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家から30~40mほど離れた所にコンクリート橋がある。家の前に流れる小川にかかる小さな橋で、かみさんが子達の送り迎えやご近所への用事で1日1回は使い、集落の方も隣の集落に行くのによく通っている。
昨年末、この橋のすぐ近くの電柱に外灯がつけられることになった。いままで集落の上に当たるこの辺りに外灯がなく、私達が越してきたこともあり設置して頂くことになったが、取り付けるにあたって、橋の根元から生えている杉の若木が外灯のあかりを遮る。そこで、集落の会合の際、この木をどうするかが議題となり、「あんたん所の木か?」、「いやあれはあそこんのだけど」、「あんたハデにしてでも使うかい?」など話していたがが、結論は「あんた(私)伐って、薪にしんさい。」ということになった。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2010-02-01 16:57
| 向こうの谷
思いもかけず生まれてはじめて冬の花火をみた。
まんまるく着ぶくれた末娘が雪に花火を差し出してうれしそうにしている。 2人の兄は花火を手に持って走り回っている。 かみさんが、みつけた夏の花火の残りを、子ども達にわたしたらしい。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2010-02-01 05:13
| 子育ちと環境
もう3年だろうか。冬になると、島根では老舗の直売所に出荷される専業農家さんのお話を聞きに行く。その農家さんはご夫婦で農業を営まれている。ご主人は3年前に70歳になられたと思う。
昭和30年代 ご主人は高等学校を卒業された後、農業改良普及員の資格をとられ、その道に進むことを考えられたが、ご家族の要請もあり、家業(農業)を継がれる。1町2反の田での米づくりが中心であり、耕作にはに牛を使っておられたそうだ。 当時は、1町2反の米づくりが生計を支えた。 米づくりを中心とした農業は昭和40年代まで続く。 昭和50年代 米の生産・販売では生計を支えることが厳しくなると判断し、和牛(繁殖:子牛とり)を導入する。 その後、牛の数を少しずつ増やされ、農業は米づくり+和牛(繁殖)の複合経営に移行していく。和牛(繁殖)の導入は、この地で産される子牛の系統が市場で高くとり取引されはじめたことに着眼されてのことだった。 昭和60年代~平成 米価が思わしくない一方、子牛の値は上昇し、農業はより一層、和牛(繁殖)に力が入れられるようになる。和牛(繁殖)の母牛は11頭になった。 平成~ 子牛の値の上昇が止まり、下がり始める兆しがでてくる。 米づくり+和牛11頭の農業を続けるが、米は酒米やもち米などの栽培面積を徐々に増やしていく。また、米についても、それまでは全て農協を介し販売していたが、直接取引も少しずつ始める。 平成8年 平成7年8月に近くの国道に農家の女性達が中心となりテント市(直売所)を週に3日の頻度で開き始めた。このテント市に野菜を中心に少しずつ販売することを始める。 続く・・・ #
by mukouno-tani
| 2010-01-27 07:52
| フィールドノート
年始にインフルエンザにかかって第1週は殆ど動けなかったせいもあり、その後は怒涛の忙しさであった。一つ手順を間違えると間に合わなくなったり迷惑をおかけすることばかりで、ブレーキを踏まずに曲がりくねった道を運転しているような感じだった。
しかし、その様にしていると、「まてよ。」と考えなくなる。諸事力押しでやりきろうとし、何にも目が向かず感じず、仕事も人とのお付き合いも一層雑になる。仕事や私事でお世話になってる方達の丁寧なお打ち合わせや話し合いをお聞きしていて、ハッと我に我に帰る始末だ。 こんなドタバタが少し落ち着いてきたので、今日は思い切って1日ポカンと今の流れから離れることにした。 朝は燻製づくりを調べて過ごした。年始に氷点下の中で長時間作業して風邪を引き込んで以来、雪に埋もれる寒い時期の過ごし方を考えていて思いついたことの一つだ。調べていくと、家の周りには燻蒸に使えそうな木が数種類あるし、まずは今は群馬で有機農業を学んでいる友人が置いていってくれたダルマストーブ+αで作れそうである。何より家族でやれそうだし、家での木の使い方がもう一つ増えるのもいい。 「ああ。楽しい。」と思った。そして、「このような考える時間を持つことは大切だな」と思った。 11時頃からは、かみさんと長男と家の前の田を挟んで向こうにある竹林に竹を伐りに行った。春には筍を掘りに入るが、今日はかみさんがクラフトの練習に使う材料をとりに入った。 