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7月第1週週末。ようやく梅雨が明けたようだ。今年は6月から7月頭にかけで、20度程度の低温と雨の日が続いたので、普通でも30度を超えない向谷の初夏はとても肌寒く、じめじめしたものになった。
このことは家の周りの草木や南側にある畑の生長にも大きく影響した。 雨が続くなか、5月に1度草刈りした家の東側の湿地や畑周りの野草地は1ヶ月余りで50cmほどの丈になった。もちろん畑も草ボウボウで、家の周りの植木もここ3年で最も新枝を長く伸ばした。 反対に、我が家だけではなくて、周囲や冷涼な気候の場所では、ナス、ピーマン、トマト、モロヘイヤ、オクラ、カボチャなど、生長に気温の高さと日照が必要な野菜は、生長がとても遅い。ネギ、小松菜、チンゲンサイ等の葉物や、水が大好きなキュウリやイトウリ、マクワウリ等はさほど長雨の影響を受けていない。 そういう訳で、週末は草刈りと畑の草取りに明け暮れた。刈ったあとは畝に緑が少なく、とても夏に入ろうとしている畑とは思えない。 そんな雑草の一人勝ち状態の中でも、春から試している落ち葉マルチは効果があった様に思う。 落ち葉マルチは、畑に直接敷き詰める方法と、ビニールマルチに空いた穴を防ぐ方法で試してみた(ビニールマルチ自体、地温を高め、雑草を抑える効果があるが、うちの場合、草取りが足りないせいか野菜の苗を植えるために開けた穴から雑草が繁茂することが多い)。※落ち葉はクヌギとコナラ 畑に敷き詰める方法はニンニク畑で試したが、7月上旬現在、1度も草は取らなかったにも関わらず、低密度に草が10~15cmの丈で生えるに留まっている。周辺の畝で草をとらない場合、びっちりと密に草丈30~40cmほどの雑草が繁茂しているので、十分に抑草効果があったと考える。また、試しにニンニクを収穫してみたが、去年並みの大きさなっており、落ち葉やこの程度の雑草では生長も妨げられないらしい。畳6畳分程度のニンニク畑に、落ち葉を集めて敷き詰める労力と、草をとる労力を比較すると、感覚的には落ち葉マルチ≦草とりで、落ち葉マルチの方が若干労力的には楽だと思う(落ち葉取り場が畑から30m程度と近いせいもあるが)。 ビニールマルチに空いた穴を落ち葉で防ぐ方法はサトイモとショウガとキュウリで試した。その結果、かなり草を抑制できたがショウガは芽が出なかった。落ち葉マルチは抑草力がかなり強いらしく、特に根茎の野菜は適したものと適さないものがあるのかもしれない。 ちなみに、刈草でのマルチをジャガイモ畑とサツマイモ畑で試みると、イネ科の雑草はほぼ抑えられるがヤブガラシやスギナは元気にでてくる。抑草効果はあるが、スギナの勢いまで落としてしまう落ち葉マルチほどではない。従って抑草効果は落ち葉マルチ>刈草マルチ。マルチとしての日持ちも落ち葉>刈草(それだけ土に還元しにくいのかもしれないが)。また、同じマルチをするのに落ち葉の方が少量(少ない体積)で済むと感じている。刈草を運ぶ方が重労働だった。 ちなみにキュウリ畑でビニールマルチの穴を刈草で抑えてみたが、これはかなりしっかり草を抑えることができるようだ。 来年は、落ち葉や刈草のがどの程度、肥料となっているか(肥料として効果があるか)確認してみよう。 ところで、向こうの谷の集落の方と比べればかなりずぼらな私達でも、省力化できるとわかっても、まばらにでも畑に生えている草をみると抜いてきれいにしてしまいたくなる。こちらの心の中での葛藤は大変だ。 いったい、この抑えがたい衝動の正体はなんなのだろう。もしかすると日本の畑づくりは食べ物作りであるとともに、作り手の表現作業なのではないだろうかと考える。 今西仁司氏は『近代の労働観』の中で、“美しく畑仕事ができる人は道徳的に良い人であり、下手な人は反対の意味を持つ”南太平洋ニューブリテン島のマエンゲの人々を紹介している。そこでは畑の美観が競われている。これは、きちんと=美しく畑をつくることが地域社会の規範にまで昇華した例になるのかなと考えているが、本質的には日本の本来の畑づくりも同じなのかもしれないと思う。イザベラ・バードが『日本紀行』で描写している、「鍬ではなく絵筆で耕された」と表現している日本の農村の風景を創り出した農民の方々と風景と社会との関係まで連想させられる。 休日に草を刈った次の日、かみさんがいつも散歩されているおじいさんに、「きれいに草を刈られましたなー」と声をかけられたそうだ。ここ数日、私が早朝草刈をしていると、集落の下の方が散歩してこられて家の北側に植わっている沙羅の木の話をしばらくした。いわゆるまちの社交などとは違う、自然との営みと歩みを一にした社交の自然体があるのかもしれない。 しかし、向こうの谷の夕暮れはきれいだなー。風景の中に走る電線さえ美しくみえる。
by mukouno-tani
| 2010-07-22 06:39
| 畑と山と食と循環
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