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2010年12月第4週週末。
一度、雪が積もったあと、向こうの谷にしてはめずらしく暖かい日が続き地面がみえはじめたと思ったら、金曜日から猛烈に降り始めた。夜明け前にストーブに火を入れると、おきまりに屋根からミシミシ雪がずる音がし始め、そのうちズズンと大きな塊が落ちる振動で家が震える。 家の周りに大きな雪の壁が育ち、あっという間に軒にとどきそうになる。さあ、雪かきが始まる。 ![]() 5日前の日曜日は、知人に連れられて車で40分位の所にイノシシ猟をみせてもらいに行く。 私にとって猟のイメージは、坂東眞砂子 『山姥』に描かれるマタギの習俗のような、理解の外にあるものなので、どんな人達が集まっているのだろうと道中かなり緊張しながら道案内に従い運転していくと、「ここです」と知人が大きな農家を指し、路肩に車を止める。 早速、降りて敷地に歩いていくと、60代後半位の男性(Mさん)が軽トラックを車庫から出すところだった。 Mさんは、知人に向かい「丁度出るところじゃった。とれるかどうかわからんが、ついてきてみんさい」といい車を走らせ始める。これが、この地域の猟のはじめ方らしい。一度、皆で集まるということはないらしい。 後をついて走る車の中で、一度、猟についていったことのある知人が色々説明してくれた。 ~下見~ ![]() ときどき、男性の軽トラの速度がゆっくりになり、じっと路肩や道路ののり面の様子をみている。 すると、止まり、男性が降りて、道端の落ち葉の様子を確認している。 「雪が大分溶けたのでわかりにくいんじゃ。こりゃ、新しいもの(足跡)かのー。」と話す。 そして、また移動がはじまり、止まっては足跡を確認することを繰り返す。 「あそこは新しいの。」と指差すのり面をみると、かなりの急勾配な2m程の赤土の斜面に足跡がある。 20分ほど下見した頃、男性が「退屈じゃろ。これ聞いてみんさい」と携帯無線機を貸してくれる。 無線機には次々と人の声が入る。不明瞭かつ早口の方言であり、聞き取りにくいところがあるが、 「今日はなんもみつからん」 「○○さんの家のうらに小さいのがようけでとるようだ」 「○○の田がこねくりまわされとる」 「あそこは笹が多すぎて犬がけがする」 「○○さんと連絡とれん」とか 見たもの、聞いたもの含めて様々なイノシシ情報が飛び交っている。この様にして共有するのだと思った。 30分ほと経った頃、「○○の集荷場に寄ろうで」ということになり、車は集合場所に向かう。 (なお、今回は写真を殆ど撮っていない。撮る余裕もないし、未知の文化の領域に入るのに軽率にとってはいけない気がした。ということで以下も殆ど文章である。) ~打ち合わせ~ Mさんの軽トラの後ろで車を待機させていると、次々と無線アンテナをつけた軽トラが集まってくる。 5台ほどだろうか。そして、猟をする男性達が降りてきた。60代後半を中心に50代後半、70代前半位の方まで全部で7名いらっしゃったと思う。皆さん迷彩柄の耐水性のあるズボンに、長靴、蛍光色のチョッキ、帽子という出で立ちで、猟銃を持っている方が4名いた。それと犬のゲージがあり、猟犬が2頭いる。 みなさん腰に皮のベルトをつけていて、短刀と銃を持つ人は薬莢らしきものがささっている。 地域の方だけでなく、広島の方からも2名の方が加わっているらしい。後で知人に聞いてみると、一つに猟師さんが全体的に高齢化しつつ数が減少していて地域の方達だけでは人数が足りなくなりつつあるそうだ。 この猟師さん達は合併前の旧町の範囲で集まっているが、昔は集落などもっと小さな単位でまとまっていたらしい。他方、昔から猟師さん達は地域の外へも猟に出て行っていたようで、外の猟師さん達とも繋がりがある。その関係で広島から猟師さんが来ているらしい。 皆さん集まり立ち話を始める。私達がおずおずと近づいていくと、Mさんがお話して下さったらしく、みなさんが「大学生かい?