竹林に行くべく、家の前の小川にかかる小さな橋を渡り、雪が30cmほど残る田に入るとさっそく動物の足跡を発見する。かみさんは足跡をみてウサギではないかと話し、長男と足跡を目で追っている。すると、少し向こうに複数の足跡が絡み合ったようにある。「ここらへんのねこがウサギを襲ったのではないか」とかみさんと長男が話している。 竹林の前までくると去年まで目につかなかったがタラの木を発見する。長男が「そうか、これがタラの木か」とじっとみている。 まずはかみさんが、竹林の傾斜を登って直径10cm程ある孟宗竹の根元を鋸できりにかかり、上手に前に倒していく。私がやると、どこか力まかせにやればよいという所があるせいか、うまく前に倒れなかったりするのだが。「ああ。力があればいいもんじゃない」と思った。 かみさんと交代して私が竹林に登る。9才の長男が僕も登りたいとついてくる。私が竹を切り倒しやすいように手前の細い竹をきっていると、長男がかなり高い所まで登って困った顔をしている。「どうやって降りればいいかわからん」というので、雪で地面が見えない所はその下がどうなっているかわからないので用心することなど幾つか伝えると、こっちを見ながら用心深く降りてくる。 竹を切り終わった後、まずクラフトに使う部分をとり、その後、畑で支柱に使えそうな部分をとった。 去年はクラフトに使う部分だけで精一杯だったので、少し進歩である。 そこ間、長男はウサギの罠づくりといって、穴の上にせっせと払った竹の枝を積み上げている。 そして、子どもが遊びで使う橇の上に乗せて、雪の上を引いて家に持って帰った。 作業は2時間半程度だったが、「なんと濃密な時間の流れ方だろう」と思った。この竹を伐るプロセスの中に私の、かみさんの、長男の、何と幾つもの、ここでの暮しを豊かにしそうな発見や新たな経験があることか。 豊かさを改めて感じとることができた1日であった。 #
by mukouno-tani
| 2010-01-24 00:54
| 野研ノート(家族)
久しぶりに体調を崩しで寝込んだ。1日の夜に熱発し、2日間39℃以上の熱が続き、正月明け4日に病院に行ってインフルエンザということが判明したが、タミフル投与の有効期間が過ぎた後で熱が下がらず軽い気管支炎も併発していて、一昨日やっと平熱に戻り、昨日あたりから体調が正常になってきた。本当に体調を崩すと身体を動かすことはおろか、読むことも考えることもできなくなる。この1週間を振り返りそう思う。
寝込んでいる間に2度大雪が降り、家は窓半分まで雪に埋まり、屋根から落ちた雪が軒につきかけ、雪の重みで窓ガラスが割れる恐れもでていた。雪掻き作業は足場が悪く屋根から雪が落ちてきたりして危険なので、基本的に1人ではやらないのだが、私が動けなかったため、かみさんが1人で家周りの雪を掻いた。スキーウェアを着て毛糸の帽子を被って出て行って、しばらすくすると遠くからザックザックという音が聞こえてきてだんだん近づいて来る。そのうち窓の外にかみさんが現れ、窓の前の雪を掘ってゆく。目の前で1mくらい雪の壁が掘り下げられ、家の中に光が差し込み明るくなった。その作業が終わると、疲れているのであろうが、普通の様子でせっせと夕食を作っている。 大反省である。家族といまの田舎での暮らしを持ちたくて現在の山の中の家に引っ越した。この環境に暮らすことは得ることも大きいが、自然に近く暮らすことはリスクも大きいことを意識しているつもりであった。しかし、”健康である状態の維持”についてはあまり注意を払ってこなかった。 年末には感染症対策をあまり意識せずに人混みに数回出掛けた。年末年始は風邪気味であったにも関わらず氷点下の作業場で長い時間作業していた。年末には少し寒気がしたのに髪を刈り風呂に入った。この家でのはじめての年越えであったにも関わらず、あまりに身体の調子に無頓着であった。そもそも、仕事の忙しさにかまけて、風邪を予防も怠り、安易に風邪を引き込んでいた。 この地の豊かさを享受しながら暮らし続ける第1条件は、まず健康な状態をであること。その状態を維持することが田舎暮らしでの最も重要なリスク管理であることを改めに肝に命じたい。怪我をしないよう、体調を崩していざというときに身体が動かないことがないよう、家族とこの1年を過ごしていきたい。 畑に作ったものを食べるだけでなく、何を作り、どのように食べていけば健康で日々を暮らせるか、家族と改めて勉強し暮らしに取り入れていこう。 #
by mukouno-tani
| 2010-01-10 15:52
| 子育ちと環境
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