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拝啓 森の花園の守人様 2021年6月17日の夜です。前回書いたのが2019年12月8日でしたから、1年半年ぶりになります。 随分、このブログから遠ざかっていましたね。原因は色々あるかと思いますが、結論だけいえば余裕がなかったのかな、と思います。 この間、色々なことがありました。前回のブログで様子を描いていた長男坊主は無事大学に進学し現在2年生です。高校のときからですがご飯を食べるのを省くほど写真にどはまりしています。次男坊もお陰様で大学に進学し現在1年生です。環境問題を生部大学に行ったので、土日も山に登っているみたいです。山の中で育ったのにね。 この間、何が形になったでしょうか。一つは庭かな。最近やっと樹の剪定や植栽、植え替えの方法がわかってきたように思います。今度は治療かな。 ものづくりは、私のものづくりの師匠から頂いた課題を10年かけてようやく1つ形にしました。作ってしまうと、もったいなさ過ぎて使えないんだけど。そしてこれからは。 研究は、現在、人生最初の集大成に向かっています。吐き出してしまうまであと2年はかかるかな。 その上で、何か足りないと考えているパズルのピースは何なのか。かいてて、初めてきづいたのですが。何なのか。とても大切なもののような。 今年は、屋外で本が読めるようにしようと思っているのですが、それを遂行しながら考えてみようと思います。 外からみてたら気が付くようなきもするので。 写真は、夕闇のなかの、花をつけたイボダぎ。僕はこの花とエゴの樹の花が好きです。闇の中の白い花と、木の下のテーブルに落ちた花びら。 なんと妖しげで、美しいのでしょう。 こういうことかも、しれません。 それでは、また。まず、50までは書こうと思います。
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by mukouno-tani
| 2021-06-17 22:46
| 家と庭
拝啓 森の花園の守人様 12月8日の朝です。樹から落ち葉があちこちにうず高く積もり、一昨日外に出ればすべてのものがうっすらと白いものに覆われています。先週から薪ストーブにも火が入り、長男と次男は火の様子をみてはせっせと薪をくべています。冬が到来しました。 今年は、高校三年生になる長男坊主が大学進学のための準備をしており、のんびり屋の彼が自分なりにスケジュールをつくり、受験生としていそいそと問題集を解いている姿がほほえましいです。先日も面接試験があり、親としてはどう余計な緊張をさせずに言葉をかけたものかと気をつかっていました、面接試験2日前に、3番目の中学1年生になる彼の妹が、長兄にこういいました。 『トリマプラス』 呪文か何かかと思い、どういう意味かきいてみると、彼女曰く「とりあえず、プラス志向で」というセンテンスの略語だそうで、最近、彼女と彼女の周りの友達が使っているとのこと。 私は”軽っ”とのけぞり、長男は苦笑いしていたのですが、語感がいいのか、妙に頭の中に残って、トリマプラス、トリマプラスと、ことあるごとにふざけて使っているうちに、長男が面接に出陣して、まあまあうまくいった感じで帰ってきたのですが、そのとき、この言葉と、本で読んだ言葉と結び付きました。 ”エクリチュール” この言葉は、内田樹先生の『寝ながら学べる構造主義』で知りました。内田先生はフランス現代思想、映像記号論、武道論を専門分野としている研究者と本でよく紹介されており(すいません、実は私、先生のフランス現代思想や映像記号論に関わるものはかするほどしか読んだことがないのですが)博覧強記の教養で、世の中の動きや文学や映画について論じられている方です。 エクリチュールは、前書の中で、ロラン・バルドが残した記号学的知見を紹介する中ででてきます。 ・私たちはそれと気づかぬうちに、ある「不可視の規則」に従って言葉を運用しています。…(中略)…バルトは、この「不可視の規則に二種類のものがある、と考えました。それが「ラング」(langue)と「スティル」(style)です。