そこに向かい働き方を変えていく努力をしたいと思っています。 このような事を考えながら、中2の長男坊主に相談して新しいことを試みています。アルバイトで家を改造していくことを手伝ってもらいはじめたのです。いま頼んでいる作業は新しく貼ったトイレの前の床の塗装です。彼のできるペースで、まず塗装箇所の周辺をマスキングして、床板を2~3枚ずつ、オイルステイン(ワトコオイル)で塗装し、翌日、ウェスで余分な塗料をふき取ることをしてもらっています(ちなみに、彼は石の研磨やプラモデルのパーツづくりが好きで、石やプラモデル分野で使う(電動)工具や塗装については一通り経験済みなので、OKしたのかもしれません。小6の次男坊にも別のことを頼もうとしたら、彼は「もう少し身体が大きくなってからね」と答えており、これはこれで「なるほど」と思いました)。 ちなみに写真のドアのは先程作成途中だったものが完成し、取り付けたものです。 最後に、前回から再びまとめはじめた「行政組織はなぜ自己の組織運営や事業・施策について自ら改善を行うことができにくいのか」について少し考えることを進め終わりにしたいと思います。 「昭和40年代まで、なぜ使う側に健康被害があるとわかっていながら強い農薬の普及を長い期間やめられなかったのか」「人口減と高齢化が予想されていながら子育ち・子育てを支える社会の仕組みづくりが後回しにされてきたのか」「人事異動のため人的・組織的な継続性がない故に効果検証や責任がおざなりなる条件下での支援や補助をやめられずにいるのか」 これらのことについては、「分野が異なり、地域性や時代性を伴う別個の問題ではないか」、「行政よりも政治の問題ではないか」ということもあると思います。他方、我が国では実態的には、国、県、市町村自治体なども実態的には首長の交替や議会に影響されながら行政組織が事業と施策を起案し運営しており、その結果、”行政組織という生き物”の性格や体力に強く影響されていると思うのです。そして、その行政組織が自己改善能力を低下させている状況では、自らの組織の流れを踏まえながらではなく、刹那的に教育や福祉や産業に強く干渉する中で、先に述べた”自分で作る技術”や”働く時間を自分の意志でコントロールする力”が皆から削がれる状況が生まれているとも考えるのです。 そして、このことは日本のこと、今時点のことに限られることではなくて、他の国の他の時代にも起こっているようです・ 有機農法の実践的研究者であり、今日の世界的な有機農法普及の礎を築かれた、アルバート・ハワード先生の著書『農業聖典』に「今日の農業研究に対する批判」という章があり、農業研究者の立場からイギリスの公的研究機関(行政により設置された研究機関)の問題点を論じています。驚くべきことに、それは第2次世界大戦前のものであり、読んでいるとそれはまるで現在と変わらない行政組織の課題を有していることがわかるのです。幾つかの文章を抜き出してみます。 ・かくして、恐ろしく大きな、そして複雑で経費のかかる組織が1911年以降、発達してきた。中央政府の少なくとも七つの機関が農業研究にかかわらねばならず、そこの全職員が多くの人びとの、実際には研究者たちの膨大に時間とエネルギーを吸収しているにちがないない報告書、メモ、情報などの絶え間ない奔流に巻き込まれざるを得なくなっている。(p234) ・研究所は科学を基礎に組織されており、誰もが認識している農業という部門を基礎にしているのではない。そのため、手段(科学)と目的(農業)はすぐに接点を失うことになる(P235) ・これら研究所内にいる研究者は専門化された領域に閉じこもり、研究はやがて細分化されていく。直接的な実践経験から得られた着実な影響が、通例というよりもむしろ例外とされてしまうのである。これら研究所の報告書は課題の周辺であくせくし、より狭い領域をより多く研究することに没頭している実に多くの研究者の活動を記載している。(P235) ・・・ ・かつて公的機関がこのような問題について自問自答したことがあっただろうか。(P236) 守人様 農業聖典から抜き出して書いてみて、改めて驚きます。私の問はすでに、1920年代にされていたのです。そして科学と実践を乖離させる大きな要因としての研究への行政組織の関与の在り方や、それを改めるに必要な人材育成、研究に替わる”実証的研究”について述べられていきます。 このお便り、話があちこちに飛んでいるようにみえるかもしれませんが、前半でお話した私(私達)の暮らすこと・生きることには、終わりの方で”行政組織という生き物”の状態の良し悪しや振る舞いが大きく関わっていると思っています。江戸まで遡れば天明・天保の飢饉、戦後の農薬禍、現在の原発しかりです。そして我々の暮らすこと・生きることの状態の良し悪しもまた”行政組織という生き物”に大きく影響しています。組織の意志は、組織を構成する個人個人の状態に影響されるのですから。そして行政組織とは住民自治の代行者でもあるのですから。 休み休みですが、向こうの谷に家族と暮らしながら暮らしの視点から試行錯誤したり考えたりすることと並行して、「行政組織はなぜ自己の組織運営や事業・施策について自ら改善を行うことができにくいのか」について研究を重ねていくことをしばらく続けたいと思っています。 追伸 このお便りを書き始めたのは1月中旬だったのにいまは3月中旬。随分時間がかかってしまいました。その間、向こうの谷に新たな、楽しいことがはじまりました。森の実践的研究者であり、いまは庭師でもある、おおかみの眼を持つ友が向こうの谷を訪れてくれました。色々話し合い、4月から時折訪れて頂いて向こうの谷をフィールドにした庭や森と関わる暮らし方についての新しい試行をはじめることになしました。その展開ともたらされるかもしれない新しい気づきや学びにわくわくしています。そのことも含め、またお便り致します。
by mukouno-tani
| 2015-01-06 07:54
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