ものずきだのー」とにんまりされる。 立ち話は、世間話から始まり、徐々に本題に入っていく。 「あそこは、掘り返した大きな跡があったが。」 「○○さんとこは、ようけでとるが、こんまいらしいで。」 「あそこは、おるが、あっちへ逃げられたら追われんで。」 「ほれじゃ、あそこからやってみるかい。3セット位やるかい。」 どうも猟場に決まった地区の担当と思われる人が中心になり、仕切りはじめる。 「○○さんと○○さんは○○の方行ってまっとってくれんかの」「○○さんと○○さんは、追ってくれんかの」 「どこでまっとったらいいかの」 「○○の入り口の所にゆずの木があるじゃろ。あすこらへんがいいじゃろ」 「追うのは、あそこのブルーシートの所からがいいじゃろ。追っていったら○○さんの家の裏にでるけの」 聞いていて驚いた。この方達はこの地域の山や里の地形はもちろんのこと、庭木や家の様子まで詳細に把握されている。多分、この地域のこと、田畑の様子、山の様子を最もつぶさに把握している人達ではあるまいか。しかし、さもあらんとも思う。飛び道具を使って狩りをするのである。一つ間違えればとてもリスクが高いのだ。 フォーメーションが決まったらしい。出発前に別の猟師さんが、予備の携帯無線機を貸してくれた。あとで使い方も教えてくれた。初心者・部外者といえども、リスクは同じなのである。自ら状況をきちんと把握して行動しろということだろう。当然のことである。 ガシャンと猟銃に玉が装填される。ものすごく緊張する。 ~猟 1セット目~ 猟は大きく、猟銃を持ち打つ役割の人と、猟犬を持ち追う役割の人(追い子)に分かれるらしい。 基本的に、追い子が犬とともにイノシシを追い、猟銃を持った人が追い込み口で待ち伏せするのだが、今回は、追い子に猟銃を持った人が伴うケースもあった。 私達はMさんなど2台の軽トラについて林道を山の頂上誓い尾根筋に向けて上っていく。 軽トラが路肩に止まり、もう1台の軽トラのゲージから猟犬が1頭下ろされる。その方が、「今日は笹が雪でぬれとるからそれだとぬれるぞ」、と雨合羽のズボン部分を貸してくれる。迂闊だった。これもリスク管理である。 Mさんは追い子役であり、その猟犬を曳き、山へ入る。私達はその後についていかせてもらう。 胸まで笹のある斜面を登る歩速は相当なものである。15分程でコナラがしげる山の頂らしい所に着いた時には、私達は肩で息をしていたが、Mさんの息は乱れていない。 「今年は、どんぐりがほとんどならんかったけ、(イノシシが)掘り返しとらんわ」といって、あたりを見回す。 向こうの谷でも今年はどんぐりが小さい実のうちに落ちてしまったのだが、この山の中も同じらしい。例年だと、この時期、枯れ葉の下のどんぐりを探しすため、あちこちイノシシが掘り返した跡が沢山あるらしいのだが、なるほどその様子は全くない。 「今年はイノシシがよう出てくる」という言葉は今年は、あちこちで聞くのだが、なるほどと思う。山の中に餌がないのである。 Mさんは山の頂で猟犬を引き寄せ、鍵の様なものを首輪の発信機の様なものに差し込む。そして、猟犬を放った。猟犬は山の斜面を駆けて下ってゆき、一斉に携帯無線機にビープ音が鳴りはじめる。この音が大きくなれば犬が近くにおり、小さくなれば遠くにいったということらしい。 Mさんは携帯無線に「いま放ったで」と入れ、犬を追って斜面を降りていく。そして、ときどき「いま○○当りにおるで」と現在位置を知らせている。 あとで知人から聞いた話によると、まず足跡や痕跡や目撃情報からおおよそイノシシがいそうな場所と移動ルートを割り出し、地形も利用しながらイノシシを見通しのいい道路や川の配置した待ち伏せポイントに追っていくらしい。そして、追い方と猟犬は高い方から低い方に追っていくようだ。 ビープ音が小さくなってしばらくして、「おったおった」という声が携帯無線機から入り、パーンという銃声がした。どうやらイノシシの姿を捉えた方が発砲したらしい。 