ラングというのはとりあえずは「国語」のことです。(「国語」というと、「国家」の「公用語」という限定的な意味になってしまうので、この訳語はできれば使いたくはありません。あるラングを共有する「言語共有体」は必ずしも政治単位としての国家とぴたりと重なり合うわけではないからです。(p118.l3-12) ・とりあえず私たちは日本語というラングを母国語としています。ですから、日本語で書いたり話したりするときには、日本語の文法に従い、日本語の語彙を用い、日本語に登録されている音を発音します。何かを伝えようと思えば、…私たちは日本語として通じることばづかいをしなければなりません。これがラングです。(p118.113-p119.l1) ・私たちは一人一人、固有の言語感受性を持っています。話すときなら、速度、リズム感、音感、韻律、息づかい…、書くときには、文字のグラフィックな印象、比喩、文の息の長さ…どれについても私たちはみな「個人的な好み」があります。…(中略)…この個人的で生来的な言語感覚をバルトは「スティル」と呼びます(p119.l6-15)。 ・ラングにせよ、スティルにせよ、私たちはそれを選ぶことができません(私にとって日本語はそれなしには何も考えることのできない母国語ですし、語感やリズムに対する好みは、意識的に変えようとしても変えられません。)。しかし、…(中略)…それでもなおことばを使うときに、ある種の「ことばづかい」を選択することが許されます。この「ことばづかい」が「エクリチュール」です。エクリチュールとスティルは違います。スティルはあくまで個人的な好みですが、エクリチュールは、集団的に選択され、実践される「好み」です。(p120.l5-12) ・例えば、中学生の男の子が、ある日思い立って、一人称を「ぼく」から「おれ」に変更したとします。この語り口の変更は彼が自主的に行ったものです。しかし、選ばれた「語り口」そのものは、少年の発明ではなく、ある社会集団がすでに集合的に採用しているものです。(p120.l13-16) ・『私たちは誰しもが、自分の使っている語法の真理のうちに、すなわちその地域性のうちにからめとられている。私の語法と隣人の語法の間には競合関係があり、そこに私たちはひきずり込まれている。だから、ひとたびある語法が覇権を手に入れると、それは社会生活の全域に広がり、無兆候的《偏見》(doxa)となる。政治家や官僚が語る非政治的なことば、新聞やテレビやラジオがしゃべることば、日常のおしゃべりことば、それが覇権を握った語法なのだ。』(『テクストの快楽』) ・例えば、私が「おじさんのエクリチュール」で語り始めるや、私の口はは私の意志とかかわりなしに突然「現状肯定的にでありながら愚痴っぽい」ことばを吐き出し始めます。「教師のエクリチュール」に切り替えると、とたんに私は「説教臭く、高飛車な」人間になります。同じように、ヤクザは「ヤクザのエクリチュール」で語り、営業マンは「営業マンのエクリチュール」で語ります…(中略)…ここでバルトが警告しているは、あまりに広く受け容れられたせいで、特に「どの集団固有のエクリチュール」とも特定しがたくなった語法のもつ危険性です。「無徴候的なことばづかい」、それが「派遣を握った語法」です。その語法はその社会における「客観的なことばづかい」です。つまり…客観的に、私情を交えずに、価値中立的に語っているつもりでいるときに使うことばづかいがそれです。バルトは、そのような一見価値中立的に見える語法が含んでいる「予断」や「偏見」に注意を促しています。(p122.l6-p123.l5) このようにみていくと、バルトは、集団としての人間がもつエクリチュールという現象と、時折、人間が集団としての生物的・社会的特性が、その現象を伴って起こす無自覚な偏見や抑圧や弾圧、その果てに起こる凄惨な結果に至ることに注意喚起しているのだと思います。そして、最近、世の中にでている様々な言葉にそのように勢いを感じますし、マスコミで社会的正しさを語感として伴いながら使われている”反社会的勢力”や”エビデンス”という言葉にもそのニュアンスを感じます。 