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拝啓 森の花畑の守人様
昨日から強い雨が降っています。今年の天気はかなり極端で、日差しの強い晴れの日が続き、山も畑も庭も乾ききっていたのですが、今度はその裏返しのようにゴウゴウと土砂降りが続いています。天気と気候の振り幅が大きくなっているのではないだろうかと、時折思い、今年の冬、いつもなら1m近く積もる雪が殆どない風景をみて、世話役のおじいさんが、今年は大変なことになるぞ、とつぶやいていたのを思い出しました。 今年の冬や来年の春もどうなるかわからないので、例年よりたっぷり薪を用意すべく、そろそろ準備を始めなくてはと思っております。 ともあれ、庭や畑は久しぶりにたっぷり雨を得て、瑞々しさを取り戻しました。 庭には移植した、金水引が小さな黄色い花を付けています。 先週から少しずつ、ジャガイモを掘り、貯蔵用に縁側で乾かすことを繰り返しています。 かみさんによれば、北西の畑は土が十分出来ていないのか、小振なジャガイモがひと株に4個程度しか出来ていなかったそうですが、今年は、山道の側溝からとってきた腐葉土をたっぷりいれた所、いままで畑でみたことのないような大きなジャガイモも付けてひと株に6~7個もイモができていて、驚いています。 腐葉土を入れたことで、土の質も大分変わりました。例年、夏には乾いてカチカチになっていた土が、道具を使わず、手でイモを掘れるほど、フカフカになってきています。掘り返すと去年は滅多に見なかったミミズが沢山いるのです。 それから2週間が経ちました。 庭では、かみさんが白菜の苗を仕立てはじめました。9月の頭にはジャガイモのあとに、大根を蒔くのだそうです。これから、少しずつ畑が起こされ、キャベツやレタスやブロッコリーやカブや様々な雑菜や、冬を越す玉ねぎやスナップエンドウなどが次々と植えられていくでしょう。 彼女は、もう当たり前のようにコンポストの堆肥と畑の土を混ぜて移植用の苗床を作っています。畦草や野菜屑を積んで作った堆肥を混ぜて作った培養土で育った苗はとても逞しくて、不規則な天候にも病害虫にもよく耐えるのです。冷涼な気候もあり、ホームセンターで購入した市販の培養土で育てた苗では、例年、育たなかったバジルが、今年は、見事な葉をつけ、大きな株になりました。 あれから、私は仕事を立て込ませてしまい、ときおり呼吸を整えようと、庭の花を摘んでは活けたりしていました。しかし、気づいてみれば、なすことすべてためがなく、しずかに周りを眺めることもなくなっています。いつのまにか、庭や畑や野に出て植物達をみつめることも触れることもとぎれとぎれになっているのです。 そして、ひとここちついたので、自然の移ろいや木々や草花の様子を眺めながら、家の周りの山道をゆっくり歩くことからはじめました。去年は目に入らなかったヤマジノホトトギスが山裾で可憐な花をつけているのに気づきました。次第に呼吸が整ってくると、季節や天候や植物達の生きるペースにあわせて、暮らしをつくっていこうとしていたことを思い出します。冬ごもりや来春の庭や畑の準備をどうしようかと、身体と頭が切り替わっていきます。 ウィリアム・モリスの後継者であるガートルード・ジーキルは、”その場所と調和する庭を作るには、最初に周辺の田舎の(植生)を調べることからはじめるべきである”と述べました。冬が来るまで、山路を歩くことを日課にしようと思います。路の傍に咲く花や様々な葉の形を見入りながら、私達家族が暮らすこの地の植物達をもっと覚えていこうと思います。来春、庭に入れる野の草花のことも考えながら、ゆっくりとあたりを眺めながら。 さて、随分間が空いてしまった、簗瀬義亮先生の『生命の医と生命の農をめざして』の読み返しも再開します。本を開き、目を通すと、読み返すことの大切さも思い出します。もしかしたら、今回が、この本の最終章になるかもしれません。 