Mさんは、そのまま山の斜面を降りていく。5分ほどして道路に出た。 打ち損じたらしい。イノシシは道路を横切って逃げてしまったようである。 ~猟 2セット目~ 撃つ方は撃つ方で責任重大らしい。打ち合わせからはじまり、チームでイノシシを追って最後の詰めが銃でしとめることだからそうなるだろう。だから、打ち損じた人は70歳前半位の方だったが、その方の発意で2セット目が始まった。猟の成果や天候によっては、1セット目で終了することもあるらしい。 あとで聞いた話によると、猟銃を撃つ人のための射撃の訓練場というものがあるらしい。また、猟犬についても調教する所があり、犬達は定期的に猟犬をそこに入るらしい。 ところで、猟銃の所持については銃刀法が改正されて、新規所持や免許更新の手続きがかなり煩雑になったらしく(詳しく調べたわけではないが)、それも猟師の減少に拍車をかけているとのことである。 1セット目が終了した後、皆さんは一度、最初の集合場所である集荷場に集合し、1セット目同様、猟場の確定とチーム編成に入る。面白いのは、猟場が変わるとリーダーが変わるということだ(多分、猟場のある地区の方がリーダーになるのだと思う)。 2セット目も1セット目と同じく、Mさんについて山に入る。 頂近くで猟犬を放すと、今度はもと来た道に戻り始め、更にその方向に駆けていき、携帯無線機のビープ音は小さくなり、しなくなった。 Mさんは携帯無線で他の方と連絡を取り合い位置を再確認し、再び軽トラに乗り込みポイントを移動する。 今回は確認できなかったが、フリーで動く遊撃隊のような方(達)がいて、猟犬が想定外の動きをした場合は移動しながら位置を確認しなおしているらしい。 新たなポイントに移動して、今度は2人の猟銃を持った人と合流する。再びビープ音が大きくなったり小さくなったりし始めるが、姿が見えない。3人は藪のがさがさという音や猟犬の首についた鈴の音に耳を澄ます。 結局、猟犬は私達の後ろ側が現れた。小動物を追って捕まえていたらしく、口には血がついている。 こうして、2セット目はイノシシと接点を持つことなく終了。 ~昼食をはさんで3セット目~ 2セット目が終了した所で、3セット目をするかどうか話し合いが始まり、多数決で3セット目の実施決定。 11時半近くになっていたので、昼食をとることになる。 1セット目で終了になる場合もあるのに、皆さん弁当を持ってきている所が流石である。 昼食を想定していなかった私達2人は車で15分位の所にある食事ができる所に行く。 そして、のんきな食事が終わった頃には3セット目が始まってしまった。 さらにちょっとしたアクシデントがあり、私たちが現場に着いた頃にはMさんは既に一度山に上がり、道の方に降りてきていた。途中で猟犬の集中力が切れて遊びに入ってしまったとのことで、少しずつ移動しながら山の中の猟犬の様子を探っておられた。 結局、10分後に、猟犬が民家の鶏小屋の周りをうろうろしているのが発見され、今回の猟は終了した。 猟終了後、地元の猟師の方のお宅に一度集合し、すみやかにチームは解散した。 イノシシは捕れなかったが、8時から14時の6時間余、大変貴重な体験だった。 ~鹿の解体~ 今回、イノシシ猟についていかせてもらった目的は、猟を体験することと、もう一つ捕ったイノシシの解体である。私の場合は、箱罠で1年にイノシシの成獣2頭が目標なので、とったイノシシをどう解体するかを学ぶことは非常に重要である(実は、罠でとったイノシシは生きているのでそれをどうおとすかも重要なのだが)。 チームが解散する前に、Mさんが、「いまから前に捕った鹿を解体するけどついていくか?」とおっしゃってくれた。解散場所の猟師さんのお宅で、その方と広島からこられたお2人の計3人が解体するらしい。 「ついていきたいです。」というと、「ものずきだな~」と、ニヤリとされる。 Mさんとはそこで別れ、川につけて血抜きをしている最中だという鹿をとりに行くという猟師さん2人の軽トラについていく。