他方、『トリマプラス』という言葉も、YOUTUBEやテレビ番組に影響を受けた、女子中学生の会話のコンテクストの中で生じ、消えてゆくエクリチュールの種なのかなと思うのですが、片や、彼らがこの時代、その時、場、場面をを気持ちよく生きていくために生み出している”魔法”のようにも感じ取れるのです。『トリマプラス』という言葉に苦笑して、でも何かを感じ取って少し納得した様子で試験に出掛けていった、末娘と同時代にある長男をみて、そう感じたのでした。そしてそれが生き生きとした効果を持つためには鮮度が必要で、だから、生まれては消えていくのではないかとも。 そしてそう考えると、思春期の子ども達が使う、様々な造語は、それゆえに大切で、このところ学生や若い人とかかわるのは面倒くさいと思っていたのですが、その言葉を操る中学生や高校生という集団や、その中にいる子ども達、特にコミュニケーション量の多い娘達の使う言葉に改めて面白さを感じはじめた次第です。 今日は12月30日。日々の仕事や暮らしの合間で、こんなことを書いていたら随分時間が経ってしまいました。その間、前回紹介しましたが、少しずつですが、子ども部屋づくりも進めており、この度、ようやく、入り口のドアが完成しました。 向こうの谷の家に住み始めて、制作したドアはこれで4つ目です。古い隙間だらけのゆがんだ家なので、既製品のドアで合うものも少ないし、サイズが合い気に入るものを探すのはかなり手間がかかるので、試行錯誤しながら1から自分でつくっています。 いまだに出来がいいとは全くいえませんが、それでも1つ作ってみては使ってみての課題や自分に足りない点がわかり、新しい道具を手に入れ、未体験の技術にトライし、新たな工夫を考え、次のドアをつくるなかで反映させてと繰り返していると少しずつみえてくるものがあります。 分かってきたことは、勢いに任せて作業するといい結果はうまないこと(行き詰ったらとにかくと一呼吸おくこと)、いい道具をきちんと手入れして使うこと、しっかりした体があると作業の精度があがりできることが増えること(日々体術に取り組みながら体の変化とともにそう感じるようになりました)、つくったものがいい出来だと嬉しいけど、本当にうれしいのは頭の中のイメージに対応できる技術と体を確認できるときだということ。古い家をいじることが好きなのは昔の墨付けあとや細工に感じる昔の身体能力の凄さ、技の豪胆さや繊細さを発見し自分との距離を感じられること(私の場合、片手間でやっていることプロと比較すること自体やってはいけないことだと思いますが)。 大工作業をしていると私の島根の師匠のつくったものやものづくりのときの姿も思い出します。その遥か遥か遠くにある背中と、そして言語化されていない(できない?)何ををもらい、日々仕事をし、このようにものづくりをしている私を。そして、何かを引き継ぎたいという思いで、環貫につけた取っ手は最後に彼の晩年、クラフトの材料として提供し、そのままの形で帰ってきたリョウブの枝でつくりました。 5つ目のドアはどのようになるでしょうか。そろそろ、これまで使う頻度の多かった材料や工法パターンを白紙に戻し、一から考え直すことをやってみたいと思います。 早いものでは明日は大晦日。しばらく寒い日が続くようです よいお年をお迎えください。 それでは。また。 #
by mukouno-tani
| 2019-12-31 09:53
| 鍛錬と育ち
拝啓 森の花園の守人様 2019年11月10日の朝です。朝の冷え込みはますます厳しくなり、昨日、妻は薪ストーブの煙突掃除をしようといいました。 今年の山の紅葉はとても鮮やかで、秋から冬への季節の境い目がはっきりとしているだと思います。 朝の散歩の途中、その艶やかに紅葉しはじめた山をみていて、先週末、友人と家の周りの森の手入れの合間に、話していたことを思い出しました。 話は、山の地滑りの話でした。今年は(今年はますます、というべきかもしれませんが)、台風や集中豪雨で、山間部のあちこちで地滑りがおきています。このことについて、私はこう言いました。「これはかなり山(森)の状態によるものも大きいのではないか。