「おわりに」の前節の一文から抜き出してみます。 ・・・具体的には人間の生活で出来る廃棄物とか雑草とか、その他、人間に不要なあらゆる有機物(土から出たもの)を土にして土へ返すのです。これは生命と生態系という事実を重んずる、たのしい健康な生命尊重の農法です。だから『健康農法』とも『有機農法』ともいいます(p228)。 「おわりに」 pp229-231 ・一少女の死によって、ゆくりなくも私の前に展開された人生は苦悩に満ちていた。しかし、それは私にとってありがたい年月であった。何ものか高い力がこの小さな、哀れな魂を守り導いてくれたかに思われる。苦悩と困惑には、必ず良き友と、魂の向上と、一つの解決が与えられたのだ。 ・「生命」という厳粛な事実を忘れて暴走する巨大な怪物、それが現代社会である。 一切の生命を、人間をも、そして大自然という高次元の生命すらも単なる物質と見なす唯物論。 「共存共栄」という生存の原理を錯覚して「生存競争」の中にのみ生存原理を見出そうとする「自我」中心主義。そして小さな知恵と能力にもかかわらず「偉大」、「最上」と錯覚し、大自然の叡智と能力を無視して奢り昂る人間至上主義。それはただ殺すことと奪うことにのみ狂奔したのだ。 そしてついに「母なる大自然」に瀕死の重傷を負わせ、公害という恐るべき毒の洪水を生んで、自らその中に漂溺しようとしているのである。 ・・・「生かされ」、「生かし」、「また生かされる」という共存共栄の原理に立ち返ろうではないか。大自然の深い愛情の中にありがたく生きさせてもらい、そしてまた、ありがたく死なせてもらう、この心で、今一度文明をつくり直そうではないか。 ・その時自ずから「生命の医」と「生命の農」が生かされ、・・・「死の文明」は「生の文明」に転換するのである。 守人様 梁瀬義亮先生は、昭和30年代、急速に悪化し始めた農業者の方達の健康状態に気づき、膨大な診療と聞き取り調査から、農村部で使用されはじめた農薬が大きな要因であることを見出されました。そして、農薬や化学肥料の効果に農家も農協も普及所も夢中になっているその時代に、その問題を社会に起されました。国・県・企業の反論に臆せず、農薬の影響を自らの体で確認し、自ら畑をつくり、土づくり・堆肥づくりによる病害虫に強い野菜や果樹が育ちうることを証明し、仲間をつくり、有機栽培の研究を進め、ついには共鳴者と直営の農場と直営の販売所をつくり上げられました。私が知っている範囲でも、直営農場には、島根県内でも先駆けて有機栽培を志した先輩方が複数名いらっしゃいます。直営の販売所は、現在、全国各地にある農産物直売所のさきがけであり、取り扱われている商品が無農薬や添加物に最大限配慮している食品であることからいえば、いまの直売所でもほとんど実現されていない水準にあります。 医者として自転車で往診する忙しい往来の最中に、森の木々の様子をみつめ、なぜ生き生きとあり続けられるのかと疑問を感じ、森に入り、森の樹々と土の様子を目と鼻と触感で確認する好奇心・探究心、常に農村部の患者や農業者や農地や植物と関わり続けられる市井の医者であり続けたその身の置き方、治療方法、農場、直営売り場をつくり、効果を示してみせた実証実験的研究の姿勢、そして全ての取り組みが様々な立場・分野の共感する仲間とともに行われたこと。おこがましいとは思いますが、私もそのことに学び、私にあったやり方で、長続きするように、取り組んでいきたいと思います。 梁瀬義亮先生は、今回、ご紹介した『生命の医と生命の農をめざして』のほかに、『有機農業革命』という本も記されています。また、機会があれば、ご紹介してみたいと思います。
by mukouno-tani
| 2013-08-25 08:08
| 畑と山と食と循環
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