5分ほど行った川の脇で軽トラは止まり、お2人は河原に降りていった。 後ろからついていって覗いてみると、今日の猟には参加していなかった方がおり、3人で角を切っている。角は漢方か何かに使うらしい。 鹿の方をみてみると、背丈1m20cm位の若い(だろう)オスの鹿が川に漬かっている。 既に内臓がとられ、イノシシと同じように、川の流水にさらして血抜きが行われていた。 後ろ足にワイヤーがついているので、たぶん罠で捕った鹿だと思う。 「にいちゃん、こっちの足」といわれて、慌てて後ろ足をとって、セメントこね用のフネに乗せ、それごと軽トラに運び入れる。上から一応シートを掛けているが、4つ足が荷台から飛び出ている。 同じ風景を、北欧を旅したとき、みかけたことがある。 ジープ型の車にキャリアが連携され、そこに同じ様に鹿が積まれていた。 短絡的に結びつけてはいけないが、自然と人の関わりが濃厚にある地域では、狩猟文化もきちんと息をしているのかもしれない。そう思った。 鹿を積んだ軽トラは猟師さんの家に帰り、屋外のコンクリート張りの洗い場に持ち込まれ、解体が始まる。 まず洗車ブラシ(のようなもの)で、腹の内側を簡単に洗う。 次に、2人で後ろ足の取り外しにかかる。まず、ナイフで足の根元の皮に切れ目をいれ、少しずつ刃で探るようにして大腿部の骨の継ぎ目の所まで肉や筋を斬っていく。継ぎ目の所も上手に刃を入れると簡単にぽこっととれる。骨の継ぎ目がはずれた後は、簡単に足2本とれてしまった。 猟師さん1人がその足をもって、解体作業で使用していると思われる小屋に入る。 もう1人の猟師さんは、今度は鹿の体をうつ伏せにして、背骨にそって皮に切れ目を入れ、さらに皮と肉の間に刃をいれて、すっと皮を剥いでいく。背骨にそって長さ50cm、背骨から片側30cm位剥いだところで、あばら骨に沿って少しずつ刃をいれ肉の塊を切り取っていく。 片方とれた所で、猟師さんに「やってみる?」とナイフを差し出され、受け取った。 同じ要領で、皮と肉の間に少しずつ刃を入れ皮を剥ぐ。ものすごく切れるナイフである。 あばら骨に沿って少しずつ刃をいれ、細長く背中の肉を切り取った。 その肉を持って、作業場に入ると猟師さん達が後ろ足の皮をはぎ、骨から肉をはずしているところだった。 丁寧にすればまだ肉も取れるところがあるそうだが、鹿の場合、通常は後ろ足の肉と背中の肉をとるらしい。 50kg位の鹿で、とった肉の目方は15kg位だろうか。歩留まり約3割である。 こんなには食べれないからと、そのうち5kg程の鹿肉を頂いた。 ![]() 分れ際に、「今度は雪のあるとききんさい。」と猟師さんがにっこりしていって下さった。 ~鹿肉料理~ いわれたとおり、肉は水に2時間ほど晒して、更に筋をとり切り分けて、サランラップで棒状に形を整え冷凍する。こうしておくと、臭みが抜け、必要な分だけ切って使えるのだそうだ。 「から揚げがおいしいよ。」といわれたので、500gほど薄切りにして、醤油と酒と生姜とニンニクに2時間ほどつけて、片栗粉をまぶし、揚げた。鯨の肉の様な風味と食感である。 当日、食べきれず2日に分けて食べたが、2日目は味がこなれた感じになってさらに美味しかった。 鹿肉は、赤ワインを使ってステーキやシチューにするとうまいそうなので引き続き試してみることにする。 今回の猟体験と鹿の解体体験でなんとなくイメージはつかむことができた。 しかし、猟についていく途中でも思っていたのだが、車や無線や林道がない時代、どの様に猟は行われていたのだろう。猟犬も自前で調教されていたのだろうか。地域における猟師さんの位置や役割の変遷は調べてみるに値するとても興味深いものに感じた。 次は、罠の免許をとることと、うちの周りに沢山いる様である小動物から捕ることだろうか。考えていこう。
by mukouno-tani
| 2010-12-27 07:27
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