多くの山では杉が植林されてから間伐も枝打ちもされていないままになっており、木は細いままで根もしっかり表土をしっかり抱えられず、山腹が少しずつ崩れ、ガレ場になっていることも多いと聞く。なので、大雨が降ると耐えられず崩れていくことがおきているのではないか。」。このことに対し友人はこう言いました。「そうとも限らない。以前、他所で話していた時、持ち山(主に広葉樹が生えている森)の境界線を確認するため、かつての目印にしていた大木を探していたが見当たらず、随分下の方でその木が見つかったことがあったと聞く。理由はやはり地滑りだそうだ。広葉樹が生えている山はもちろん杉や桧が主な山よりしっかり根が張っているから崩れにくいだろうが、やはり山とは岩に表土が乗っている状態なので、大雨が続き、表土がしっかり水を含んで重くなっていき、その根が張っている森のまとまりごと下にすべっていくことはあるようだ」。それに対し私はこう言いました。「この家の周りは広葉樹に囲まれた緩やかな山だが、そうすると、ここも絶対に安心ということはないね。温暖化の影響で、今後20年間は台風19号並の台風が十数本来ると予測されているし、そうすると、これまでにない(臨界点を越えた)、量の雨が降る可能性はあるな」と。 要は、ここは大丈夫だということは考えず、今後の気象の変化や周囲の地盤の状態などの情報を入れながら、他の地で起こることは自分の所でも起こりうるという想定で、できるだけのことはやっておくことだと改めて思いました。 そして、私の身の回りのことで必要だと考えたのは、母屋の隣にある作業棟の2階を避難できる場所へ改造することと、いざというときに動ける身体をつくることでした。 作業棟は母屋の隣にある2階建ての建物で、元々は1階は耕運機や乾燥機、その他農作業のための機械、道具がおかれている倉庫(かつては牛も飼っていたようで、この建物の裏手は牛飼い小屋になっていましたが、かなり痛んでおり、5、6年前の大雪で屋根が破れ、一昨年、この家の世話をしてくれたおじいさんがユンボで取り壊してくれています)。2階は、この家に住まわれていたおじいさん、おばあさんの子どもさんの部屋として使用していたようです。 現在は、作業棟の1階は、私の工作スペース、工具や農機具・機械の置き場として改造しながら使っていますが、2階は使用せず放置しています。 この2階を、一時避難場所、災害時の食料・燃料・道具のストックルーム、兼、来客者の宿泊スペースとして改造しようと考え始めました。仮に、山から大量の土砂が流れてくるとすれば、たちまち母屋の1階は埋まってしまうでしょう。そのとき、2階にそのような部屋があれば、土砂の流入を回避したり、避難して生活できる可能性は少しは大きくなるのではないかと(ちなみにハザードマップだと向こうの谷の家自体は危険性は低いのですが、避難所にしていされている集会所につながる道路は危険域に入っているのです)。 ついでに、作業棟の裏手のつぶれた小屋のあった場所に、作業棟の補強も兼ねて、降雪時期の薪割場や、クドでの煮炊きや焚火の場として使える、屋根だけ葺いた半屋外の空間を新たに設えようかと考え、早速、工事を始めました。まず、小屋がつぶれて痛んだ部分を乗り除き、むき出しになった土壁をトタンで保護することからはじめています。 普段の生活の中では、タケノコなどを大量にゆでるときには、ガス代は高くつくので、だるまストーブを使っていますが、固定式のクドがあるとより日常的に燃料として薪を使った煮炊きの機会は増えるでしょうし、そのことは、家族達が、いざというとき動ける対応力にも繋がるのではないかと。梨木香歩さんが「からくりからくさ」で描写しているように、これからこつこつと染色もやってみるのなら、草木を水で煮出す必要があり、そのことにも使えるでしょう。 身体づくりを連想したのは、最近、”身体を鍛える”だけでは、いざという時に必要な作業に耐えうる身に繋がらないないなと思う機会があったからです。ここ数年、歩いたり、友人から習って若干体術の訓練も行ったりしているので、あまり体が凝ったり、腰が痛くなったりすることもないのですが、ある日、かなり背中が張ったことがありました。