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拝啓 森の花畑の守人様
2015年3月17日の朝です。 向こうの谷にもようやく春の兆しがおとずれました。 雪の降る日と日の間隔が広くなり、畑や森や家の周りの根雪が退いていきます。寒暖の差が大きく、雪の日は日中マイナス3度なのに翌日晴れると14度といった具合ですが、暖かい日が続くたびに樹々の芽が少しずつ太り、球根植物がむくむくと動いていることを感じることができます。 雪の退行と植物達の動きに促されて、昨日から朝に向こうの谷を散歩し、家の庭や周囲の森の手入れをすることをはじめました。 この家に移り住む前からある、西の庭の木立性のバラが芽吹いているのを確認しながら、太い枝を切り戻し、枯れ枝や細い枝を鋤いていくと気持ちがスッとすいていきます。 南の庭の山桜の木の下に、スノードロップが咲いているのをみつけました。次々と花咲く季節の到来の予感です。 また、春が近づいて来ることは、家の手直しをしたり、家具をつくったり、たっぷりと本を読んだり、勉強したり、考えていることをまとめることができる時期の終わりが近づいていることを意味するのだと、ようやく気がつきました。今年の2月半ば、何度も雪に振り込められ、冬の終わりはまだまだずっと先であるという圧迫感に苛まれながら、身体を動かさず手先と目と頭ばかり使う作業をやりすぎて一杯一杯になったことがあったのですが、いま思えば、そのことにだけ集中できる季節もまた豊かなのだなと、思うのです。 いま、このように家の外仕事に気をとられるようになりながら、本格的な春の到来までに作っておきたい家具に急ピッチで取り組んでおり、やっとその一つが完成しそうです。それは、台所の小さな作業台です。子ども達がだんだん台所に関心を持つようになり、従来のスペースが手狭になってきたので少し調理台を拡張したいと考えていたのです。奥行50cm×幅80cm程度の小さな台ですが、なるべくあり合わせの材料を使おうと、端切れ板をパッチワークのように組み合わせて使っています。この上に天板が乗るのでこのモザイクは隠れてしまうのですが、彼ら(子ども達)の思い出さないかもしれない記憶の片隅に、そういえば変なものがあったな、という感じで残ればいいなと思っています。 大きな本棚は知的好奇心が旺盛になりはじめた子ども達が家の本類や雑誌類に手を伸ばしやすくするため、洗面所関係は子ども達の友人・知人の訪れが多くなってきた向こうの谷の家でもう少し家族のプライベートを保つため、そしておしゃれに関心をもちはじめた末娘のため。 まずは洗面所の改装かなと考え、手を入れ始めました。1次改装で何とか使えるようになっていたのですが、蛇口の取り付けが悪く水漏れで傷んだ感じになっていたものを、うちの女の人達がもっと楽しく使えるように、かわいらしくしてみたいと思っています。いま、水をためる部分をはずし、少し傷んだ天板に再塗装している所です。 先日、家の周囲の森の手入れをするための新しい道具が届きました。 シルキーの3段式高枝ノコギリです。この刃渡り40cm以上もあるノコギリ刃に延長用の棒をつけて使用します。高木の枝打ちにはこれが重宝すると、狼の眼をした友人が紹介してくれたものを、森の中の庭の手入れには必要だと考え、思い切って購入してみたのです。 友人によると、この大きな枝打ち鋸は、枝にほぼ垂直に鋸の歯を当て、その鋸の重さを使って歯を上下させて切っていくのだそうです。試しに畑や、椿や柿やグミや桑の木に大きな影をつくっていた、家の東側の杉林の枝を打っていくと、本当に効率よく枝を落とせるのです。そして、枝を確認しながら剪定していくと、杉も花木や実のなる木も、光を受けられるように幹や枝を伸ばし、それが実のつき方や地面への日の当たり方を左右しており、人にとって里山や畑を豊かにすることに高木の枝をコントロールすることがとても重要であることを体感することができました。 落とした杉や雑木のたくさんの枝は、ロケットストーブの燃料にするとかなりの量になると思います。これから夏にかけて枝打ちした杉林の下に小さな薪棚を作ろうと思案をしはじめているところです 。 最後に、少しずつまとめている「行政組織はなぜ自己の組織運営や事業・施策について自ら改善を行うことができにくいのか」について、アルバート・ハワード先生が『農業聖典』の中で描写している、19世紀前半のイギリスの研究組織を題材にまた、少し考え進めて終わりにしたいと思います。 ハワード先生は、「農業研究方式の欠陥」という項の中で、19世紀前半のイギリスの農業研究組織の問題点について次のように記述しています。 ・研究所は科学を基礎に組織されており、誰もが認識している農業という部門を基礎にしているのではない。そのため、手段(科学)と目的(農業)はすぐに接点を失うことになる。(P235) ・これらの研究所内にいる研究者は専門化された領域に閉じこもり、研究はやがて細分化されていく。直接的な実践経験から得られた着実な影響が、通例というよりむしろ例外とされてしまうのである。…これらの研究の顕著な特徴はきわめて小さい単位に課題を分割するところにある。(P235-236) ・もう一つ不安に感じる特徴は、科学と実践の間の大きな隔たりである。…科学者が個人的に管理できる圃場をもち、その圃場で彼のスタッフとともに自分自身のひらめきをどこまでも追及できるところは、イギリスではアベリトウィス…を除いて知らない。しかし、アベリストウィスですら、家畜についてはよい結果をあげるまでには至っていない。改良された牧草の品種とそれらの栽培方法が、彼らの論理的結論、つまり、市場向けの健康な一群の羊や栄養十分な家畜は、それらの牧草によって飼育が続けられ得ることによってもたらされる、ということと結びついていない。(P236) ・かつて公的機関がこのような問題について自問自答したことがあっただろうか?これらの研究所のいずれかに対して、未来のダーウィンやパスツールとなるような人たちの反応はどうだったのだろうか?細分化された科学の仕事をするそれら組織にとどまるよう彼らに無理強いする状況があったとしたならば、彼らの運命はどうなっていたのだろうか?…農業のような課題において、科学と実践を分離するような試みが合理的であるといえるであろうか?(P236) ・・・・実は農業者はいろいろ不満を訴えている。まず、研究者は実際の農業を営むうえでの必要なものや諸条件にふれていないこと、研究の成果は学問的な定期刊行物の中に埋もれていたり、難解な用語で表現されていたりしていること、しかも、これらの論文は無計画的に細分化された課題を取り扱っているころ、…研究機関はあまりにも巨大で扱いにくく、地域的な問題の実際的な解決が観察されるような試験農場をもたないこと、などである。(P237) ・これらの異議に足して有効な回答が一つだけあるように思われる。農業試験場の研究者が自らの勧告を取り上げ、彼らの研究結果を十分に試験すべきなのである。この研究の諸成果は、やがて土地の上に現されるようになるべきである。(P237) ・・・・この点を取り扱うにあたってPEPレポート(政治・経済計画報告書)は次のように述べている。「行政官の主要な仕事の一つは、研究者の努力による最新の成果を含む科学的な知識の全体を農業者が理解し、自分の農場に応用できることを保障することである」。(p237) ・これを実践するためのもっとも効果的な方法は、組織がこれらの研究の価値を少しでもみんながわかるように実際な方法で実証することである。この簡単な方法は、批判者や冷笑者を黙らせるだろう。しかし、その対処のわずかな遅れが火に油を注ぐことにもなる。結局のところ、国の予算を年間七〇万ポンドも費やす研究機関は、それが予定していた利益を受けるはずの人たちに疑問をもたれるような運営をするわけにはいかないのである。(p237) 守人様 また、随分長い間、書くことに間を開けてしまいました。 これは1つに、私が、私の時間と勤めている組織での時間がどう関わっているかを捉えなおし、仕事も含め私と家族の人生のための時間として抑えなおそうとしては、再びカオスの中にいることに気づき驚くことを繰り返しているからのように思っています。自分の日々の行動は周囲の人間関係によって極めて強く影響されているという捉え方でなかったり、組織のミッションと自分の大切なことは別である前提で懸命にバランスをとっている人達の中にいて、穏やかに自分や家族や周りの方々をみつめながら日々を過ごすということは中々に難しいことですね。まさにこのお便りの中で少しずつ書きすすめている「行政組織はなぜ自己の組織運営や事業・施策について自ら改善を行うことができにくいのか」に自分自身も対面しつつ、考える対象ともしていたつもりだったのが、再びこのことに着手するまでに3か月間を要したことを認識すると、いかに私が日々の人間関係や組織関係に埋もれやすいか、改めて自覚しております。 いずれにしても、再び書くことに着手できるところまできました。また、お便りします。
by mukouno-tani
| 2015-03-16 07:16
| 畑と山と食と循環
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