なぜだろうと思い、記憶をたどってみて、思い当たったのは、薪割りでした。 11月位から暖房用に玉切った丸太を斧で割りはじめるのですが、前日がその初日だったのです。体術の訓練をしたりして体を整えてきたつもりでいたのですが、薪を割るのに必要な筋肉は鍛えられていなかったのでしょう。そして、家族を守るために身体を整えている私にとっては、いざというとき耐久性を発揮できない身体ではあまり意味がありません。 なので、これからもう一度、身体の整え方を考え直してみようと思っています。肝心なのは、日常生活の中の作業と体術の訓練のつながり方だと思います。今回の薪割りを例にとれば、農地や林地や家の手入れなどの作業を集中的にではなく、もう少し日常的に生活に取り入れて、疲れ方や凝ったり張ったりする身体の反応をみて、身体の整え方をさらに工夫していくといった感じのことなのかなと思っています。 現金なもので、いつ起こるかわからない災害への対応を考えているうちに、せっかくだからと染色もできる作業場づくりを考えたり、身体の鍛え方をああしようこうしようと考えて、そちらの方向で少し楽しくなっています。きっと作業棟の改造の方も、折角だからこんなデザインにしよう、こんな工夫をしてみようというふうに逸れていくのでしょう。 ですが、こんな感じで脇道にそれながら進めていくのが、以外と持続力があるのかもしれません。 こんなことを考えながら、当面、主たる作業は、薪割りと長男坊主が受験勉強で使っている子ども部屋の仕上工事です。子ども部屋は一昨年からもう一部屋必要と屋内にあった工作室(工作室は隣棟の作業棟に移動)を改造したもので、使える状態になるやいなや工事半ばにもかかわらず長男はさっさと入居し、昨日、後追いで、やっとドアを取り付けました。ですが、まだドアの取っ手は作成途中だし、天井貼りや内装の仕上げもこれからです。天井貼りは12月半ばにやりたいなと思っています。 それでは、また。
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by mukouno-tani
| 2019-12-01 18:56
| 畑と山と食と循環
拝啓 森の花園の守人様 2019年11月16日、車のフロントガラスに氷が張りました。庭の紅葉に日に日に黄色や赤が増えていき、冬支度が追い付いていない私は冬の足音をいつも気にしています。 先週末は友人とともに屋外の作業をしました。彼は東海にいる人で、年に2回、2泊3日で向こうの谷の家に来て、家の周りの森づくりを指南してくれます。 今回は、初日に、家の南側にある径30~40cmの杉を3本伐ってくれました。杉は家のすぐ近くに立っており、私の拙い技術では倒し兼ね、相談したのです。 彼は、アーボリーカルチャーという技術で、クライミングツールを使って木に登り、枝打ちや剪定を行う技術を身につけていて、今回は、薪として使う予定なので、小型のチェーンソーで杉を先端から玉切っていきます。 あとで、その姿を、たまたま家に来ていた、娘の友人(彼女のおじいさんは繁殖用の牛を飼っており、いつもその出産にも立ち会っているような子です)が、樹を伐る場面を初めてみた、といっていたと聞きました。 作業が終わったあと、休憩がてら焚火遊びをしながら、なぜ、この家の前の持ち主はあんな家の近くに杉を植えたのかについて話しました。彼は言いました。「あの杉を植えた時代(おおよそ40~50年前)は、杉1本幾らで売れるという目算がたてられたのではないか。だから年をとり、田や畑ができなくなる所がでてきたら、その都度、杉を植えたのではないか」と。私は彼にいいました。「本来なら木材として利用できる木を、薪として利用することしかできないとは」と。 いまやその土地にある立木をその土地の人が建材として使う機会は私の周りでもなく、立派な木でも発電用の燃料としてチップ工場に運ばれていくのをときおり見かける程度です。田舎でも大きな木を伐倒できる人自体が限られてきています。野菜に例えれば、目の前の自分の土地に野菜があるのに、調理して食べることができないこととと本質的には同じことではないかと思います。なので森と縁をもったからには、自分の能力でどこまでできるかわかりませんが、できるだけ、森を使える技と体を身につ付けていきたいと思います。そして、今回、家の周りの杉や檜の丸太を製材して使ってみたいという気持ちを新たに持ちました。 翌日は、薪とりがてら、家の南側に新たに購入した小さな林地(だった所)の手入れをしました。この土地には、杉のほかに、こしあぶらやリョウブの主のように生えていたのですが、この土地を世話してくれた、85歳近いはずの集落のおじいさんが、これらの木々を伐採したため、土地は裸に近い形になり、徐々に笹が広がり始めていました。そして、この土地で森づくりを経験したいと思い、友人に教えてもらいながら、少しずつ作業をしています。そうすると、おじいさんが事前にしてくれていた作業で、見えていなかったことが沢山あることがわかってきました。 おじいさんがユンボを入れ、コシアブラの大木を伐り始めたとき、「ああ、あの大木がなくなっていく、なんてむごいことを」と、妻と2人で悲しんだのを覚えています。しかし、素人なりに少しずつ森の手入れをしながら最近はこう思うのです。人の手から離れ、大木と蔓だらけになった里山を再び、人が利用できる森に戻すのは容易ではないと。一度、そういう状態になれば、また利用できる里山に戻すには、重機を入れて、一気に森の中に道をつける、大木を切り倒す、切れ端(枝等)を集めるなどの作業を行うことは、間違った方法ではないのだと。さもなければ、素人が原生林を開拓するような、気の遠くなる作業をすることになります。 おじいさんが伐採作業を行った後には、ユンボが行き来した道とまだ若い数本の山桜、コナラ、コシアブラ、リョウブ、杉が残りました。そして、今年の春から、友人の助言を受け、その道を笹に覆われないように草刈をしながら、その道の脇に、コナラ、クヌギ、ミズナラ、コブシなどの苗の植え付けを始めています。 残った若木にしっかり育ってもらって笹の成長を抑える木陰をつくってもらうこと。樹が木陰をつくるまで成長するまでの間、すべての面積を管理することは大変なので、まず作業道とその傍に植えた苗木の周りを草刈すること。道は行き止まりにはしないこと(作業効率が悪く結局人が入らなくなるので)、苗は笹や雑草に負けないように少なくとも50~100cm位に育ててから受け付けること。 このようなことを頭にいれながら作業をしているとおじいさんの行った作業はとても理にかなっていたのだと気づきます。伐採のために作った道はそのまま新しい森づくりのための使いやすい作業道となっており、残された若木は森に木陰をつくる大きな木になります。作業道の道の脇の切り株からコナラやクヌギの脇芽がではじめています。明るい草地になった所では一斉にタラが生えてきて、来年は沢山タラの芽が頂けそうです。伐採ででた半端な枝や幹は部分は数か所に集められていて、ゆうに家で必要な薪3年分の量があります。おじいさんの伐採のために残した仕事のあとは、次の若い里山づくりの地拵えになっているのです。 今年の冬の分の薪づくりは佳境に入っています。今回の作業で2年分は材料は集まったので、これから雪が降るまでせっせと、薪を割っては積んでいく作業が続いていきます。そして天気予報をみていると、2週間後には、薪ストーブに火を入れることになりそうです。 来年は、あの森に、柏の樹の苗を植えてみたいと思います。梨木香歩さんの「からくりからくさ」にこんな一文があり、森の樹をつかい染色もしてみたいと思い始めたからです。 「柚木の工房に帰るとすぐに採ってきた柏の葉を細かく切り、そのまますぐ大鍋にぐらぐら柏の葉の色素を煮出していく。…鉄媒染では、しかし今回、柚木が思っていたような黒褐色にはならなかった。くすんだ栗色の感じだ。…「おもしろいわね。季節が同じ頃に採っても、毎年同じ色を出すとは限らない。…」「他の媒染も試していいですか」…酢酸アルミの培養液に、試験用の絹布を入れた途端、それがさっと思いもかけなかった明るい色に変わった。…「まあ。朱の入ったピンク、珊瑚色だわ」…絹独特の光沢でその色は一層華やいでみえた。しかしどこかしんとした落ち着きがあり、それが化学染料のピンクとちがうところだった。」 森には生活を彩る力もあったのですね。 最近は、梨木香歩さんの本が手から離れなくなっています。樹や草やきのこや、鳥や虫や、薬草やハーブや、染色や織物や古い着物や古い家や、民俗、風俗への愛情と造詣の深さを背景に、日暮れどきに森の中にいるといつも感じるあちら側との境界線や、生活しているとときおり感じる確率を越えた縁や因果や由来履歴のような、本当は人が感じていながらみないようにしている、言葉にしないようにしているものをそのまま描いている彼女の物語がとても好きです。 では。また。 #
by mukouno-tani
| 2019-11-09 18:11
| 畑と山と食と循環
拝啓 森の花園の守人様 四十一 2019年10月27日 朝気温が一桁まで下がるようになり、家の周りの木々や草の葉が色づきはじめています。書斎に入ってくる風もひんやりとしていて、少し肌寒いのですが、真冬のシンとした厳しさとはことなる、静けさがあります。 今年は、柿が生り年らしく、家の北側にある甘柿の木にもたわわになっており、今年は気が向いて、少しずつもいでは家族で食べているのですが、もいでは食べてを繰り返していて、樹についている柿の実の色には濃淡があり、色が濃いほど枝ばなれがよく、そして甘みが乗っていることに気づきました。前にも柿の実が落ちる音を何回か聞いたことがあるのですが、たぶん、柿の実は、朝の寒さが増すほど、色を濃くしながら熟し、最後に落ちるのでしょう。そのことに気づいてからは、1週間おきに位に、散歩の帰りなどに、梯子を立てて、色が濃く枝外れのよい実から収穫するようにしています。 この柿の実は小ぶりなので、もいだものは、ボウルにもって、卓袱台の上においていますが、そうすると、今年の柿は甘いねといって、子ども達の手が自然と伸びて減っていくのが、みていておかしいのです。 今年は、どんぐりが豊作らしく、朝、日課の散歩をしていると、コナラやクヌギの樹からどんぐりが落ちる音がします。去年も、そうだったのかもしれませんが、これまで気づいていませんでした。縁側に座り、少しぼーっとしていると、山の方でカサッ、カサッとときおり音がします。どんぐりの落ちる音だったのだなと連想するのです。集落の人によると、イノシシがどんぐりを食べはじめるのは、雪が降り始める頃なのだそうです。そのころ、落ちたどんぐりは、あくが抜けて、食べごろになるらしいのです。 このようなことが、目や耳に入りはじめたのは、少し余白がでてきたしるしかなと思います。10月半ばで大きな仕事が一山超えたのと、最近、毎朝、座禅を30分ほど組んでいることも少しはあるかもしれません。 ここ半年ほど勉強しているものに、スリランカのテーラワーダ仏教の高僧アルボムッラ・スマラサーナさんの座禅、瞑想法があり、1日のうちに、色々雑念や妄想(仕事や人間関係ではいろいろあるとかえってからもああだこうだぐるぐる考えることありますよね。そのようなこと)をしない時間をつくるというものです。そうすると、別にまだ起ってもいないことを、ああなるかもしれない、あの人ああ思っているかもしれないなどど考えるのにとても時間と脳を使っているのがわかるのですが、今日、座禅組んでいて、はたと、他人とのやりとりにも振り回されているけど、「時計」にも振り回されているなと気づきました。「1日のうち、ああもう12時だとか、17時だとか、こんなに時間があったのに何もできていないとか、何回思ったり、反省してみたり、焦ったりしていることか。」と ミヒャエル・エンデが、『モモ』でいっていることは、このことだろうなと感得したのです。このことがわかったからには、近いうちに1日「時計」をみない日をつくってみたいと思い始めました。時計の針や数字に振り回されない日を。 日々の感じとたこと、考えてみたことを記録しておくことは、やはり大切なことですね。また、できるときに、ときおり書いていきたいと思います。 #
by mukouno-tani
| 2019-10-27 11:34
| 暮らしと時間
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